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「アキレス腱」と「アキレスのHEEL」とは別物

一般人でも十分あり得ることですが、運動選手の場合は尚更そのリスクにさらされていると言える各種の怪我。

「『NFL Network(NFLネットワーク)』のイアン・ラポポートとトム・ペリセロが現地30日(月)に報じたところによると、クオーターバック(QB)カズンズはMRI検査の結果、前日の日曜夜に対戦したグリーンベイ・パッカーズとの試合でアキレス腱を断裂していたことが判明し、今季の残る試合を欠場することが決定的となったという。」
NFL公式サイト日本語版の記事より)

「男子短距離の谷口耕太郎(凸版印刷)が現役を引退したことを自身のSNSで表明した。(中略)
2020年9月の練習中に左アキレス腱を断裂し、懸命にリハビリに励んで21年にレースに復帰したが本来の走りを取り戻すことはできなかった。」
月間陸上競技の記事より)

アキレス腱とは…

「1 ふくらはぎにある腓腹 (ひふく) 筋・平目 (ひらめ) 筋を、かかとの骨に付着させる、人体中最大の腱。踵骨腱 (しょうこつけん) 。」
(小学館デジタル大辞泉)

そもそも「腱」とは何なのか、知っているようで知らないものですが…

「筋肉の両端にあって、骨に筋肉を付着させる線維性のひも状の組織。」(同)

「アキレス腱」には要注意

英語では

腱は英語でtendonテンダンであり、「伸ばす」を意味するラテン語の動詞から来ています。

(その動詞からは他にtense(張る)やtend(しがちである)といった英単語が生まれてもいます)

フランス語経由で英語に入ってきたものであり、現代フランス語でもつづりは英語と同じです。

「アキレス」を付け加えれば仏「tendon d'Achilleトンドン・ダシール」、英「Achilles tendonアキリーズ・テンダン」となります。

そして「アキレス腱断裂」はこのように表現されます。

仏:rupture du tendon d'Achilleルプチュール・デュ・トンドン・ダシール
英:Achilles tendon ruptureアキリーズ・テンダン・ラプチャ

アキレス腱という名称を最初に使ったのは、300年ほど前のドイツ人外科医Lorenz Heisterローレンツ・ハイスターだと言われています。

(この人物の著書が日本にも入ってきて、ご存じ杉田玄白らが翻訳をしたそうです)

ではなぜ、ギリシャ神話の英雄の名前を採用したのか。

「アキレウスはプティア王ペレウスとネレウスの娘テティスの間に生まれた。テティスはわが子を愛してその肉体を不死身にしようと、冥府の川ステュクスにまだ赤子であったアキレウスの全身を浸したが、その時母親がつかんでいたかかとだけが水に漬からず、かかとの部分のみ生身のままで残った。
アキレウスは長じて人中最大の英雄となり、トロイア戦争で活躍するが、ついにはパリス王子に弱点のかかとを弓で射抜かれ、これが原因となって命を落とした。」
ウィキペディア

(「耳なし芳一」との共通点もちょっとだけ感じさせるエピソードです)

踵(かかと)の骨に付着させる腱だから、踵と言えばアキレスが有名だから…というノリで命名したのでしょうか。

日本語における「アキレス腱」の使われ方

ここで「アキレス腱」の解説を再び国語辞典に求めてみましょう。

先程のデジタル大辞泉の「2」に当たる項目です

「2 《神話アキレウスの故事から》いちばんの弱点。「相手の―をつく」」

確かによく聞く使い方です。

こんな記事もあります。

「メルセデスの”アキレス腱”がついに解決? ウルフ代表、標高の高いメキシコでの弱点解消を「誇りに思う」(中略)
メルセデスはメキシコシティのように標高の高いサーキットでターボが過給に苦しみ、冷却不足でオーバーヒートするという問題に長年苦しんできた(中略)
「ターボが十分に”呼吸”できないというのが、ここでの我々のアキレス腱だった」」
motorsport.com日本版の記事より)

しかし、アキレスの弱点箇所はあくまでも「踵」であって、「踵の骨にくっついている腱」ではないはずです。

「弱点」の方は英語だったらどう言うか

今度は和英辞典を使って「アキレス腱」を引きます。

「【解剖】 the Achilles' tendon
〈弱点〉 one's Achilles' heel; a vulnerable point」
(研究社新和英中辞典)

そう、弱点を言う方はやっぱり「heel」を使うわけです。

先程の記事の英語版をご覧ください。

「Wolff: Mercedes fixed its Mexico F1 Achilles' heel
Mercedes has found an engine fix for the “Achilles’ heel” that kept cropping up in the Mexican Grand Prix over the years, according to Formula 1 team boss Toto Wolff.」
motorsport.comの記事より)

