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マイペースを極める

なにも成し遂げていないのに、どんどん年をとってしまい焦る。いつも、尊敬する友人たちと話をすると、自分の物の知らなさに絶望する。誕生日が来ることに喜ばなくなった大人たち。その仲間に私も入ってしまうと、認めたくない。そんなの、とっても悲しいではないか。

なにかを極めることができれば、専門家としてそれを生業にできる。技術を磨き、手に職をつけている人に、絶大な憧れがある。「そんな人、一握りだけだよ」と言われるかもしれないが、一握りにしては、体感として、周りにもけっこう多い。


SNSで誰もが自分をプロデュース・発信できる時代、「こんなことを職業にしているんだ!」という人が増えた気がする。素敵でかっこいい人ばかりで、また焦ってしまう。羨んでしまう。

なにかを極めた大人になりたいな~。私には何ができるんだろう……とぼんやり考えた結果、だめだ、なにも思い浮かばなかった。

ただ、私が私を極めることしかできないと思った。

私が私を極めるとは、今のところマイペースを守ることだ。それは、自分の好き勝手やればいいもんじゃないし、天然ゆるキャラでいることでもない。誰かを振り回すことでもない。


自分のペースで、自分が心地よいことだけをして生きていくって相当難しい。どうしたって、社会の決められたペースというものはあるので、遅刻はなるべくしてはいけないし、締め切りにだって追われる。部屋は散らかさないで生きていかなくてはだし、スキルアップもしたい。

しかし、だれかと共存していくためのルールのなかでも、自分のペースを守ることはできる。たとえ、歩く速さ、物理的な速度は変わらなかったとしても、自分の心のスピードを心地よく保つことはできると思った。

ちょっと急ぎで終わらせなければいけない仕事がある。あと5分追い込めばキリがよい……というところでも、私がひと息お茶をのみたいと思えば、お茶を優先する。

提出しなければいけない書類がある。本来の納期より、先に自分の中での締め切りを作っておけば、自分のルール内で急ぐことができる。誰にも急かされない。

誰かに話をきくとき、その人のテンションや、速さに合わせて耳では聞くかもしれない。でも、その場で本当に理解できなければ、急いでわかったふりをしなくていい。「今はわからなかった」と言うとか、恐れずじっくり質問するとか。あとでゆっくり反芻すれば、より深くわかることもある。

だれかに向って自分の話をするとき、「ああ、この人には私の言っていることが通じていない…」と悲しくなることもある。早合点されたり、私の言葉が足りなかったり。


それは、自分が無理をして伝えようとしているからだったりする。自分に原因がある。その時の流れの速さ、その人の質問の仕方に捕らわれてしまうと、なかなかうまくいかない。

必要なのは、いつだってマイペース。
私は私の言葉で、どんなに周り道でもいいから私の伝えたいことを根気づよく話すこと。それでも伝わらなかったら、そっと微笑んで、いつかわかってもらえるように祈ること。

おかしくないところで、無理に笑わなくていい。その場で笑わないという選択をした自分がかっこいい。

悪くない時に「すみません」と言わなくていい。

「がんばります」と誰かに向けて言わなくていい。ズルをしないことだけ、そっと自分に約束すればいい。


ただ、やるべきと思った時、手を差し伸べるべき、声をかけるべき時、自分の思いを伝えなければいけない時に、「ほんとうのこと」が言えるように、そのためにも、エネルギーを無駄にはできない。

それが、私が考える「マイペースを極める」だ。

これを極められたら、どんなに生きやすくなるだろう。誰と比べる必要もなく、私自身が私を誇れるようになるだろう。周りの人へも、優しくなれるだろうと思う。


エチカ

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