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お腹に落としていく

先月の仕事には余裕があって、一度も体調を崩すことなくひと月を終えようとしていた。しかし、自分が気づかないうちに溜めているストレスの方が恐ろしいもので、仕事がひと段落した途端急激に体調が悪くなり、胃腸が働くのをやめてしまった。

よくよく思い返せば、その前の週あたりから、出かけた先でも食欲がなくて食事をすべて食べ切れないことがあった。大好きなお寿司を食べに、一人回転寿司に行ってもぜんぜん楽しめなくて(たぶんそれは一人が寂しいせいもあったが)、数貫食べただけでお腹がいっぱいになってしまっていた。「気が付かなかっただけで、前兆はあったのだな……」とお腹の鈍い痛みがずっと続くなか、身動きがとれず、重だるい身体をベッドに沈ませることしかできなかった。胃腸炎である。

なんとか市販薬を飲み、in ゼリーだけの生活を2日半ほど続けながら働き、ふらふら乗り切った。

お腹って体の中心にあるし、とっても大事なんだ、と改めて思った。


私のお腹が弱いのは母からの遺伝でもあるようだ。母はたまに胃腸炎で微熱を出し、仕事を休みますという連絡をしていた。その原因は大抵、酢玉ねぎ、キムチ…そんなものを食べすぎてしまうことからだったが、いつも元気な母がこの時ばかりは身動きもとれず、寝込んでいたのを印象的に覚えている。


以前、なにかで七福神の布袋様について読んだことがある。

七福神のなかで唯一実在した人物といわれる、布袋様は唐の時代ごろの中国の禅宗の僧侶だったそう。杖をついてあちこち歩きまわって、喜捨を求め、受け取ったものは袋に詰め込んで歩いていた。恰幅のいい太鼓腹と、福耳が特徴的だ。どうやら、占い師として才能にあふれたひとだったようで、人の吉凶を見事に当ててまわっていたという。

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その布袋様がなぜ、このような太鼓腹をもっているのかというと、人々の苦悩の気持ちや、怒り、やるせなさ、割り切れないもやもやをすべて腹に落としていたからだという。

「腹に落ちる」という言葉、なにかに深く納得してなるほどと思う瞬間は心地よい。本当は納得していないのに沈黙しなければならないことも、世の中には多々あるが、こんなときは腹のあたりがムズムズするか、頭や胸がカッカとしてしまい落ち着かない。


私は趣味でタロット占いをすることがある。占うときは、対象の人の人生や気持ちに焦点を当てて、そこにピタッと意識を重ね合わせる。

夢の続きを見ようと思って、意識の向きを調整する感覚と似ている。私のは素人の趣味程度だが、本当に占える人たちというのはきっとものすごい情報量がなだれ込んでくるのだろうと思う。恋愛やお金のこと、見栄や欲や、意思、自我の強い人、生命力の強い人、拘りのない人、トラウマ、罪悪感、アンバランス、良い人の悪い癖、悪い人のお人よしな部分、、、、

白か黒かでは分けることのできない「information」としか言いようのないもの。それらを全部受け止めて腹に落としていたら、あんなお腹になるのだろうか。


唐の時代の中国の人々がどのような悩みを抱えていたかはわからないが、きっと人間の基本的なところはどの時代の、どの場所でも変わらないだろう。


最近の私は食欲の秋に乗じて、美味しいものについて考えて、食べて、またなにを食べるか考えて…という日々を過ごしている。

久しぶりにヨガにいったら、筋肉という筋肉が衰えてしまい、お腹がぷよっている自分に絶望したので昨日から本気で腹筋を再開した。

布袋様のようなお腹をもち、寛容な人にも憧れるが、まずはスタイリッシュな体型で、私の体幹が姿勢とメンタルをすっくと支えてくれることを祈る。

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お腹が痛くなったらききたくなる、カネコアヤノさんの「祝日」


エチカ

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