独裁ゼリーに勝てない

学生芸人という言葉が市民権を得てきている昨今、お笑いサークルや落研など大学でお笑いを出来る環境はもはやガソリンスタンドにガソリンがあるくらい普通になってきてるように感じますが、高校で出来る環境は今でもなかなか珍しいのではないでしょうか。
僕の通っていた高校には何故か落研があり、将来お笑いに携わりたいと考えていた僕は当然のようにそこに入部しました。ちなみに僕の屋号は入面亭山猫(いりおもていやまねこ)。部員が誰もいなくて、入部した途端に絶滅危惧種になったので。

本当は漫才やコントがしたかったのですが、前述した通り部員が0人で誘うべき相手が誰もいなく、かといってクラスメイトを誘う勇気もなく、何よりも滑るのが怖いという理由で、後輩二人を組ませて僕が書いた漫才やコントを無理矢理やらせるという作家版ジャイアンみたいなことをしていました。いま考えたらど真ん中のパワハラ。佐川くん、横山くん、その節は申し訳ない。
どういう理由でそうなったか忘れましたが、彼らのコンビ名は独裁ゼリーでした。

今考えたら分かりますが、高校の頃の漫才なんて分かりやすければ基本ウケます。知り合いばかりの前でやるのだから当然です。独裁ゼリーはあれよあれよと人気者になっていきました。出番のときは教室が人でいっぱいになって、常にめちゃくちゃウケていました。女子が名前入りのうちわを持っていたこともありました。ファンクラブもあったそうです。ボケの子は人造人間19号から戦闘能力を引いて天パだけ足したような仕上がりなのですが、それでも女子たちから黄色い声援を浴びていました。

それに対して、僕はいつもややウケでした。何ならやや滑りでした。落研なので、トリは部長である僕が落語をやるということになっていて、いつも独裁ゼリーが爆笑をとった後に僕がややウケorやや滑りで公演が終わる流れになっていました。地獄でした。落語と漫才をウケ量で比べること自体がナンセンスな気もしますが、それでも自分の幻影にボコボコにされている気分でした。僕の「初天神」は独裁ゼリーの「レストラン」に周回遅れで負けてました。もちろん僕の演じ手としての技量不足が問題なのですが。
芸人になった際はいずれこうなるんだと自分に言い聞かせ、出番終わりの独裁ゼリーに、今日も良かったじゃん、と余裕を見せる日々を過ごしてました。

今年で芸暦9年目。ファンクラブもなければ、黄色い声援も浴びたこともない。僕が独裁ゼリーに勝てる日は、まだまだ来なさそうです。

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