『釈然としない」を使う機会

我が子が遊んびょるおもちゃを他の子が欲しそうにしよったらかなり多数の親御さんが「どうぞってして」って言うと思うが、

それは『ちゃんと子育てしよると周りから評価されたい』という、それこそ承認欲求から。
この先も一緒におることはおそらくない赤の他人の評価を気にして自分の子に我慢させるこたないよ。

ウチのちんは「おやにきいてきます」とか言うてしまうちょっとおかしい子どもやったんで「おまいは自分のしやわせを他人に委ねるヘタレなんかいw」「親にケツもちさせんなやw」と追い返し続けた結果、「いまあしょんでます」「あきるまでまってくだしゃい」が言えるさらにおかしい子どもに育ちましたwww

でもさぁ、
「ウチの子が欲しがるんで手作りのおもちゃやめてください」言われたんは腹立つとかあきれる以前に「ほな売ったろか?」ってビジネスチャンスやとしか思えなんだでwww

『釈然とせん』で思い出した。

確か、
ウチのちんが『釈然とせん』て言葉使たんは、5歳の冬。しかも正月元旦やったと記憶する。

それ以前に、
『釈然とせん』体験をしたんは2歳ん時やと言う。
「面識もないガキンチョとその親(←本人談)に現在鋭意没頭中のおもちゃをよこせと言われ『親が買うてくれたもんやから親の管理下にある親の資産であるからして、ゆえに親に所持権の移動の是非を伺わな』と考えたらしい。

嗚呼それなのに、
親(←オイラ)ときたら「おまいは自分のしやわせを他人に委ねるんかいw」ととりつく島もなく。
結局、
その面識もないガキンチョとその親におもちゃを持っていかれてしまう。
2歳なりに悲しい気持ちを慰めてほしかったらしいが、ちんのまぁまぁの不幸はこのオイラの腹から生まれてしもたことである。

「おまい、ヘタレやの」
「取られてつらいなら嫌やと言えなあかんのやぞ」
「ゆえに、今回はおまいの甲斐性が足りなんだオチや」

2歳、心底かなりやさぐれたらしい。

ち「あたしはその瞬間、譲り合いの精神を捨てたで」

そして2歳は2歳なりに考えたらしい。
「もしかして、親はあてにならんのでは?」

オイラはできることなら『母親の集まり』とかいう集団に身を置きたくないのだ。
なんで子ども同士のトラブルのケツもちをやらされなあかんのだ。

当時のオイラはちょうどかじり始めたcgiやQVCが楽しすぎて、なんか思いつくたんびにケータイのメール画面にせっせとコードを打ち込み、せっせと自宅PCに送り続けよった『おまいこそココ(子育て支援センター)になにしにきたんじゃ』な馬鹿親でありまして。
(まぁ他人の揚げ足取ったり目下をこさえて陰口言いに行ったりしとらんことだけは確かやの)

また2歳は2歳なりに
「変わった金の稼ぎ方やな」と思ったと言う。

2歳が5歳になった正月、
とうとうオーバーブロットが発生した。

「ほのかはかーちゃんがなにを言よるのかわからないんてスっ!! なにを言よるのかわからないから釈然とせんのでスっ!!」

どうした突然。OSの更新か?

ちと話が前後するが、
2歳をちょい過ぎたあたりでもちんはOSの更新を起こした。

前の日まで
「にゅんにゅ、いるど。120ど(牛乳がほしいので120cc計ってチン☆してください)」と拙いながらも要望を伝えてきよったもんだが、

その日から
「牛乳を150ccください」

キターーーーー!!!

おまい朝が来ても起きてこんし、ワンワン(いないいないばあっ!)もおかいつ(おかあさんといっしょ)も見んとオモタら、
どたまんなか、アップデートしよったんかい!!
にゅんにゅは牛乳に!
120は150に数増えて認識されとるやないけ!

そのあたりからこの幼児と会話に困った覚えがない。

話は戻る。

「どこのどのあたりが釈然とせんのか、言葉を尽くして話合おうか」
「まずほのかはかーたんがなにを言よるか理解できませんッ!」
「なるべくひらたい日本語で会話しよるつもりやけど」
「そうではなく!」

まぁ、ざっとまとめると、
『普通の子どもは親がなんでもしてくれるはずである』
『なのに親が外患からかばってくれた記憶がない』
『この先もひとりでやっていかなあかんのはつらすぎる』
『妹(←ぶん)も抱えてナニとどうやって戦えと!?』

結果、
「がんばってください」としか言いようがなかった。
「がんばらないかんのですか」
「はい。がんばってください」
「がんばれなんだらどうすんですか」
「がんばれなんだらトンズラこいてください」
「逃げてはいけないと思います」
「どうぞ、逃げてください。おかんは貴様ちゃんがどこがで元気に楽しく暮らしてくれよりさえすれば些細なことに条件は設けませんので」

5歳の正月の思い出、コレか。
なかなかハイブロウやぞ。

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