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Day12 自分の得意なこと

仕事をし始めて2年が経過した。
「最近やっと自分の居場所を見つけた感じがするね」と、他部署の上司に声をかけられたときに、そうかもしれないと少しだけ思った。


会社に入るときに、仕事ができる人はたくさんいるだろうけれど、その人たちの真似をするのではなくて自分なりのやり方を見つけようと決意した。学ぶことは、すべて真似から始まるとよくいわれる。でも、真似とはいったん自分を他人の場所に仮置きするようなことだ。

仮置きの状態ではうまくいかないと分かっていながら、位置を探るために一旦そこに腰を下ろす。
そう考えると、やはり私は真似をすることを嫌う。

素直ではない方法だけれど、私が一番楽に過ごすためには、私がオリジナルである必要がある。他人の使い古したクッションの上に座って居心地が良いわけない。それならば立っているほうがマシ。いつか自分のクッションが完成したら座ればいいから。


そんなわずかな反骨精神が私の生きるモチベーションだと思う。集団のなかや、世界のなかで個であろうとする。そういうふつふつとした怒りがなくては、私は私でいられなくなる。もういいや、と諦めて死んでしまいたくなるだろう。

この2年で心もちの変化は様々なところで起こったが、その一つに軸の考え方がある。
以前の私は、軸をふたつ持つことで自分の公私のバランスを保っていた。(軸が2つってなんかウケるけど)

しかし、最近は軸がひとつにまとまってきたのである。これは無意識的なもので、自分でも驚いていることだ。

軸足をふたつ持つというのは、会社での私とは全く違う顔の私を(要は裏の顔を)もつということだ。趣味をもったり、違う性格になったり、服装を変えたり、ペンネームなどの違う名前をもったり。


二つの私がいることで、それぞれが互いに支えられているような気がした。どちらが本番というわけでなく、平等に大切な場。

ただ最近はいい意味で公私がごちゃまぜになってきた経緯もあり、より肩の力が抜けて過ごせるようになった気がする。公私の境目が曖昧になることは、自分の予想以上に心が動いた。好きな物を、好きなひとに知ってもらうことは嬉しかった。

仕事をするときにも、少し「楽しい」と思う気持ちや自分の性格上の得手不得手を出してよいと分かり始めた。基本的に仕事なら楽しくないこともなんでもやるけれど、楽しいことにはわくわくしていい。

プライベートに、仕事モードの「できる私」を用いれば、よりやる気がでて色んなことに挑戦できたりもする。なにより、自分の人間味を理解し始めたというのが大きい。誰にでも優しくすることはできないし、仕事量のキャパもある。時間の制限もあるから、定時後には遊びに出かけたい。むかつくことがあったら、私の得意なことがその人は不得意なのだな、と許したり、すこしは納得できるようになった。


「どうでもいいか」と思えることが増えたら、「こうしたい」と思えることも増えた。自分の手に負える範囲が広くなってきたからだろう。どうすれば正解かというのは、ほとんどの場合なくて、その人の判断に結構委ねられている。それが、いつも割といい加減に判断されている、適当さの正体みたいな、世界の秘密を知った。


完全に白を選べることなんて、そうそうない。
だからこそ、人と話してその着地点をすり合わせていくこと、相談することは楽しい。いいね!と分かり合えると嬉しい。

私は得意なことがたくさんある。
人と深い話をすること、人に今必要なものがわかること、優しく接すること、にっこり微笑むこと、歌うこと、字と文章を読むこと、その人の言いたいことがわかること、大事なポイントがわかること、おいしいものがわかること、おいしいものを作れること、しようと思えば極限集中できること、たくさん寝ること、人が話しやすいように質問できること、のんびりすること、きれいなものがわかること、心のこもった言葉を発すること、沈黙が大切なときに沈黙できること、状況を前向きに考えられること、よく考えて動けること、長期スパンでやりたいを叶えること、意地悪な発言に嫌悪感をもてること、自分なりの生き方を探すこと、よく分析すること、、、、、挙げ始めたらきりがなかったのでこのへんで。


エチカ

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