見出し画像

23歳の将来について

梅雨初めの気候のより気分が憂鬱で最近の寝不足のせいなのか、目はヒリヒリ乾いた感覚がするし胃は二日酔いの後の焼けたような気持ち悪さで身体を包んでいる。

ここ最近、自分はずっと憂鬱である。
別に嫌なことがあったわけではない。
取り立てて何もしていないでいる自分の人生に焦燥を感じることも、もう最近は無くなっているのだ。
今はただ、漠然と、とてつもない何か嫌気のようなものに襲われている。

自分がまともな人間ではないのは自覚している。が、特に何も考えず楽しそうに生きてる人よりかはずっといいと思っている。これは卑屈だろうか
僕には何か決定的なものが欠けていて。それは何をしても決して埋めることは出来なく、もうそれが何なのかすら分からない。そんな気がする。

今の自分の頭の中を言葉にしてみるとこんなものだ。

暇、退屈、何も面白くないし、何もしたくない。齢23にして既に人生の消化試合に突入してしまったとこの頃よく思う。

昔の自分は、というか人間誰しも若い頃は自分には何かしらの才能があって、自分にはすべきことがあって、それを成すべきだと思っているだろう。僕はそう思ってた。

結局。僕は何者でもなかった。それは大多数の人も同じであっただろう。

僕意外の殆どの人はそれを理解し、受け入れて、そんな自分を認め、愛し、必死に社会の歯車を気持ちよく担ってる。きっとそれが大人になるという事なのだろう。
よく気が狂わないものだ。

もう、大体の生涯の流れは読めてきた。

あなたがいきなり本を渡されそれを読んで前半2割を読んだところでその本のつまらなさと結末に気づき、残りの8割を楽しみに思うだろうか?

ただこれは人生である。次のページからは面白くなるかもしれないし自分の手で変えことができるかもしれないと思であろう。

そんな希望とか言われてるものを、僕は縋り付くわけでもなく。期待してるわけでもなく。ただ捨てきれずに退屈な人生の片隅に持っている。

実際あるのはあるのはどこまでも現実であり真実だ。

明日はいいことある。続けていればいつか報われる。そう思って耐えているのだろうか?
もしくはもうそんな事も思わずただ惰性で毎日辛い思いをしているのだろうか。

もうそれはギャンブルに依存している人の心理と同じだろう

つまり皆んなは人生に依存してるとでも言うのだろうか?

こんなことを考えず生きれたらどれだけ幸せだろうか。


なぜこう思うのか、こんな考えになったのか。それはまた別の機会に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?