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乗り越えられない

突然だけど、私は山を見るのが好き。

登るのはあまり、挑戦したことがないけど。

遠くにある木々のかたまり、季節によって変わるその肌の色、大仰な大きさでなくてもいい。変わらずそこにある姿。

地方に住んでいた時、山がこんなに素敵なものだと本当の意味ではわからなかった。

ただ目を向けたらそこにあって、いつも何も言わずに、優しい緑を湛えていた。

太陽光発電パネルが、私が幼い頃から眺めてきた山々に設置されるようになって、たくさんの伐採が行われていく様子。実家に帰る度に、山々の本来の姿が削られていくのを悲しい悲しい思いでみている。

山の命からしたら、太陽光パネルの寿命なんて、一瞬なものなのに、人の力であっけなく奪われていく。山は文句を言うことも無く、自分の場所を明け渡す。木を切られても、ただ黙って枯れた山肌を悲しげに見せる。

関東には山がない。東京はどこまで行っても建物。つまらない。東京には、なんでもあるように見えて、本当はなにもない。

小さい山に分け入って、知らない誰かのお墓参りをそっとして、山の神様ありがと〜と言ってどんぐりを拾ってお散歩して帰ることも。

遠くの山を眺めながらドライブすることも。山を見つめながら温泉に浸かることも。山のふもとで何も無いところに寝転んで、寒い中星を見ることも。

ここでは、なかなか叶わない事になってしまった。

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「神様は乗り越えられる試練しか与えないよ」と励ましをうけたことがある。

ただただ、苦しくなった。ちっとも励まされやしない。

私はその時、言葉の意味を正しく理解していなかった。言った人もわかっていたかどうか。

乗り越えられる試練しか与えないというのは、乗り越えたくないものに、しがみついて取り組まずとも良いということだ。

乗り越えたくない試練は、あなたの試練ではないから。乗り越えなくても、ゆるされる。

ただただ、人に意地悪しないとか。身体がだるくてもなるべく、怠けないとか。最低限の大切なことを守って懸命に生きてさえいれば、ゆるされる。

ゆるされることに、驕らずにいれば。

乗り越えたいと思うことには、力を尽くせばいい。乗り越えたくないのに、これは私の試練だから…と思わなくてもいいんだ。


エチカ





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