万歳わがまま放題
2023.3.14(火)
わがままを存分に言って生きていたいようなところがある。
嫌いな人はどうやっても嫌い。
実家には帰りたくない。
食べたくないものは残したい。
構われたいけど、ひっつかれたくない。
私の2大めんどくさいポイントである、我の強さと、負けず嫌いが合わさったその地点に、「わがまま」がある。
努力してはやく大人になろうとした時期があったからか、普段背伸びをしてかっこつけているからか、私の中の一部分はとても子どもっぽい。みんなそうなのだろうか?
ただの意思の強さならまだよいが、「わがまま」には矛盾や、論理の破綻が付随する。
嫌いな人が、自分にどうよい効果を与えてくれようとも、「嫌い」が覆ることはない。
実家の母に親孝行はしたいが、帰りたくはない。
食べたくないものは、どんなにもったいなくても食べたくない。(これは言い過ぎかも)
人に構ってほしいけど、相手が構ってほしいという態度には気づかないし、干渉はされたくない。
笑っちゃうくらい矛盾していて、自己崩壊にあふれている。こんなことを考えているだけで、うあ~!と床に転がって叫び出したくなる(幼児退行)。
春だからか、冬眠していた気持ちたちが一斉にうごめいている感じで、走ったり、歌ったりしてエネルギーを逃がさないと、なにか犯罪でもおかしそうな気分である。露出狂とかがよく出る季節なのもわかるな。あれ、それは夏だっけ。
ムーミンのキャラクターではリトルミイが1番好きだ。気に入らないことがあれば、丈夫な歯でがぶっと嚙みつく(物理的に)。「そういうところ、あんた馬鹿ね」とハッキリグサッと言う。
たぶん、そんな風に生きていたら、社会人としてはやっていけないと思うけれど、そういうマインドをひそかに持っていたいとは思う。そして、実際そこそこは持っている自信がある。
最近、脳裏をよぎるのは「それはそれ、これはこれ」という言葉。自分のやるべきことに力を尽くすけれど、それ以上は無理。やってもらったことにも礼を尽くすけれど、それ以上は無理。
相手が、私の行動について、なんらかの過不足を感じることがあるかもしれない。「こんなにやってあげたのに、どうして」と。でもそれは、あなたの基準だから!とハッキリ言ってやりたい。
私は私の基準で、返すべき線のところまでぴっちり恩を返して、次へ進みます。あなたのために立ち止まっていることはできないので。
悪いことしてないのに「すみません」と言わないことが、昨年の目標だったけれど、全然守れなかった。そういう心持ちになれなかったからだ。どこかで、やはり後ろめたい気持ちや、恩を借りっぱなしになっている気がしていたからだ。
今年は気持ち的にちょっと違う。「それはそれ、これはこれ」という言葉を胸に、でもむやみに人を傷つけたりはしないで、にっこり笑って我を通していきたい。矛盾してて、それがわがままだと思われても、そこが私という人間に与えられた並のラインだ。
なんて強気で書いたけど、こんな気持ちでいられるのも、期間限定かもな~。なにせわがままには、矛盾がある。つまり、持続性や一貫したルールが、ないのである。心変わりありきです。
エチカ
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