というようにやはりheelが使われていて、tendonではありません。日本版の記事はわざわざ「heel」を「腱」と訳したことになります。

辞書サイトであるWeblioで弱点の意味の「アキレス腱」の例文を探すとこんな感じです。

「The first baseman is the Achilles heel of our team.
ファーストがうちのチームのアキレスけんだ。」
(Tatoeba)

「It could turn out to be the Achilles' heel in the defense alliance.
それは防衛同盟関係の「アキレス腱」となりうる。」
(旅行・ビジネス英会話翻訳)

日本語で書くときにも「アキレスの踵」と正しく表現したいものです

フランス語では

で、その「アキレスの踵=弱点」はフランス語では「talon d'Achilleタロン・ダシール」であって、すでに登場した「tendon d'Achille」とはやはり明確に区別されています。

talonという仏単語は「踵」の他に靴の「ヒール」や動物の「うしろ蹄(ひづめ)」のことも意味します。

鷹の爪

同じつづりの英単語talonタランは、鷹(たか)など猛禽類の「爪」を意味します。

アニメで『秘密結社鷹の爪』という作品があります。

「世界征服をたくらむ何をやっても失敗ばかりの秘密結社 鷹の爪団と彼らの野望を阻む正義なのかよくわからないヒーローのデラックスファイターとのやり取りを描いた脱力系コメディ。
オープニングに登場するテロップなどの英語表記は「EAGLE TALON」なので、直訳すると「鷲の爪」になる。」
ウィキペディア

『【公式】アニメ『秘密結社 鷹の爪』第1話『参上!鷹の爪団』』
https://www.youtube.com/watch?v=suFvmLR4i7U

英語heel

さて英語heelの使い方を確認しましょう。

フランス語のtalonと同様、「踵」「靴のヒール」「うしろ蹄(ひづめ)」を意味します。

ところで、プロレスがお好きな方は、悪役レスラーのことを「ヒール」と呼ぶことをご存じでしょう。プロレスに限らず、一般的に「ろくでなし」「悪漢」を表す使い方があります。

「踵」が人体で最も「下」にある部位だから、見「下」げ果てたやつといった意味合いでそうなったのかもしれません。

heelを用いた慣用表現

「dig one's heels in」は「自分の立場[意見]を譲らない, がんこである」を意味しますが、文字通りには「自分の両足の踵を突き立てて入れる」です。確かに実際にそんなことをしたらその場から動かなそうです。

前出のメルセデス・チームでフォーミュラ・ワンに参戦しているLewis Hamiltonルイス・ハミルトンは昨年、規則で禁じられている「宝飾品の競技中着用」を行っていることから、統括団体から警告を受けていました。

「The British F1 star's nose piercing requires surgical removal, so he was given a two-race 'grace period' that allowed him time to get rid of the piercing.
That means by the time the Monaco GP comes around, Hamilton must have the piercing removed otherwise he could face a potential ban. But the Mail are reporting that he is digging his heels in.
(F1界のイギリス人スターであるハミルトンの鼻ピアスは外科手術で取り除く必要があり、それゆえ彼は、ピアスを取り除くための時間を得られる2レース分の「猶予期間」を与えられた。
それはつまり、モナコ・グランプリが巡ってくる時までにハミルトンはピアスが除かれた状態にしなければならないし、さもなければ出場禁止となる可能性もある。だがデイリー・メール紙の報道では、彼は自分の立場を譲らないとのことだ」
Mirror紙の記事より)

また別の慣用表現で「head over heels」というのがあります。「深く嵌まり込んで」「すっかり」の意の副詞句として使うのが有名です。

「be head over heels in love
ぞっこんほれこんでいる.
be head over heels in debt
借金で首が回らない」
(研究社新英和中辞典)

しかし、このような比喩的な使い方のもとになったと思われる文字通りの意味も辞書に載っているのですが、ちょっとご覧ください。

「もんどり打って; まっさかさまに」

「もんどり」は漢字で「翻筋斗」と書きますが、要するに「宙(ちゅう)返り」のことです。

その際のheadとheelsの位置関係は、普通に立っているときとは逆転してheelsが上になるはずです。

ということはheels over headなのでは?

