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サッカー人生

今日でSC相模原プロ育成選手としてチームを離れると同時に現役の育成選手プロを目指すスポーツ選手として引退をしました。この決断は本当に自分にとって辛く苦しく大きすぎたものだったと思っています。自分は、小学2年生からサッカーを始めプロサッカー選手を目指しました。そのプロサッカー選手と言う夢はまだその頃には分からない、とてつもなく狭い道だったと今すごく感じています。

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サッカーに出会って自分は本当に成長し、汗も涙も血も苦しいと言う感情も嬉しいと言う感情も、感謝と言う感情も、責任感も、仲間のためと言う本当の言葉の意味も、負けれないと頑張る自分も、背中押される自分も全てサッカーで学びました。勉強なんかなにもできない自分がここまでサッカーをしてきてたくさんのことを学びました。そしてたくさんの出会いがありました。コーチ、チームメイト、ファン、サポーター、友達、親、敵チームの選手たち本当に出会いが多くて数えきれません。それほど学んできたサッカー。自分がサッカーでは限界だと決断した時恥ずかしながら一人で涙が止まりませんでした。外に出たくなくなりました。みんなから期待をされている。と思いプレッシャーで押しつぶされそうでした。Jリーグの1番下のリーグの選手の給料、過酷さ、戦力外通告と言うこの5文字の恐怖。目の当たりにして自分がやってるスポーツはとてつもなく恐怖があるものだと知った時はプレーが悪くなっていった事も忘れもしません。でも自分はこのチーム関東に来て後悔など1つもないです。大学に行かず、1年どの時間もサッカーのことだけ考えて来てこの決断なら仕方ないと思えました。

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「結局最後に生残るのは、天才でも才能のやつでもない。サッカー小僧だ。」これは自分のサッカー人生の最後の監督元日本代表の山口貴之と言う元Jリーガーの監督の教えです。この言葉の意味がさっぱり分からなかったのですが、今になってみにしみて分かります。どの職業でもそうだと思ったのです。結局そのやっている職業がどこまで好きか、どこまで自分を信じて誘惑に負けないかこの難しさが誰よりも痛感して自分の心に刺さりました。遊び、お金、ギャンブル、誘惑、物欲、食欲、様々な誘惑があります。それに打ち勝ち最後までその1つを愛せた者だけが残ると言うことです。自分は、もう1つのしたい事。モデルや俳優と言う職業に憧れていた部分がありその時事務所から8社スカウトをしてもらったのです。その時に自分はもう1つのしたい事ファッションであったり、撮影される楽しみ、演技をする楽しみ、他の楽しみに魅力を感じました。そして今モデル俳優と言う職業を頑張ろうと思っています。

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感謝。

自分は今こうして楽しいと思え笑いが絶えないのは、

若井晃平として自分なりに楽しいと思えているのは

中学の友達、高校の友達、親、家族、出会ってくれた監督、コーチ、スタッフ、支えてくれている人この人のおかげでまた新しい道に行けたのかな新しい道を見つけれたのかなと心の底から思っています。

なのでサッカーをするサッカー少年の若井晃平はもういないですが、モデル俳優としての新しい若井晃平を

存分に出していき今までサッカーを応援してくれていた方々は、次の自分の夢をまた応援してくれたら本当に嬉しいなと思います。本当に皆さんありがとうございました。そしてこれからもどうかよろしくお願いいたします。

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モデル 若井晃平。

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