いつも死が身近にあった祖母について

を読んで。

祖母はそれほどいい性格ではなかった。
いつも怯えていて、それでいてがめつくて、自分はいつも充分に満たされているべき、そのためには周りの人に犠牲を強いても構わない、という人だった。口癖は「泥棒に刺されるよ!」だった。僕ら孫たちはいつも怖がらされていた。

でも大人になるにつれ、その理由が少しずつ、まずは頭で、それから身体に染み込むようにわかっていった。

祖母は幼いころから死に包まれて生きて生きた。14歳のときに両親が死んだ。16歳で妹が死に、24歳で弟が(戦争で)死んだ。3人いた子どもは真ん中の1人が2歳で亡くなり(僕の叔父にあたる)、夫、つまり僕の祖父も、僕が生まれる前に死んだ。宝塚女優を家に呼ぶような裕福な家庭の中で、祖母は、いつも「大事な人な逝なくなってしまう」恐怖に怯えていたんだと思う。

僕の父は極めて独立精神の旺盛な人だったが、祖父が死んだとき、発狂しそうになった祖母を守るため、親族会議で、祖母と暮らすことを命じられた。だからウチは3世代が住んでいる家だったが、父と祖母の間柄はいつもギクシャクしていた。父はつねに祖母を恨んでいるようだったし、祖母は父を自分の所有物だと考えていた。

でも、祖母が認知症になってから、その関係が変わった。

父は、今までと180度変わって、献身的に祖母を介護した。できるだけ良い老人ホームを見つけ、祖母がホームに入った後も、1日起きに祖母の元に通い、もはや誰が息子なのかすらわからない祖母と、車椅子で散歩にでかけていた。

ある日、小さなお祭りで、何かささいなことがきかっけで、祖母と父が互いに大笑いした。
そんな光景を見たのは、僕は生まれて初めてだった。2人は、互いの目を見て、おかしくて仕方がないという風に、いつまでも笑っていた。

奇跡みたいだと思った。何十年かかったのかわからないけど、「祖母と父」という関係性に横たわる大きな課題が、報われた、全ての障害が乗り越えられ、あるべき位置にようやくたどり着いた、と感じた。

祖母はその数週間後に亡くなった。92歳だった。

さて。

ウチも高齢出産です。だから、いつも「子どもが○歳のとき、僕と妻は○歳で……」というのを計算しています。頭で考えてもあまり希望はありません。だから、僕が今できること、つまり愛情を思いっきり注ぐこと、大好きだよと伝え続けることをしています。それがどれだけ役に立つかわからないけど、それしかできないから。

昨日娘が「ウチのパパは他と違う。パパは普通、お仕事が忙しくて帰るのが遅いけど、ウチのパパはわたしたちに会いたいから早く家に帰ってくる」と言っていました。とりあえずは成功しているようです(仕事を犠牲にしないように気をつけなきゃいけないけど!!! あと最近はほぼ毎日子どもが寝てから帰ってるので反省……)。

とりとめないですが今から取材なのでここで切ります。嘉島さん、いいお話ありがとうございました。

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