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松籟庵便り

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盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。
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#剣道コラム

はじめに:松籟庵(しょうらいあん)

 最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが

その29:始まり

 4月は新年度が始まる月である。入学式、入社式、そして新学期というようにすべて新しく始まる。誰もが希望に燃えている。しかし、昨年から始まったコロナ禍の影響で、今年も静かな始まりとなってしまった。昨年度、大学はオンライン授業で、一年間キャンパスに足を踏み入れる事が出来なかったところもあったようだ。今年はどうなるのだろうか。  剣道界も大変だった。多くの行事は中止や延期で慌ただしく過ごした。さらには昨年延期になった東京オリンピック・パラリンピックもどうなるか分からない状況だ。

その25:新型コロナウイルス感染症1周年

 昨年の2月26日、イギリス・ノッティンガムからマーク・タッカーとダニエルが来日し久し振りに稽古をした。彼らは翌日から数日京都と大阪方面を観光し関西空港から帰国した。感染者がそれほど多くなかったから外国人旅行者も沢山各地にいたと思う。そういう意味ではマークとダニエルは、記念すべきギリギリの日本旅行だったと言ってよい。以来コロナ禍は丁度丸1年過ぎた。  3月1日から2週間の休館措置を取り、その2週間は稽古を再開した時のために、防具を持ち帰って綺麗にする期間に当てた。しかし、3

その24:初心と生涯剣道

 大学を卒業した当初の稽古は、月水金の盈進義塾興武館と週一・二度程度の野間道場が主だった。本物の剣道を志すと心に誓って大学を卒業したが、大学院そして理科大就職、さらに29歳の時父が脳血栓で倒れ20代は何かと忙しかった。30代からは山内先生と師弟関係を結んで、腰痛症を患った50歳まで週二・三度定期的に野間道場に通った。55歳から復活したが、最近はコロナで通えなくて残念でならない。           *  野間道場では稽古以外にも良い思い出がある。朝稽古が終わり、風呂から上

その23:心が動く

 閑雲野鶴(かんうんやかく)という諺がある。「『閑雲』は大空にゆったりと浮かぶ雲。『野鶴』は野に気ままに遊ぶ鶴。何物にもしばられない自由な生活のたとえ」とある。  東京は政府が発令した緊急事態宣言中で、当初2月7日までだったがさらに1ヶ月延びて3月7まで不要不急の外出は自粛である。しかし規則さえ守っていれば、「閑雲野鶴」の言葉通りだ。71歳だから用事もないので自由気ままである。その様な中、のんびり生活しているが年を重ねた今、私たちが修行していた若い頃の剣道が懐かしくなって、

その21:剣道観=人生観

 私達は10代の半ばか遅くとも終わり頃には、自分の才能を見出し、それを磨きながら人生を送ろうとする。しかし、人の一生は何が起きるか分からない。一つの才能を見出して、それを基に一生を送ることができれば幸せな人生だ。  しかし、順風満帆な人生などあり得ない。どこかで挫折することもあるし、病気や怪我をすることだってある。窮地に追い込まれて身動きが取れないこともあるかもしれない。そういう時、どう対処したらいいのだろうか。これはその人の人生観が大きく左右すると思う。私はすべて剣道理論

その20:三つの宝(2)

 私は70年の人生の大半64年間剣道を修行した。そのことによって人生の意義をかなり大きなものにした。剣道そのものは、『松籟庵便り(15)』で説明したように、日常生活とは大きく掛け離れた動きの連続で、教えて貰わなければ生涯使うことがない動きである。礼儀作法以外は、今の時代に生きるために必要なことだとは決して言われないものだと思う。それを何十年も修行しているのは、端から見れば異様なことと言っても不思議ではない。そういうことを64年間続けて来て一番幸せに思うことは「友」を得たことで

