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人間じゃない人間は『近い経験』を味わえない~磯野真穂「他者と生きる」より

先日、ちょっと気になったので以下の本を読んでみました。

この本に書かれていた、「遠い経験」と「近い経験」が生物学的には人間でありながら、人間でないものの存在の特徴(つまり昔の自分)をよく表しているので紹介します。

遠い経験と近い経験

遠い経験と近い経験は、精神分析家のハイフンコフートによる概念で、

近い=経験:自分や自分の仲間が見たり感じたり考えたり想像したりすることを表現する際に、自然に無理なく使い、他人が同様に使った場合にも、やはり容易に理解できるような概念のこと

遠い=経験:何らかの専門家がその科学的、哲学的、または実際的目的を果たすために用いるような概念のこと
(中略)
「愛」は近い経験であり、「終了は遠い経験である」

磯野真穂「他者と生きる」より

こうやって書くと何を言っているのかいまいち分からないですが、、、

メディアなどで得られる情報は、基本的に遠い経験にあたります。
自分自身の5感や感情、他者のそれらは、基本的に近い経験にあたります。

厳密に言うと違うと言われそうですが、これくらいのオーダーで理解しておきましょう。

ちなみに、遠い経験と近い経験の明確な境界を定義することは出来ません。
情報的なものと物理的なものを区別できないのは物理学もいっしょです。

遠い経験が是とされたときに、近い経験は容易に書き換えられる

面白いことは、近い経験が遠い経験によって簡単に書き換えられる、ということです。

<遠い=経験>に属する概念が、<近い=経験>に属する概念に対し、正しい、あるいはより価値があると理解された場合、<近い=経験>を元にした現実の実感は容易に放棄され、その実感は<遠い=経験>に属する概念に根差した形で書き換えられていくことである。

磯野真穂「他者と生きる」より

この本ではこんな例が紹介されていました。

私の調査において、食べ物の実感が情報に移譲されることを示す顕著な例が、「美味しさ」をめぐる語りであった。例えばインフォーマント(情報提供者)の一人である田辺さん(仮名)は次のように語る。

もう「体に悪い」っていうのが、自然条件としてでてきちゃうって言うか、そういうブロックが最初からあるので、味だけで素直に(おいしい)っていうのがもうできないんですよ。「『あー、これ好き』って言うのが単純に言えない」っていうのがあるかなって。

磯野真穂「他者と生きる」より

田辺さんは健康意識の強い方で、食材に関わる様々は情報を集めて、身体に良いか悪いかを判断するようになったそうです。
その結果、その意識が強すぎて、味覚の前に、「身体に良い or 悪い」のジャッジを行ってしまうようになり、食事体験を純粋に楽しめなくなったそうです。

こんな風に、遠い経験が是とされるとき、近い経験は容易に書き換えられてしまいます。

人間じゃない人間は、近い経験を味わえない

この遠い経験と近い経験について考えてみると、人間じゃない人間は、「遠い経験」優位で近い経験を味わえないという特徴があります。

この間の記事で書きましたが、

人間じゃない時の僕は「高め合えない友達は必要ない」と遠い経験から思っていました(若かりし頃に読んだ本の影響で)。

でも、実際は、友人と過ごしている時間に、身体は心地よさを近い経験として感じます。

昔は、遠い経験の方が優位だったので、近い経験に気付けなかったのですが、人間になった今、近い経験に鋭敏になってきたので、その心地よさに気付けるようになりました。

人間じゃない人間の特徴として、自身の主観や身体感覚などの一人称の視点で世界を感じることが苦手、というものがあります。
自分自身をいつもどこか俯瞰で見てしまうんです。

人間じゃなかった当時の自分は、『自分はそういう性質だ』と思っていました。
でも、本当は誰もが世界を身体で十分に感じる力を持っています。

遠い経験優位で近い経験が感じ辛くなった結果、そのような思い込みを持つに至ったのだと思います。

世界を美しく感じるには遠い経験も近い経験も必要

これまで、遠い経験を否定的に書いてきましたが、遠い経験によって、近い経験がより鮮やかになる、ということもあります。

例えば、僕は絵画の知識がないので、絵を見ても何も感じません。
でも、知識がある人は、作者の筆跡や歴史的背景から、1枚の絵をより豊かに感じることができるようになります。

乱雑さは、その人の知識量に依存し、豊かな遠い経験は、世の中に規則性を見出します。

ただ、マインドフルネスとかが流行っている背景にあるように、現代社会は『遠い経験』に溢れすぎている。
そのノイズが大きすぎるので、『近い経験』をもっと感じられるようになりましょう、という運動が流行るのだと思います(今こことかそうですね)。


長い間人間じゃなかった自分は、遠い経験ベースでずっと生きてきました。人間になった今は、近い経験も大切に生きていけると思います。

近い経験で世界を見る鮮やかさは、このギャップを知っている人にしか分からない。
そんなわけで、これからも人間じゃない人間と人間の狭間を書いていきたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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