オハ70 5~11(スニ75)日立製作所製についての考察

 戦後の急激な輸送量増加に伴い急造されたオハ70形を始めとするオハ71形の一族は、戦災によって疲弊した輸送力の早期回復を目的として緊急的な車輌復旧工事だった為、後年詳細を把握するのが困難な形式となっている。
 その中でも仕様が定まらない時期に復旧され、全車が荷物車改造によって早い時期に原型が失われたオハ70(スニ75)形において、唯一の鋼板屋根車である日立製作所製について考察する。
 なお、本資料は個人での使用は自由に研究材料としてもらいたいが、模型化や転載する場合は個人であっても予め許可を得て欲しい。
 日立製作所にて復旧させた17m級車体は下記と通り。

車輌史編さん会 国鉄鋼製客車史 第6編 オハ71形の一族 下巻 P306の表を再編

 オハ70 5及び6が先行して改造が行われており、この2輛は側出入口が3ヶ所となっているが、これは下記出典にて理由とおぼしき記述がある。

側出入口が3ヶ所の車輌も製造したがメーカ側が勝手に仕様変更できないので鉄道総局が比較のために製造したとも考えられる。

出典:車輌史編さん会 国鉄鋼製客車史 第6編 オハ71形の一族 下巻 P307

 また、同出典に下記の記述が有り、日立製作所にての改造では種車オハ31の窓位置が合致するなど外形的特徴が色濃く残っているが、一部個体は窓位置の合致が見られない。
別項の記述によると日立製作所へ送られた個体は全て台枠と側柱だけしか利用しなかったC級車との事なので、オハ70 5と6は丁寧に種車に合わせて復旧させたと思われる。

復旧工事はオハ70形7両、オハ71形3両の何れも戦災客車を種車としてオハ70形では種車のオハ31系客車の鋼体を最大限利用し、外帯と幕板帯の幅もオハ31系と変わりない。
また外板は溶接しているので車体にリベットが見られないが窓配置と窓の大きさに元形式を窺わせる。

出典:車輌史編さん会 国鉄鋼製客車史 第6編 オハ71形の一族 下巻 P307

日立製のオハ70形は台枠と側柱等を利用したC級車なので種車の面影はない。

出典:車輌史編さん会 国鉄鋼製客車史 第6編 オハ71形の一族 上巻 P23


 スニ75の写真を主な手がかりとして、形式図、改造を行う上で工数・資材削減及び共通化等を加味して机上にてオハ70への復元を試みた。
 写真から読み取れる情報として、窓及び出入口の埋め跡、鋼板屋根の溶接跡(ビート)間隔がある。
 ただ、写真判定で気をつけなければならないのは、実車を採寸された方の情報によると例えば図面上700mm窓となっていても600mmだったり500mmだったりと、かなり個体差があるとの事。
 旧窓及び扉のあった位置が1800mm荷物扉となった箇所からは、その痕跡を読み取る事が困難な為に完全な想像となる。

 詳細は後述する各個体の説明を参照してもらいたいが、オハ70 7、9、11は窓割りが同じなので共通の図面にて再生したと思われる。
 オハ70 8は床下機器と車体方向が反対向きで復旧されているのが写真から判り、窓割りは前述の個体群の窓割りを反転させると便所窓を除き一致する。
 オハ70 10はオハ70 8と中央三連窓より右側が合致しており、左側は何らかの理由で違う形状になったようだ。

 基本データとして800mm側出入口は車体端方向に引く扉、中央は右へ引く扉となっており、戸袋部分は隣の窓端まで最低850mmを確保している。
 これは国鉄図面VA10695にて850mm確保しているのが根拠である。
   ※車輌史編さん会 国鉄鋼製客車史 第6編 オハ71形の一族 上巻 P373
 ただ、窓を開閉不可とすれば必ずしも850mmを確保する必要は無いが、構造が複雑になる為に早期落成の必要が有った戦災復旧車では可能性は低いと考える。

それでは詳細について解説する。

 オハ70 5及び6の窓割りをオハ31と比較すると全ての窓がそれと合致するので間違えは無いだろう。

オハ70 5,6とオハ31の窓割り比較

 オハ70 6は種車がスニ30(別資料ではオハ31)だが窓割りはオハ31となっている。
 これはスニ30の台枠のみ使用してオハ70 5と同じ上回りとしたのか、本当は別資料のオハ31だったのか、一応、現地調査で台枠はUF17となっているのでオハ31だった説を押したいが真相は判らない。
 出入口については形式図と星晃氏が撮影されたオハ70 5の窓・扉間幅より推定した。

 オハ70 7,9,11は種車の窓割りと一致する所は無いが、連続する窓の窓柱が100mmであるので部分的に種車の面影が残っている。

オハ70 7,9,11とオハ31の窓割り比較

 オハ70 7,9,11とオハ70 8を比較すると各窓割りが同じ間隔で微妙にズレている事が判る。

オハ70 7,9,11とオハ70 8の窓割り比較

 そこで着目したのはオハ70 8は床下機器配置が他のそれとは逆であること。
 復旧させる際に台枠が逆向きのままで上回りを組み立てた為で、一見すると窓配置が違うように見えるのだが、床下機器配置を揃えると便所窓を除き見事に窓配置が一致する。

オハ70 7,9,11と床下機器配置で揃えたオハ70 8との窓割り比較

 オハ70 10については他と窓割りが若干違う事が判ったが、オロハ30の窓割りとも違う。
 前述したように日立製作所へ回送された個体はC級車なので、種車の窓割りを再生出来る程の部材が無い為に一致しなくても不思議は無いが、それならオハ70 7,9,11,8と同じ図面を使用するのが1枚図面を書いて、同じ車体を造れば良いのでそのほうが工場としても都合が良い。
 この個体、完全に違うかと言えばそうでは無く、オハ70 8と中央三連窓より右側は完全に一致した。
 そして唯一左側扉のすぐ横に有る窓はオハ70 8の三連窓左隣にある二連窓と窓柱(100mm)を挟んだ位置にあるので、同じ図面を使用しつつも何らかの理由で窓がずれたものと考える。
 種車がオロハ30なので窓を構成する側柱がオハ31と同じ数量分再利用出来なかった可能性がある。

オハ70 10とオハ70 8との窓割り比較

 最後に復元する前のスニ75とオハ70時代の窓割り対比を載せて終わりとする。
 赤色がオハ70時代の扉及び窓となる。

スニ75と改造前のオハ70窓割り対比

謝辞
執筆にあたり、車輌史編さん会 国鉄鋼製客車史 第6編 オハ71形の一族が大いに参考となり、また編集長の藤本邦彦氏には貴重なご助言を頂きました。
お礼申し上げます。
ありがとうございました。




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