Pop_Virus_表紙

【趣味】星野源「Pop Virus」歌詞の考察

アルバムが出たのが 2018年12月。

僕はいまだにこのアルバムを目覚ましに設定してるんですが…

ネット上の一曲目の Pop Virus の考察が、ちょっとおざなりに感じたので、僕も書いてみます。

源さんのラジオ聞いてたら、もうちょっとちゃんと考察しろよってかんじ笑

注意: 本来は「思う」とか、「と考えられる」とつけるべきですが、めんどいので書き方は断定調になってます。すんません。

1. タイトル

ウイルスのように感染して、口から音を出す症状を引き起こし、不思議と人の心を豊かにしてしまう。音楽そのものがウイルスのようなもんだね…。

だけでもいいんですけどね。

ウイルスは寄生しないと、自分を増やせないの。
この音楽というウイルスも、誰かに伝わって、その人の中で増殖しないと繋がっていかない。
しかも、星野源がウイルスを保有する最初の人ではなくて、自分もそうやって感染してきたんだよ!っていう気持ち。
細野晴臣、山下達郎、植木等、マイケル・ジャクソン、プリンス…
そんなウイルスをしっかり増殖させて伝えていきたいという決意を感じる!

2. 聴覚 ー音楽ー の世界にいますよ~

最初の2段落。

星野源自身が聴覚、すなわち音楽の世界にで待ってるよ~ってかんじ。

その音の中で、「君」を探してる。
君は、後で触れます。

2~3フレーズ目は感覚が研ぎ澄まされていってる様子。
"霧の中で 朽ち果てても彷徨う" という表現は、2つの意味が込められてる。
1つは、ここ数年でスターダムを駆け上がった自分の周りを包む、いいようもない感覚。自分の目指す形だけを突き進めることの戸惑いだったり、伝えたいことが思った以上に届かない歯がゆさだったりの思いがこもってるんじゃない?今の音楽がやばい (Bad な意味で)!は、たびたび星野源ANNで言ってますね。
もう1つは、霧の中という感覚は、「視覚 = 目に見える世界」にばかり頼っている状態。ここをもう少し紐解けば、世の中に対する、即物的・眼の前にはっきりと示されないと認識もできない状態の人が多いことへの警鐘なんじゃない?
「もっと、本質を捉えようよ!行間とか読もうよ!」
そんな世界・業界でだったら朽ち果ててもいいよ、ってこと。
それでも「君」を、探し彷徨いましょう。

一方、次の "闇の中で 君を愛してる"。
ここも2つ。
スターとしての重圧だったり、多忙を極めることだったりで、とってもお疲れの源さん。ラジオでも「疲れてる」ってしょっちゅう言ってる笑。あと、POP VIRUS アルバムの制作のときは、メンタル的にとても落ちた時期もあったそうよ。そんな、心理的な闇の中。そこでも、「君」を愛してるって。
君って誰?単なる彼女じゃないでしょ?自分が大好きな音楽、それをどこまでも深く理解し合える存在、聴いている一人ひとりに対するメッセージ。
もう1つは、闇 = 見えない世界 = 聴覚・音楽の世界。
「自分はこちら側から音楽を通してあなたを愛してる。届け!」
みたいな。

"刻む 一拍の永遠を"
音楽ってのはいろんな音、声、楽器の一拍、一拍の集合体で、それが集まって曲ができて、それが人を感動させて、名曲が永遠に語り継がれていく。
そんな、永遠に続く曲も元を正せば最初の一拍、次の一拍、を丁寧に紡ぐからできる。そんな、地道な作業をして、聴いてるあなたに届けたい、という気持ち。

その次は簡単に。

音と歌
インストだけでなく、歌詞を載せた歌へ、という自身の変化。
霧と波
霧ってのは、水の1粒1粒が、ランダムにバラバラに動いている。
一方波は、水や空気などが有機的に関連しあって始めて生まれる。
波の中身は粒の集合だけど、粒が集まると波になる…
そのできた波、例えば1つの曲も、新しい粒になる…
その曲や、音の波を介して、一粒一粒の人間が有機的につながりあって、新しい波を生み出す。
そんな、粒と波の無限の入れ子の中で、漂いながら、笑えたらいいね。
闇と今
ここが対応してるってことは、星野源にとっては今が闇なのかもしれない。
そんな逆境というか、音楽への危機感を感じる今だからこそ、伝えたい音楽を作る。
ってかんじかな?

