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陸上競技(長距離走)を志したきっかけ

3ヶ月ぶりの更新になる。
今日は、自分が陸上競技、特に長距離種目を志したきっかけについて触れたい。

陸上競技を志すきっかけに触れる前にまず、野球を始めたきっかけについて触れなければならない。

自分は、小学2年生から土佐清水市の少年野球チームで野球をやり始めた。

野球に興味を持ったのは、小学1年生の運動会の翌日だ。これは鮮明に覚えている。
当時自分は遊戯王というカードゲームにハマっていて、初めての運動会が終わったら父親に遊戯王のカードを買ってもらう約束をしていた。

遊戯王のカードを買うつもりで行った近所のおもちゃ屋に行くと、お目当てのカードコーナーの隣にプロ野球選手のカードゲーム(野球盤のカードゲームバージョンといったイメージのもの)が置いてあった。

それまではプロ野球放送があっても見向きもしなかったのに、その日の自分にはプロ野球選手のカードがとても神々しく目に入ったことを記憶している。
(2002年のプロ野球を彩った選手と言えば、ヤクルトの古田敦也選手や高津臣吾選手、巨人の松井秀喜選手、西武の松井稼頭央選手や松坂大輔選手などなど)

結局、遊戯王は買わずに、プロ野球選手のカードを買ってもらい、家に帰った。
家に帰ると同時に、倉庫から古いグローブとバットを引っ張ってきて、その日から野球漬けの毎日が始まった。
毎日近所にある壁という壁で壁当てをしたり、素振りをしたり。。。

野球を始める前までは、運動は得意ではなく、運動会のリレー選手にもなれなかったのだが、野球を始めると、どんどん足が速くなり、学年で1.2番くらいの走力が身に付いた。

足が速くなると、自分に自信が持てるようになった。
野球と走る事では誰にも負けたくないという思いで毎日過ごしていたように思う。

そんな野球少年だった自分が「走る」ことに衝撃を受けたのが、2007年の第83回箱根駅伝でMVPを獲得した、今井正人選手(順天堂大学4年)と佐藤悠基選手(東海大学2年)の2人である。

5区を走った今井選手は、2年生で11人、3年生で5人、4年生で4人を抜き、2回の往路優勝に貢献、3年連続の区間新記録を樹立する走りで、「初代山の神」と呼ばれた。

1区を走った佐藤選手は、スタート直後から飛び出し、途中痙攣で両脚を攣りながらも2位に4分近くの大差を付ける空前絶後の走りで、区間新記録を樹立。

この2人の走りに衝撃を受けた一番の理由は、教科書のような美しいフォームである。
今井選手も佐藤選手も腰高の美しいフォームで箱根路を華麗に走り切る姿に当時、小学5年生だった自分は完全に魅了されてしまった。

今井正人選手
佐藤悠基選手

箱根駅伝の中継が終わった後、この2人の選手の走る姿を頭の中でイメージしながら、親から頼まれたお使いで郵便局まで走りに行ったのを覚えている(笑)。

ここまで長々と書いてしまったが、自分が長距離走を志したきっかけは、今井選手と佐藤選手への憧れからである。
この憧れの2人の選手が現在も現役でばりばり走っていて、来月のMGCに出場することは、とても嬉しいし、これからもずっと走り続けてほしい。

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