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松籟庵便り

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盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。
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#盈進流稽古法

はじめに:松籟庵(しょうらいあん)

 最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが

その25:新型コロナウイルス感染症1周年

 昨年の2月26日、イギリス・ノッティンガムからマーク・タッカーとダニエルが来日し久し振りに稽古をした。彼らは翌日から数日京都と大阪方面を観光し関西空港から帰国した。感染者がそれほど多くなかったから外国人旅行者も沢山各地にいたと思う。そういう意味ではマークとダニエルは、記念すべきギリギリの日本旅行だったと言ってよい。以来コロナ禍は丁度丸1年過ぎた。  3月1日から2週間の休館措置を取り、その2週間は稽古を再開した時のために、防具を持ち帰って綺麗にする期間に当てた。しかし、3

その19:謹賀新年 -令和三年元旦-

盈進義塾興武館々員の皆様、明けましておめでとう御座います。 今年もどうぞよろしくお願い致します。  昨年令和2年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、2月中旬から感染が拡大し始め、第一波・第二波そして第三波と次第に拡大し、令和2年の大晦日に東京では1000人を超える勢いで感染者数が増大しました。そのため剣道界はこの一年、稽古・試合・審査・その他等の行事を含めて中止または延期という措置を取らざるを得ない事態になりました。令和2年は、昭和27年(1952)、全

その17:盈進流稽古法(4) 大いなる時代遅れは…

 刊行早々の宮城谷昌光著『孔丘』(文藝春秋)を一気に読んだ。名作と言われる小説の中には名言が書かれているものだと思う。たぶん作家の思いがその一言に込められているのだろう。感じ方は人それぞれ違うと思うが、私はこの一言にドキッとした。  「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」(pp.359)  興武館で稽古している古流の稽古は、今の「競技剣道」から見ればまさに「時代遅れ」そのものだからである。           *  30代の頃、父と食事をしている時によく古流の話

その7:盈進流稽古法(3)

 8月のお盆休み明けからは防具を着用し、発声はしていないものの踏み込みやコロナ以前に行っていた「面に対する出端技と応じ技」、「小手に対する応じ技」の稽古を行っている。中には、「切り返しができるようになって稽古が楽しいです」と言う、切り返し好きな女性もいる。地稽古だけはやっていないが、ほぼ元の稽古形態に戻りつつあるといってよい。  今年の3月以降稽古ができなくなり、剣道愛好家にとっては本当に厳しく残念な6ヶ月だった。しかし、思いもよらない稽古方法を思い付いて、思いもよらない成

その6:剣道と哲学(2) ―初心に返る―

 父が79歳の時に脳血栓で倒れ、私は29歳で東京興武館を託された。そして義兄安藤宏三先生と二人三脚で守った。稽古に関して、義兄は「君の考えている通りのことをすればいい。私は全面的に協力する」と言ってくれて、基本と切り返し・懸かり稽古を中心に行ってきた。 加えて、義兄は高野弘正先生主催の「中西派一刀流講習会」に度々参加して古流の形を習って来ては、「やらないと忘れるから一緒に稽古しよう」と言って随分教えて頂いた。今稽古している「形」がその一部である。そのお蔭で、このコロナ禍の世

その2:盈進流稽古法(2)

 戦後、昭和27年(1952)10月、剣道は「競技剣道」として再出発した。そのためにどうしても試合の勝ち負けが中心の話題になり、健康や体力の保持増進、精神の鍛錬(不動心や平常心)、日本人としての礼儀作法の励行等が疎かになってしまった。まあ70年近く過ぎたのだから仕方ないのかもしれないが、日本人が本来持っている「心」を忘れてはならないと思っている。私は6歳の時に剣道を始め、64年間剣道界をつぶさに見てきたからそういうふうに感じるのかもしれない。  その一つの原因は、「日本剣道