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松籟庵便り

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盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。
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#古流

はじめに:松籟庵(しょうらいあん)

 最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが

その27:女子剣道再考(中)

 昭和27年(1952)年10月、全日本剣道連盟が発足して女性の剣道愛好家が少しずつ増えてきた。それでも戦前から高野佐三郎先生の修道学院で修行した高野初江先生が、女性で初めて七段に合格したのは昭和41年(1966)11月(47歳)である。  戦後の女子剣道発展を昇段状況に限ってみてみると、高野初江先生の後25年経過して平成3年(1991)5月、小林節子先生が2人目の七段に合格した。次に平成6年(1994)堀部あけみさんが3人目、翌平成7年(1995)桜木はるみさんと根本道世

その17:盈進流稽古法(4) 大いなる時代遅れは…

 刊行早々の宮城谷昌光著『孔丘』(文藝春秋)を一気に読んだ。名作と言われる小説の中には名言が書かれているものだと思う。たぶん作家の思いがその一言に込められているのだろう。感じ方は人それぞれ違うと思うが、私はこの一言にドキッとした。  「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」(pp.359)  興武館で稽古している古流の稽古は、今の「競技剣道」から見ればまさに「時代遅れ」そのものだからである。           *  30代の頃、父と食事をしている時によく古流の話

その7:盈進流稽古法(3)

 8月のお盆休み明けからは防具を着用し、発声はしていないものの踏み込みやコロナ以前に行っていた「面に対する出端技と応じ技」、「小手に対する応じ技」の稽古を行っている。中には、「切り返しができるようになって稽古が楽しいです」と言う、切り返し好きな女性もいる。地稽古だけはやっていないが、ほぼ元の稽古形態に戻りつつあるといってよい。  今年の3月以降稽古ができなくなり、剣道愛好家にとっては本当に厳しく残念な6ヶ月だった。しかし、思いもよらない稽古方法を思い付いて、思いもよらない成

その6:剣道と哲学(2) ―初心に返る―

 父が79歳の時に脳血栓で倒れ、私は29歳で東京興武館を託された。そして義兄安藤宏三先生と二人三脚で守った。稽古に関して、義兄は「君の考えている通りのことをすればいい。私は全面的に協力する」と言ってくれて、基本と切り返し・懸かり稽古を中心に行ってきた。 加えて、義兄は高野弘正先生主催の「中西派一刀流講習会」に度々参加して古流の形を習って来ては、「やらないと忘れるから一緒に稽古しよう」と言って随分教えて頂いた。今稽古している「形」がその一部である。そのお蔭で、このコロナ禍の世