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松籟庵便り

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盈進義塾興武館ホームページで連載している、館長小澤博の風まかせ筆まかせ読み切り剣道コラムのアーカイブスです。
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はじめに:松籟庵(しょうらいあん)

 最近、私の若い頃を知る人には信じられないほど早起きになり、小野鵞堂先生の『三体千字文』を手本に手習いをしていた。その中にこんな文章があった。 「索居閑處 沈黙寂寥 求古尋論 散慮逍遥」(p.127) 訳すと以下の通りになる。 「自分からタイミングよく勇退した後、閑静なところに移り住み、毎日を物静かに暮らして世の中のことにあえて口に出さず、穏やかに過ごしている。古書を繙いて、昔の人の残したよい事をあれこれ論じたりして、煩わしい世事から心を解き放し、山野をさまよい歩きなが

その22:心を磨く

 40年近く前、ドイツ人の若者が1ヶ月間道場に滞在して稽古したことがあった。とてもまじめな青年で一生懸命稽古していたが、初めての日本で慣れないせいか稽古以外はつまらなそうな顔をして過ごしていた。3・4日して彼は私に質問してきた。  「剣道修行で一番大切なことは何ですか」と。まじめな男だなと思ったので以下のように答えた。  「はるばる日本に来て、しかも道場に寝泊まりしているのだから教えてあげよう。一番大事なことは、君が修行する道場の床を拭くことだ。しかも心を込めて磨くこと。

その21:剣道観=人生観

 私達は10代の半ばか遅くとも終わり頃には、自分の才能を見出し、それを磨きながら人生を送ろうとする。しかし、人の一生は何が起きるか分からない。一つの才能を見出して、それを基に一生を送ることができれば幸せな人生だ。  しかし、順風満帆な人生などあり得ない。どこかで挫折することもあるし、病気や怪我をすることだってある。窮地に追い込まれて身動きが取れないこともあるかもしれない。そういう時、どう対処したらいいのだろうか。これはその人の人生観が大きく左右すると思う。私はすべて剣道理論

その20:三つの宝(2)

 私は70年の人生の大半64年間剣道を修行した。そのことによって人生の意義をかなり大きなものにした。剣道そのものは、『松籟庵便り(15)』で説明したように、日常生活とは大きく掛け離れた動きの連続で、教えて貰わなければ生涯使うことがない動きである。礼儀作法以外は、今の時代に生きるために必要なことだとは決して言われないものだと思う。それを何十年も修行しているのは、端から見れば異様なことと言っても不思議ではない。そういうことを64年間続けて来て一番幸せに思うことは「友」を得たことで

その19:謹賀新年 -令和三年元旦-

盈進義塾興武館々員の皆様、明けましておめでとう御座います。 今年もどうぞよろしくお願い致します。  昨年令和2年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、2月中旬から感染が拡大し始め、第一波・第二波そして第三波と次第に拡大し、令和2年の大晦日に東京では1000人を超える勢いで感染者数が増大しました。そのため剣道界はこの一年、稽古・試合・審査・その他等の行事を含めて中止または延期という措置を取らざるを得ない事態になりました。令和2年は、昭和27年(1952)、全

その18:三つの宝(1)

 10年以上前に購入した本を引っ張り出して久し振りに読んだ。元慶応大学塾長小泉信三先生の著書『練習は不可能を可能にする』である。私自身は剣道をただ一生懸命励んできただけだったので気が付かなかったのだが、「スポーツが与える三つの宝」を読んでまさにその通りだと思った。ここでは、剣道はスポーツか、武道かということは、またの機会にして、先生の文章を要約して記して行くことにする。           *  三つの宝の第一は、練習によって不可能だと思うことを可能にすることができると言

その17:盈進流稽古法(4) 大いなる時代遅れは…

 刊行早々の宮城谷昌光著『孔丘』(文藝春秋)を一気に読んだ。名作と言われる小説の中には名言が書かれているものだと思う。たぶん作家の思いがその一言に込められているのだろう。感じ方は人それぞれ違うと思うが、私はこの一言にドキッとした。  「大いなる時代遅れは、かえって斬新なものだ」(pp.359)  興武館で稽古している古流の稽古は、今の「競技剣道」から見ればまさに「時代遅れ」そのものだからである。           *  30代の頃、父と食事をしている時によく古流の話

その16:勝って反省、負けて工夫

 通常は、「勝って反省、負けて工夫」と言われているが、私は「負けて工夫、勝っても工夫」と思っている。剣道を志す人にとって、試合や審査はそれまで鍛錬したことがきちんとできているかを確認する絶好の機会である。試合には勝ち負けが付きものだから、何故勝てたのかを反省すると良いのだが、勝った時は嬉しくてあまり反省しない。負けた時は、どこが悪くて負けたのかを反省し、次に繋げる工夫をする機会になる。勝った時こそ反省し、さらに工夫する良い機会なのだが……。それが未来に挑戦するための手段だ。「

その15:基本は同じ。でもなぜ剣風は皆違う?