実は元々西暦14世紀にこの組み合わせ表現が出現したときはそう書いていました。それが18世紀に逆転し(理由は不明)、head over heelsとなったわけです。

英語人がこの表現を使うのに遭遇したときには、「踵より上に頭があるのはフツーじゃないか」と突っ込むべきでしょうか。

飛節

以下の画像をご覧ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/飛節#/media/ファイル:Hock.jpg

写真の中で丸く囲まれている部分の関節は飛節(ひせつ)と呼ばれます。

一見「膝」に思えますが、ご自分の膝と比べてみると曲がっている方向が逆だと判ると思います。

そして人間の足首が曲がる方向に飛節は曲がっているとお気づきになるでしょう。つまりこれが馬(や牛や猫や犬)の足首・踵です。

飛節を意味する英語はhockハックであり、これはheelと語源的つながりがある言葉です。

ドイツ語では

英語やフランス語では「アキレスの踵(唯一の弱点)」と「アキレス腱」が別の言葉であることをご紹介しましたが、ドイツ語も同じ状況です。

アキレスの踵:Achillesferseアヒレスフェアザ

アキレス腱:Achillessehneアヒレスゼーナ

お察しのようにFerseが「踵」、Sehneが「腱」を意味する名詞です。

英語に戻ってさらに「腱」の意の言葉を

sinew

Sehneと同語源の英単語sinewシニューもまた「腱」を意味します。(tendonの方が一般的)

「Trim all excess fat and sinew from roast.
(直火で炙った肉から余分な脂肪と腱を切り取ってください)」
(Longman)

そのほかに「力の根源」のことを言う場合があります。腱の持っている、体を安定させる働きが比喩的に使われていることになります。

「The plan was designed to provide the sinews of enhanced military power.
(その計画は、軍事力増強の原動力を提供するよう立案された)」(同)

nerve

今日では「神経」の意味でお馴染みのnerve。

「a condition which affects the nerves in the back
(背中の神経に変調をきたす病気)」(同)

「神経過敏」「苛々(いらいら)」を表しもします。

「be in a state of nerves
いらいら[興奮]している」
(小学館プログレッシブ英和中辞典)

更に、「図々しさ(lack of respect)」や「勇気(courage)」にもなります。

「You've got a nerve.
君もずうずうしいね
He didn't have enough nerve to mention it to his teacher.
彼はそれを先生に言うだけの勇気がなかった」
(研究社新英和中辞典)

しかし元々は「腱」を意味するラテン語nervusから来ていて、今でも一部の表現にはその意味が残っています。

「strain every nerve」は文字通りには(「すべての神経を張る」ではなくて)「すべての腱を張る」であり、それを比喩的に使って「全力を尽くす」に転じます。

「He was straining every nerve to impress the judges.
(審査員たちに感銘を与えようと彼は全力を尽くしていた)」
(Longman)

nervous

日本語の中にnerveは全く浸透していません。「神経」という言葉を「ナーヴ/ナーブ」と置き換える人はまずいませんから。

しかしながら、ラテン語nervusに形容詞を作る接尾辞-osusが付いて出来たnervosus⇒現代英語nervousは、「ナーバス」として日本人が使うことが結構あるとお思いになりませんか。

英語でのnervousの用法を確認しておきます。

まずは「神経に関する」です。

「nervous exhaustion
神経の疲労
suffer from nervous indigestion
神経性の消化不良に悩む」
(小学館プログレッシブ英和中辞典)

次に、人間について「神経質な」ことを表します。

「She’s a nervous, sensitive child.
(彼女は神経質で傷つきやすい子供だ)」
(Longman)

そして「くよくよ」「おどおど」「びくびく」といった感覚の使い方があります。

「I am nervous about [of] the consequences.
結果が心配でならない」
(小学館プログレッシブ英和中辞典)

「He was nervous that the reviewers might attack him again.
彼は書評家たちがまた自分を攻撃するであろうとびくびくしていた」
(研究社新英和中辞典)

neuronとneural

nerveやsinewと語源的つながりがあるneuronニュアランは「神経細胞」という意味です。

「The traffic of ions into and out of neurons underlies their capacity to generate and transmit electrical signals.
(神経細胞を出入りするイオンのやり取りにより、神経細胞が持つ、電気信号を発生・伝達する能力が生じる)」
(Longman)

一方形容詞neuralニュアラル(神経系の)を使った言葉でneural network神経網というのがあります。

昨今人口智能が話題になるときに出てくるneural networkは、本物の(生物の)neural networkの仕組みを摸倣したものです。

下記の動画でその仕組みをご確認ください。

『【解説】10分で人工知能を理解する - ディープラーニング』
https://www.youtube.com/watch?v=W92VcivhoBs

お読みいただきありがとうございました。ではまた。

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