3. 星野源を振り返る

"ふざけた人間なんだ"
"偏る生活を歌舞いた"
"そう君の手のひら"
"美しくクルクル返ったんだ"
ここは、星野源自身の歩み。
「歌舞く」は「傾く (かぶく) = 傾奇者」につながる、いわばはみ出し者。
音楽、役者、どちらか1本で食っていくことすら、成功するまでははみ出し物なのに、彼はその両方で傾き、今現在国民的スターになっている。
音楽的にも、日本では決して王道とはいえない、インストバンドで活動を始め、音楽の路線的にも Yellow Music という、和製 Black Music を開拓する姿勢は、強烈なはみ出し者。
この、ただのはみ出しものが、花の舞台で歌舞伎を演じるようになったこと。
そんな夢のような心境を綴っているんじゃない?
また、歌舞伎そのものが、いまでこそ伝統芸能だけど、もとを辿れば戦国時代の阿国歌舞伎であり、江戸時代にさまざまな変遷を経て今に至っている。
そうゆう、これからの日本の伝統になるような音楽を目指してるってことでは?
後の2フレーズは、歌舞伎の舞台で相手の女形が踊ってるように感じますよね。

"口から音が出る病気"

"歌う波に乗っていた"
ここは簡単に。
心臓から花が咲くってのは、音楽 = ポップウイルスが、人の心に花を咲かせるような感動を生む様子 (アルバムジャケットにもなってますね)
その、音楽に乗って伝わる魔法のような何かが、歌に乗って伝わっていく。

何かとは、愛です

4. 人類の始まりに思いを馳せる

"始まりは 炎や"
"棒きれではなく 音楽だった"

この始まりってのは、人類の始まりでしょう。
(アルバムよく見てみよう。命のつながりを歌う「Continues」、人間がいろんな回り道や失敗をしながら、楽しみを愛の中で発展してきた「サピエンス」などなど…)

何が、サルを人間へと進化させたのか?
雷や山火事で生まれた「炎」?
人を豊かにする一方で、傷つけることもある道具、「棒きれ」?

そうじゃない、音楽だ!
生き物の個体、それは1体1体は孤立していて、永遠に同じ道には乗らない。
そんな孤独な生き物が、他の個体と通信し、自分の意思を伝えるものは音。
音楽はそんな1粒と1粒をつなげるだけでなく、ウイルスのように、波のように他の個体にも伝わって、1つのまとまりを生み出す。
この「繋がりたい、まとまりたい」という気持ちにさせる音楽こそが、進化の源。
という源さんなりの解釈なんじゃない?

5. 粒、届いていますか?

"渡す 一粒の永遠を"

冒頭にも述べた、細野晴臣や山下達郎から、波の集まりであるたくさんの粒 = 曲に載せたポップウイルスを受け継いできた星野源。

今度は自分が渡す番だ。

この粒ってのは、1曲1曲のことであり、それを織りなす一拍一拍であり、はたまたその曲の中に秘められた思いのエッセンスのことであり、粒としてふるまうウイルス粒子のことであり、愛を凝縮した結晶であり…


そんな一粒を、音楽を本当に深く愛し、その人自らウイルス増殖させて、その次の世代に渡していけるような人…
そんな人にこの一粒を、渡したい。


そんなめちゃくちゃ熱い気持ちがこもってる Pop Virus。

あなたには、粒、届いていますか?

もっと深く届いて!!

6. 結局ポップウイルスって?


波の中を伝わって、人類を進化させて、今もなお誰かに伝染し、増殖して、永遠に伝わっていくもの…

、です。

おわり

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