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「分かる」ということについて

こんにちは、自分経営診断士の岩崎聡史です。
「”分かる“が増えれば人生が変わる」をキャッチフレーズに、皆さんの“分かる”が増える記事をお届けしていきます。

本日は、そもそも「分かる」とは何かについて考えてみたいと思います。
「分かる」とは何かと聞かれたら、私は自分の言葉で説明できることだと思っています。
つまり自分でそれをどう定義づけているのかということです。
もう一歩踏み込んで私自身の「分かる」の定義は何かと聞かれたら、「分かる=分けられる=描ける」ということになります。

順を追って説明します。
まず人が「分かる」という状態はその「分かったこと」そのものとそれ以外を区分けできるということを指します。
それが自分の言葉で説明できる状態だと言われれば、「確かにそうかもな」という反応かとは思いますが大きく同意するということでは無いかもしれません。
しかしそもそも言葉にはいくつか機能があります。そのうちの一つが境界線を引く機能です。
例えば、「人間」という言葉は、人間とそれ以外をハッキリ区分けします。
さらに「岩崎聡史」という固有名詞は人間の中でも特定の人物を指し、人間の中で「岩崎聡史」とそれ以外をハッキリ区分けします。
このように言葉するという行為は、対象そのものとそれ以外の間にハッキリとした境界線引く機能があります。
この言葉が持つ境界線の機能を最大限活用し人類は、後世に残すべき知恵とそれ以外を分け、そして文明を発達してきたのです。
私は昔から言葉そのものに関心を寄せて来ましたが、『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』(津田久資著)を読みこの言葉の境界線機能のことを知り、改めて人類最大の発明は言葉だなと一人納得感を強めました。
以前は、マネジメントレベルが上がるごとに求められるスキルは違うというカッツモデルの話も「そういうものかな」程度の認識でしたが、トップマネジメントに一番多く求められるコンセプチュアルスキル(概念化能力)が、つまりは言語化能力であることを考えると大きくうなづける話です。

話を「分かる」について戻しましょう。冒頭で言葉の境界線機能を使い「分かった」こととそれ以外を区別し、説明できるようになることが「分かる」ということだと書きました。
そしてこれは自分で「分かった」ことを定義づけすることだとも書きました。
実は私たちは、同じ言葉を使い、同じことを考えているようで、それぞれ違うことを考えていることがあります。
むしろ現実社会ではその方が多いかもしれません。
同じように「コンセプチュアルスキル」という言葉を使っていても、一方は「ビジョンを示すのはリーダーの役目である。そのために必要なのがコンセプチュアルスキルだ。」という考えと「コンセプチュアルスキルとは言語化能力であり、人が人である一番重要な要素である。」という考えてでは意味や重要度が変わってきます。
この場では言葉一つ一つのどの定義が正しいという議論は避けますが、まずは自分自身がどのように定義しているのか?という自覚を持つことが何よりも大切です。
そして自分が「分かった」ことを一つ一つ自分の言葉の定義を持って、自分自身の中に消化していただくことで自分の中の「分かる」が増えていくことになります。

私自身の「分かる」の定義に戻ると、「分かる」とはつまり言葉の境界線機能を使って分けられるようになることであり、それはすなわち、線を引いて図解することができるものである、と考えています。そういった意味で「分かる=分けられる=描ける」ということが私の「分かる」の定義となります。
さてあなたの「分かる」はどんな定義でしょうか、ぜひこれを期に考えてみてください。
そしてご自身の人生をより充実させる一助にしていただけたら幸いです。

これからも、物事を“分ける”言葉の力を使って、世の中の“分かる”を増やすことに貢献していきます。

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