【短編小説】No.14 この旅を終えたなら
「君は木か?」
「見たらわかるだろう」
「いや、君は木ではない。木に似せた何かだ。私を騙すつもりか?」
緑の葉を目一杯風に揺らす大木は、大きなため息をついた。
「疲れすぎているのだ。私に寄り添って少し休めばいい」
大木は言った。厳しい暑さをしのぐのに丁度いい木陰があるのだ。心地よい風も吹いている。鳥たちに水を運ばせるのも良いだろう。
「それがなんの気休めになる」
旅人は頑なだった。すぐ目の前にある木陰に入ろうともせず、水さえ求めようともせず、ただひたすら乾きに耐えていた。
「なんのために旅を続けているのだ」
旅人に尋ねた。その苦痛の先に何があるのかと。
「意味などない。幸せになりたいだけだ」
「君は不幸なのか?」
日向でうずくまる旅人に尋ねた。すると旅人の目に光が宿り、そして話し始めた。これまでどれほどひどい目に遭ったか、どれほどに辛い生活だったかを。湿気が絡みつくこの暑さよりも不快な熱を発しながら話し続ける。すぐ側に居る大木など見えていないかのように話し続ける。
どれだけ丹念に説明をされても、大木にはわからなかった。「私には何もない」という旅人の気持ちが。何もない世界などあるのだろうか。
「何もなければ生きてはいないだろう」
大木は言った。大木には空気があり、日光が注ぐ。鳥や虫たちが葉を毟ることはあるが、彼らも生きているのだ。そう話すと旅人は怒った。
-そういうことではない、と。
「愛してくれる人もいなければ、豊かに暮らすだけの金もない。友達は去った。私には生きる価値も意味もない。安らげる場所はないのだ」
大木は驚いて言った。
「私は友ではないのか?」
そして悲しくなった。
「たった今安らげる場所は目の前にあるだろう」
額に汗した旅人は体を硬直させた。
「君は友ではない。第一、出会ったばかりだ。信じられるわけがないだろう」
「ではどれくらい経てば信じられるのか。これまで出会った友はすべて初対面だったのか」
旅人は言葉に詰まった。その姿をじっと見つめる。猛獣に出会ったとしても、食われる心配もないほどに痩せこけた体は、これまで癒やすことを知らなかったのだろう。日に晒された体は色褪せ、哀れに乾ききっていた。
「友であるかはどちらでも良い。ただ、目の前にいる私はあなたのことを心配している。あなたが求めているだけの助けにはならなくとも、心配している」
硬直していた旅人の体が少しだけ緩み、やがて恐る恐る木陰に身を沈めた。大木を信じたのではなく、ただただ限界だったのだろう。途端に眠りに落ちた。もう何年も眠っていなかったかのように深い深い眠りに落ちた。
心地よい風が大木の葉を揺らす。小鳥たちがさえずっている。よく聞けば小川のせせらぎも聞こえる。それはまるで、昔母が歌ってくれた子守唄のようだった。
旅人はたくさんの夢を見た。そのほとんどは幸せな夢だった。つらい出来事をなぞる夢でもあったのだが、幸せな夢だった。なぜなら、辛く孤独に耐えていたと感じていた己の背中を見つめる陰が見えたからだ。
「そうか。愛してくれていたのか」
大木にも聞こえないぐらい小さな寝言だったが、なぜだか大木は嬉しくなった。旅人の目に溢れた雫が、とっくに乾いたはずの体を緩やかに潤していく。
目が覚めたら、旅人は帰るべき場所へ帰るのだろう。旅を終え、土産話を担いで。
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