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「どう生きるか」なんて考える必要はない
宮崎駿監督によるスタジオジブリ最新作『君たちはどう生きるか』を観てきた。
ネタバレにつながるのと本記事の本旨ではないので、映画の内容に触れる気はないが、とかく人間は「どう生きるのか?どう生きるべきなのか?自分はどうあるべきなのか?」
そんなことを考えたがるな〜ってつくづく思う。
でも、「どう生きるか」なんて考える必要はない。
考えるんじゃなくて、自分が『何を感じているか?』
人生を豊かに生きる源泉は、思考ではなくて、感じていることにしかないと思う。
「どう生きるか」なんて考える必要はない
人間が「どう生きるか」と考えるときは、たいていの場合、無自覚に枕詞が付いている。
(人生で不快が起きないために)どう生きるか?
こんな感じで、思考で未来を予測し、自分の人生から『不快感』を可能な限り取り除くために、「どう生きるか」という問いは使われている。
「よりよく生きるためにとか、何かを為すためにとか、そんな風に考えているから自分は違う」
と反論したくなる人はいるかもしれない。
でも残念ながら、起こる体験をえり好みしようとしている時点で、本質は不快を避ける思考が回っているだけに過ぎない。
よりよく生きたいのは、よりよく生きていない自分が不快だからだ。
何かを為したいのは、何者にもなれず、何事も為せない自分であることは不快で許せないからだ。
なんだか良さげなことを言っていると、さも真摯に人生と向き合っているように見えるが、結局は、
『人生で起こる不快をなるべく無くして、快適に生きたい!』と言っているだけに過ぎないことは多い。
残念ながら、「どう生きるか」と考えているときは、間違いなく『不快感』を避けるための思考が回っている。
不快感を避け続ける代償は、『体験の喪失』
「えっ?不快感なんてない方がいいじゃん。避けようとすることの何が悪いの?」
そんな風に疑問を持つ人もいるかもしれない。
確かに、不快感を避け続けていても、生きていけるし、悪くはない人生は送れる。
『何者にもなれない』という自分が不快で許せなくて、何者かになろうと頑張って頑張って社会的に成功する人は多いし、
経済的により良く生きるために、転職やスキルアップをして収入を上げよう!なんてメッセージはいたるところに流れている。
でも、不快感を避け続けることによる明確な代償がある。
それは、『体験の喪失』だ。
例えば、感情的になる人に対して、不快感を感じる人は一定数いる(僕もそうだった)。
こういう人は、イライラしたり、ムッとしたり、他人が感情的になることを許せないし、まして自分がそうなるなんて決して起こらないようにいつも必死で感情をコントロールしようとする。
でも、怒りもイライラも含めて互いに見せ合うことで、人間はより深くつながれる。
この体験は、感情の表出を避け続けている限り、決して起こらない。
あるいは、何者かにならないと、何事かを為さないと、と自分を駆り立てている人は、何事も為せない自分なんかには絶対なりたくないと無自覚に思っている。
怠惰な自分なんてあってはならないし、他人が怠惰に過ごしているのも許せない。
でも、「何者かでなくても、何もしていなくても、あなたはここにあっていい」という絶対的な安心感を人間は本質的には求めている。
この体感は、何物でもない自分なんてダメなんだと自分を駆り立て続けている限り決して起こらない。
こんな風に、不快感を避け続けることで、『体験の喪失』が必ず起きる。
そして、体感してみると分かることだが、不快感を避け続けることで失ってきた体験の方が、自分が本当に欲しい体験だったりする。
つまり、不快感を避け続けることで、自分が本当には欲しい体験からは遠ざかってしまうのだ。
考えるよりも体験を感じ続ける
「どう生きるか」と思考で考えるよりも、人生で起こる体験を感じ続けるだけでいい。
不快を避けようとするんじゃなくて、不快感を感じたら、その不快感に浸っていればいいだけ。
この方法を取ると、、、
すぐには何も解決しない、笑
でも、そうやって不快感を感じ続けているうちに、その奥にある、自分が本当に体験したいことにアクセスできるタイミングが訪れる。
何者でもない自分になることが嫌、不快な人が、その不快感を感じ続けていれば、「あっ、何者かになれなくても、何事も為せなくてもいいじゃん。それでも自分はあっていいじゃん。」
そんな風に気付けるタイミングがいつかどこかで訪れる。
でも、この気付きは不快感を十分に感じることなしには訪れない。
だから、どうにか考えて不快感を避けようとしなくていい。
ただ、不快感を感じ続ければいい。
まあ、それがけっこう難しいけど、
「どう生きるか」なんて言葉が流行ると、人生における不快を避けるために思考を回し続ける人がきっと増えるんだろうなと思う。
でも本当は、自分の内に湧きおこる体験こそがすべてだし、豊かさの源泉なんだよなって思う。
もっと味わおう。
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