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瑞聖苑 黄金神殿(穴太弥勒殿)鎮座祭

出口王仁三郎の義弟の遺言が実現。

王仁三郎の義弟の西田元教翁は晩年に、「みろく様(王仁三郎)の生まれた穴太(亀岡市曽我部町穴太)へみろく殿を建てんとみろくの世は来んで。大本の役員が時節が来ても気が付かん時はお前(身内の森恵昭氏)一人ででも、たとえマッチ箱のようなものでもよいから建ててくれ」と言い遺したという。(泉田瑞顕著『出口聖師と一厘の仕組』)
また、口伝によるとその宮は「金の御宮」でなければならぬという。

森恵昭氏は穴太弥勒殿建設を実現できぬまま先年、亡くなってしまわれたが、この度、田上雅春氏の尽力により穴太弥勒殿が建設され、本日2023年旧3月3日(新4/22)に鎮座祭が無事、執り行われました。

西田元教翁、森恵昭氏、田上雅春氏はいずれも同郷(和歌山県みなべ町)で親戚関係。
世代を超えて伝承され実現した穴太弥勒殿建設に、神の守護の深さと時節の到来を感じざるを得ない。
穴太弥勒殿の正式名称は田上氏により、『瑞聖苑 黄金神殿』と命名される。

続いて新5月5日13時からは鎮座奉祝祭が執り行われますので、参列希望者は御一報下さい。詳細をお知らせ致します。

《西田元教翁について》
紀州みなべ出身の西田元教翁は、若くして亀岡の鍛冶屋へ弟子入りしたのが縁で王仁三郎の妹・ゆきと結婚。
腕の良い鍛冶屋だったので同業者に妬まれ、呪詛をかけられて瀕死の重病を患っていたところ、王仁三郎に命を救われる。
これが契機となって大本に入信。開祖(出口なお)主体だった大本草創期において、忠実に王仁三郎に仕えた。
大正13~14年頃に王仁三郎からある秘命(神宝の護持)を受け、大本教団を離脱し、妻とも別れて大阪に隠れ住んだという。
王仁三郎は「西田を殺せ!」と息巻いていたそうだが、もちろんこれは王仁三郎の演技である。
迫りくる大弾圧に備え、喧嘩別れしたことにして、重要な神宝を託したのだろう。
元教翁は後に神勇会という信仰団体を組織する。
表面上は伊勢神宮を信仰する団体だったらしいが、内容的には大本の教えを踏襲していたようだ。
神殿の脇には王仁三郎から預かった神宝を奉斎し、災害時には主祭神の御神体ではなく、その神宝を持ち出して避難したという。
王仁三郎から託された御用に一生を捧げた元教翁は昭和33年3月3日、自身の最期を予告して83歳で昇天。

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