その19:謹賀新年 -令和三年元旦-

盈進義塾興武館々員の皆様、明けましておめでとう御座います。 今年もどうぞよろしくお願い致します。  昨年令和2年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、2月中旬から感染が拡大し始め、第一波・第二波そして第三波と次第に拡大し、令和2年の大晦日に東京では1000人を超える勢いで感染者数が増大しました。そのため剣道界はこの一年、稽古・試合・審査・その他等の行事を含めて中止または延期という措置を取らざるを得ない事態になりました。令和2年は、昭和27年(1952)、全

その18:三つの宝(1)

 10年以上前に購入した本を引っ張り出して久し振りに読んだ。元慶応大学塾長小泉信三先生の著書『練習は不可能を可能にする』である。私自身は剣道をただ一生懸命励んできただけだったので気が付かなかったのだが、「スポーツが与える三つの宝」を読んでまさにその通りだと思った。ここでは、剣道はスポーツか、武道かということは、またの機会にして、先生の文章を要約して記して行くことにする。           *  三つの宝の第一は、練習によって不可能だと思うことを可能にすることができると言

その17:盈進流稽古法(4) 大いなる時代遅れは…

 刊行早々の宮城谷昌光著『孔丘』(文藝春秋)を一気に読んだ。名作と言われる小説の中には名言が書かれているものだと思う。たぶん作家の思いがその一言に込められているのだろう。感じ方は人それぞれ違うと思うが、私はこの一言にドキッとした。  「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」(pp.359)  興武館で稽古している古流の稽古は、今の「競技剣道」から見ればまさに「時代遅れ」そのものだからである。           *  30代の頃、父と食事をしている時によく古流の話

その16:勝って反省、負けて工夫

 通常は、「勝って反省、負けて工夫」と言われているが、私は「負けて工夫、勝っても工夫」と思っている。剣道を志す人にとって、試合や審査はそれまで鍛錬したことがきちんとできているかを確認する絶好の機会である。試合には勝ち負けが付きものだから、何故勝てたのかを反省すると良いのだが、勝った時は嬉しくてあまり反省しない。負けた時は、どこが悪くて負けたのかを反省し、次に繋げる工夫をする機会になる。勝った時こそ反省し、さらに工夫する良い機会なのだが……。それが未来に挑戦するための手段だ。「

その15:基本は同じ。でもなぜ剣風は皆違う?

 剣道の基礎・基本は教えられるものである。剣風は自分で作るものであって、教えられるものではない。では、どうやって作るのだろうか。因みに、全日本剣道連盟の調査(令和2年1月9日)によると、日本の剣道人口は、1,942,563名だそうだ。剣風は一人ひとり違うから190万通り以上の剣風があると言ってよいだろう。           *  剣道で最初に習うのは、座礼・立礼・蹲踞の仕方、そして中段の構え等である。それらは剣道の伝統的文化と言ってよい。次は、最も大切な基礎・基本の正面

その14:「エエッ? 今のは何だったんだ?」

 「打った!」と思った瞬間に応じられた経験が私には三度ある。20代、30代、50代にそれぞれ一度ずつだ。20代と30代は山内冨雄先生、50代は西善延先生である。           *  26歳で六段に昇段し、スピードとパワーは伸び盛りというより発達曲線のグラフを見るとまさに充実期だ。前年に興武館は改築され杉の床板がいい匂いだった。週に一度水曜日に、山内先生はお出でになり私は必ず稽古をお願いした。一度目のその時は、皆は周囲で正座して見ていた。5分くらい経過した頃、私は捨身

その13:剣道と哲学(3)―神は存在するか―

 かなり前のことになるが、6歳年上の人が八段に合格した時のこと。「あの状況の中で(二次審査の二人目)、素晴らしい面でしたねえ」と言ったら、「あの面は神様が背中を押してくれたように感じたよ」と言った。私はこの一言にちょっと違和感を覚えた。「神」とか「神様」というと、まず「神様は存在するか」という疑問だ。「神様とは何だろうか」、「誰だろうか」という疑問である。しばらく考えてみたが埒が明かない。少々理屈っぽくなるので、手っ取り早く理解するために、かつての同僚で哲学担当のSさんに尋ね