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猫と私。

一日のほとんどを寝ています。
とりのささみや胸肉が好きです。
けっこう綺麗好きです。
時々一緒に遊んでくれます。
そして、もうすぐ16歳になります。

すべて猫の話です。祖母の可愛がっていた猫でした。
つい最近、そんな猫を引き取りました。
引き取るにあたって色々と悩みました。今もそこそこ悩んでいます。
私には、高齢に伴う症状のケアと、おそらくそう遠くはないときにくる「お別れ」に向き合う自信がなかったからです。

そんな、猫と私の話。

16歳は人間で言うと70とも80ともーだいぶ高齢です。
先日、子猫の頃の写真が出てきました。手のひらに収まるくらいの小さな命が、いまや座布団いっぱいに平べったくなるまでに大きくなりました。
元気いっぱいだった猫も、昨年初頭、とうとう慢性腎不全を診断されました。腎臓がうまく働かなくなる病気で、老廃物が身体に溜まりやすくなってしまう病気です。完治することはありません。高齢猫には珍しいことではないそうです。
押し入れや椅子には飛び上がり、食欲は旺盛で、今のところ粗相もしたことがない姿からはなかなか想像できません。血液検査の結果表を知らなければ普通に元気な猫です。
「動物は自分の不調を悟らせないので、普段からの観察がとても大切です。『いつもと違う』と思ったら病院に相談してください」
獣医さんにそう言われるも、そもそも暮らし始めて半年にも満たない。
この猫の「いつも」が私がみている「いつも」で大丈夫なのか、よく分からないのも大きな不安でした。
尿や排便の量、形、回数、食事のとりかた、眠り方、歩き方、鳴き声ひとつとっても、心配要素なのかそうでないのかがわからない。今まで猫と暮らしたことがない私。いわんや高齢猫のことなんて何一つ知らないのです。そんな人間側が猫を引き取ってよいのか。そんな私がちゃんと「いつもと違う」に気づけるのだろうか。もしや知らないうちに苦しい思いをさせていたらどうしよう。自分の無知が猫を殺すのでは。引き取ることを決めたあとも、そんな不安が大きくのしかかります。

猫の行動や不調のサイン、病気、感情表現などネットに上がるたくさんの情報に安心したり不安になったり一喜一憂。
いわゆる猫の「ゴロゴロ」の音も、これがそうなのか最初判断できず、さらに「快感」と「不快」両方の意味があると知って戸惑うくらいでした。自己主張をほとんどしない猫だったので、私の存在がストレスになっていないか、それもまた心配のタネでした。
そんな私がこの猫のために「正しい」処置ができるのだろうか、と不安は膨らみます。猫は環境の変化に敏感と聞きます。長距離移動に、ぐっと狭くなる新居。人間の都合で与えられる変化に罪悪感もありました。
今回、祖母の家から新居に移る際、木の椅子を二脚持ってきました。祖母の家で過ごしていた際、私がリビングの椅子にいると、猫も隣の椅子に座ってよく寝ていたからです。
「一人暮らしの狭い部屋に本当に持っていくの?」と母から心配されましたが、少しでも馴染みのあるものを持って行きたかったのは、私が不安だったから。新居でも、この椅子があれば、変わらず横で丸くなってくれるんじゃないかと思ったからでした。

そして、どうしても意識してしまう「お別れ」のとき。いけない、と思いつつ寿命について調べてしまいます。室内飼いの猫の平均寿命は伸びていると言われています。14とも、15とも、16とも、書かれている情報は色々です。中には20まで生きた猫の話も出てきます。私は多分、不安なのです。一匹でも多く長生きしている猫の話を知りたかったんだと思います。「うちの猫もまだまだ大丈夫」と根拠のない希望を噛み締めたかったんだと思います。
同時に、長く生きることだけが猫の幸せなのだろうか、とも思う瞬間があります。病気のせいで食事を制限され、人間の都合で引越しを余儀なくされ、飼い主が変わり、そんな猫の幸せってなんなのだろうと悶々とするのです。
猫の本当の幸せも分からないまま、一方的にあれやこれや良かれと思って人間の都合を押し付けているのではないだろうかと心がぎゅっと不安でいっぱいになります。
朝も晩も起きていると猫のことを考えてしまい、ネットで情報収集をしながら、得体の知れない不安ではらはらと涙が出る日々。
心の準備が全く追いついていないのは明らかでした。
いつかは終わりが来るもの…命とは平等にそういうものだと頭では分かっているつもりです。しかし、実際その命を目の前にすると冷静ではなくなってしまう自分がいるのでした。

正直、今でも猫との暮らしは不安は抱えたままです。
しかし、不安なままでは私にとっても、猫にとっても良いことはありません。
今、私が猫のためにできることは何か。
なにはともあれ、まずは知ること、そして考えること。
これから猫のことをもっともっと知っていこうと思います。
残された時間を考えるより、一緒に過ごす時間のために、たくさん考えていこうと思います。
餌を沢山食べた、一緒にゴロゴロした、おもちゃで遊んだ、横に来て丸くなっていた…
そんなささいなことがなんだか嬉しい。
今日も、明日も一つ一つ積み重ねていこうと思うのです。

そんな、猫と私の話でした。


長生きしろよ。

最後まで読んでくださってありがとうございます。