何を考えてるか分からない

昔からよくそんな事を言われてきました。

顔から喜怒哀楽が読み取りにくいせいでしょう。おそらく僕よりも人類が一番最初に作った土偶とかの方が表情豊かに違いありません。
そう言われてる時の僕は何も考えてないことがほとんどです。マリオRPGのマロが、「なにかんがえてるの」を僕に使ったら、「・・・。」しか出てこないことでしょう。マロのスペシャルフラワーを無駄使いさせて申し訳なくなります。
何も考えず、僕はただただその場に存在することだけを全うしています。針葉樹とかと一緒です。

なんといいますか、普通なら意識せずとも考えるという行為は出来るはずなのに、僕は意識しなければそれを出来ていない気がします。RPGでいう「たたかう」「どうぐ」「にげる」みたいなコマンドの中に「かんがえる」があって、それを選択したら1ターン消費しちゃうみたいな。で、考えて戦った方がいいという結論が出て、「たたかう」を選んで結果2ターン使ってるみたいな。燃費悪すぎる。紛れもない糞ゲー。

基本的に新ネタの案やバイトのシフトの入れ方に至るまで、「さて、いっちょ考えますか」ってなった時はひたすら徘徊するか喫茶店に籠るかをしてきたので、今みたいにライブも無く時間がひたすらあるような時は、本来ならあえて3駅くらい先のベローチェまで歩いて今後の事や新ネタの案の一つや二つ考えたいところですが、いかんせん、いかんせんなのですよね。この状況。

僕の徘徊も遠ベロ(遠いベローチェにいくこと。その様子)も国の定める不要不急の外出であることに違いないので、今はバイト以外は家でひっそりと過ごしています。
ただ家だと、何も考えてない、に拍車がかかり、ひたすら寝るか、起きててもゲームをするかYoutube観てるかして時間を溶かし、しかも何も考えてない状態なので特にそこから何かを学んでる訳でも無いというひどい有り様になってしまっています。
前に「さて、いっちょ考えますか」ってなって家の中をぐるぐると徘徊してみたのですが、「おれ家の中で徘徊してんじゃん」と俯瞰で自分を見てしまって何も考えられなくなってやめました。家がスポッチャくらい広ければ特に問題無かったのかもしれませんが、現実は卓球台の一つも置けないようなスペースでの徘徊でしたので、そうなることは必然でした。いっちょまでがこんなに遠くなるとは。

ここまで書いて、家にルームランナーを置けば全て解決するのでは?と思って値段を調べてみました。安いので3万くらいでした。買えなくもないんかい。

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