 剣道の基礎・基本は教えられるものである。剣風は自分で作るものであって、教えられるものではない。では、どうやって作るのだろうか。因みに、全日本剣道連盟の調査(令和2年1月9日)によると、日本の剣道人口は、1,942,563名だそうだ。剣風は一人ひとり違うから190万通り以上の剣風があると言ってよいだろう。           *  剣道で最初に習うのは、座礼・立礼・蹲踞の仕方、そして中段の構え等である。それらは剣道の伝統的文化と言ってよい。次は、最も大切な基礎・基本の正面

その13:剣道と哲学(3)―神は存在するか―

 かなり前のことになるが、6歳年上の人が八段に合格した時のこと。「あの状況の中で(二次審査の二人目)、素晴らしい面でしたねえ」と言ったら、「あの面は神様が背中を押してくれたように感じたよ」と言った。私はこの一言にちょっと違和感を覚えた。「神」とか「神様」というと、まず「神様は存在するか」という疑問だ。「神様とは何だろうか」、「誰だろうか」という疑問である。しばらく考えてみたが埒が明かない。少々理屈っぽくなるので、手っ取り早く理解するために、かつての同僚で哲学担当のSさんに尋ね

その12:磨く

 父は昔、暇があったら本を読め、本を読んで教養を身に付けよと言った。 コロナ禍の中、新しく買うより今まで読んだ本を棚から引っ張り出して読む方が多かった。いつも思うのだが、前に読んだ時とは違った新しい発見がある。今回も、何でこんな大事なことに気が付かなかったのだろうか、と思うことが多かった。  享保14年(1729)に刊行された佚斎樗山著『天狗芸術論』を読んで、また剣道の面白さを発見した。講談社学術文庫で840円という低価格だから上達したいと思っている人は一読を薦める。ここ

その11:自分の身に起きたことは人生を学ぶチャンス(腰痛症発症20周年記念)

 マレーネ・ディートリッヒが歌う。  「『望みは何?』と訊かれたら『幸福』と答えはするが、望みかなって幸せになったらすぐに昔が恋しくなるだろう。あんなに素晴らしく不幸だった昔が…」。  この歌詞を読むと、いつも他のことを思い出し、20年前の自分のことを想像してしまう。不幸だとは言わないまでも、誰にでも不遇な時はあると思う。いくら努力しても、いくら頑張っても運が悪くてチャンスに恵まれないとか。そんな時、嘆き悲しむことはない。努力は必ず報われる。天は必ず見ていてくれると信じる

その10:本来ならば、剣道は……

 大分前の話になるが、40代後半から50代後半まで剣道の根本精神である「剣(つるぎ)の思想」について探し求めたことがあった。その論文5編を集録したものが、『私は人生のすべてを剣道から学んだ(2)―剣の思想の考察を通して―』という小冊子で、すでに館員の皆さんには紹介した。この小冊子の結論は、「剣」には邪を払い、悪を退治するという思想があるということだ。分かりやすく言うと、「剣」には己の良からぬ考えを断ち切って「正義を貫く」という意味で、「己に克つ」とも言う。ということは、剣道の

その9:臆面もなく原稿取材

 もうすぐ71歳になるが、一回だけ冷や汗が出るような取材の思い出がある。それを剣道に例えると、人生で一度だけ野間道場で持田盛二範士十段にお願いしたことに匹敵する。しかし、これも持って生まれた私の好奇心の現れなのである。あまりにも突拍子もないことなので、自慢ではあるが人にはほとんど公表していない。そのため初めて知る人が多いのではないかと思う。  昭和56年(1981)、日本で初めてノーベル化学賞を受賞した福井謙一先生にインタビューをしたことだ。先生は、昭和27年(1952)に