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松籟庵便り

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盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。
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#野間道場

はじめに:松籟庵(しょうらいあん)

 最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが

その24:初心と生涯剣道

 大学を卒業した当初の稽古は、月水金の盈進義塾興武館と週一・二度程度の野間道場が主だった。本物の剣道を志すと心に誓って大学を卒業したが、大学院そして理科大就職、さらに29歳の時父が脳血栓で倒れ20代は何かと忙しかった。30代からは山内先生と師弟関係を結んで、腰痛症を患った50歳まで週二・三度定期的に野間道場に通った。55歳から復活したが、最近はコロナで通えなくて残念でならない。           *  野間道場では稽古以外にも良い思い出がある。朝稽古が終わり、風呂から上

その21:剣道観=人生観

 私達は10代の半ばか遅くとも終わり頃には、自分の才能を見出し、それを磨きながら人生を送ろうとする。しかし、人の一生は何が起きるか分からない。一つの才能を見出して、それを基に一生を送ることができれば幸せな人生だ。  しかし、順風満帆な人生などあり得ない。どこかで挫折することもあるし、病気や怪我をすることだってある。窮地に追い込まれて身動きが取れないこともあるかもしれない。そういう時、どう対処したらいいのだろうか。これはその人の人生観が大きく左右すると思う。私はすべて剣道理論

その14:「エエッ? 今のは何だったんだ?」

 「打った!」と思った瞬間に応じられた経験が私には三度ある。20代、30代、50代にそれぞれ一度ずつだ。20代と30代は山内冨雄先生、50代は西善延先生である。           *  26歳で六段に昇段し、スピードとパワーは伸び盛りというより発達曲線のグラフを見るとまさに充実期だ。前年に興武館は改築され杉の床板がいい匂いだった。週に一度水曜日に、山内先生はお出でになり私は必ず稽古をお願いした。一度目のその時は、皆は周囲で正座して見ていた。5分くらい経過した頃、私は捨身

その3:8月16日

 森島健男先生が98歳でお亡くなりになられた。 『松籟庵便り(2)』の最後で、「初心者のために『木刀による剣道基本技稽古法』を作ったのはそのためである」と書いた。この基本技稽古法を中心となって作成したのが森島先生だった。何と偶然なのか、『松籟庵便り(2)』を出した日付が、森島先生がお亡くなりになった8月16日なのである。  先生には何度稽古をお願いしたか分からない。講談社の師範をされておられたので週に一度は必ずお出でになった。曜日が決まっていたので、その日は必ずお願いした