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龍口名神社⛩️

江島神社⛩️にはよく訪れるけれど、ここ龍口名神社はまだ一度しか訪れた事がなくて、久しぶりにご挨拶に行こうと車を走らせました🚗


駐車場に着くと


お花たちが歓迎してくれました✨✨✨


いらっしゃい🤗



龍口名神社⛩️
御祭神
[玉依姫命]
 海神(わたつみ)族の乙姫様で、姉君の豊玉姫命と彦火火出見命(山幸彦)との御子である鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を育てられた神で、龍神を束ねていると言われています。又、潮の満ち干きを司り、出産や育児等の御守護もされています。玉依姫命は後に鵜茅葺不合命と結婚されて、その御子の一人が初代天皇の神武帝になられ、日本の「母神様」でもあります。その御神徳は縁結び・子授け・安産です。


[五頭龍大神]

五頭龍大神は、武相鎌倉と江の島に伝わる「五頭龍と弁財天」の伝説に登場する一身五頭の龍神です。

その昔、武蔵国と相模国の国境付近の長大な湖に五頭龍が棲んでいました。国土を荒らし、暴悪を働き、人々を苦しめ、遂には津村の湊に出て子供を食べるようになりました。

そんなある時、天地雷鳴し大地震が国土を揺るがし、江の島が湧き出し、空から十五童子従えた弁財天が降臨されました。弁財天の美しさにひかれ、思いをよせた五頭龍であったが、弁財天に戒められ、その後は行いを改めよく人々を助け慈悲の徳を施すようになりました。

その後、弁財天と誓いを(結婚)なして山と化し、人々を災害から守り、国家安泰の神「五頭龍大神」となりました。

その御神徳は国家安泰・心願成就・交通安全・縁結び等です。
 

         【御由緒】

欽明十三年(五五二年)、村人達は山となった五頭龍大神を祀るために龍口山の龍の口に当たるところに社を建て、子死方明神や白髭明神と言いました。これが龍口明神社の発祥と伝えられています。

養老七年(七ニ三年)三月より九月まで江の島岩窟中にて、泰澄大師が神行修行中夢枕に現れた神々を彫刻し、弁財天は江島明神へ、玉依姫命(長さ五寸(約15cm))と五頭龍大神(同一尺(約30cm))の御木像を白鬚明神へ納めたといわれています(これが御神体です)。この時、龍口明神社と名付けられたと伝えられています。

また、弘安五年(一ニ八ニ年)に一遍が龍の口にて念仏勧化を行った様子が、国宝『一遍聖絵』に描かれ、北条時政は江の島に参籠して、奇瑞を蒙り、龍の三つ鱗を授けられ、それを家紋としました(当社・江島神社の社紋も三つ鱗)。

いつの頃より六十年毎に還暦巳年祭が行われるようになり、近年では昭和四年・平成元年に賑々しく斎行されました。また、平成十三年には御鎮座千四百五十年祭が斎行され、この時と還暦巳年祭に限り五頭龍大神の御神体が御開帳され江島弁財天と共に江島神社中津宮に安置されます。

龍口明神社は昭和五十三年、龍の胴に当たる現在の地に御遷座され、日本三大弁財天として名高い江島神社と夫婦神社として人々に崇敬されています。

龍口名神社HP引用



歩くとすぐ左手に五頭龍様がいらっしゃいました✨


五頭龍大神


これは‼️と思い、ブレスレットと一緒に📷 



美しい🩵🩵🩵



だーれもいません


江島神社のように賑わってはいないけれど、静かにしっかりとどっしりと鎮座されておりました。



どんな時もリゲルちゃん💙
映えます✨✨✨



精麻龍ちゃんもご挨拶しました🐉



とても素敵な神社⛩️です


帰りに社務所にてこの社ならではの物を頂いてきました。



一目惚れした御朱印



やはりこの2つは欠かせませんね🩵🩷



江ノ島縁起が🔖になっています🩷



この絵本もとっても素敵でした✨


途中で4人の方とお会いしましたが、本当に静かでいつまでもここにいました。


一度車に戻りまた出向き、何度も何度も繰り返して、帰る頃に雨が沢山降ってきました😊


着いた時にもパラパラしていたのですが、帰る頃にはもうポツポツ。


途中ザーザーでした😊🐉


参道に座って精麻龍ちゃんたちと遊んで楽しんでしまいました😊


そう、幼い頃神社で遊んだみたいにね🩷🩷🩷


大人になってもまだまだ遊べる😊


ここはそんな素敵な場所です🐉🐉🐉


そして10月21日は玉依祭ですって✨✨✨


社務所で教えて頂きました😊🩷🩵💙🐉


ありがとうございます。


               🐉みぃわ🐉


3つ揃った龍蛇神のパワーは凄いです✨✨✨













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