努力は裏切らないって言葉に潜む影

私は、鬼がつくほど体育会系な運動部に所属していて、約11年間ほど一つのスポーツに従事していた。

”努力は裏切らない”

この言葉、スポーツに力をいれている部活動などでは大体の方が聞いた事があるのでは?と思う。そのくらい、スポーツの世界ではよく聞く。

真正面から聞くと、真面目に練習した分だけ成果が出るから人より多く練習しなさい。だとか、練習に無駄な事は一つない、今している事は全てが自分のプラスに繋がっているんだよ。

という風に聞こえる。私も、当時はよく考えもせずに嫌々ながらもやっていた練習だけど、その先に繋がっているんだろう。と考えていた。

だけど、この言葉の裏に隠されている事は

・長時間がむしゃらに練習する事がえらい

・言われた事を素直に受け、取り組む奴がえらい

・無駄な努力はない

といった価値観が蔓延しているのかもしれない

  

頭を使わずにやる努力なんて簡単に裏切る

矛盾したことに有無を言わずに耐える忍耐力をつける、といった精神論には多少プラスになるかもしれないが。そこに自分で考え、答えを出し結果を分析して次に繋げるという事をしないのであれば一体どれだけのものが自分に返ってくるのだろう。

だから、努力は裏切らない。という言葉にはある種その者の考える力を奪い取ってしまう効力があるのでは?と感じる。

それこそ、それを教える立場の人間の考え方思想によるものなので、そうとは言い切れないが。実際、私がみてきた場面ではそういった使い方をされているところが多い事も事実である。

 

これは、私が美容師に転職してからも度々見かける場面でもある。

・長時間練習する=やる気がある

・朝一番に来て誰よりも最後に帰る=頑張っている

果たして本当にそうだろうか?

心の体の力の無駄遣いをして、疲れて1日が終わってしまう。なんて事にならないだろうか?

本当に価値のある努力というのは、これでもかと頭を使い自分で答えを出し、行動してまた頭を使い振り返る。それを繰り返し行なっていく事ではないか。

短い時間でも最大限頭を使って考え行動する。限られた時間で最大のパフォーマンスをする為にどうすれば良いのか。それを考えるクセをつけさせるのが部活動の本当の役割である。

それを、頭ごなしにとにかく自分の言う通りにしろ!なぜできない!お前はやる気がない!それなら帰れ!という事になる。

こうなると、考える力は違う方向に向いてしまう。

この人を怒らせない為にどうしたら良いのか?という思考に。

さらに、その上の立場につく者が気分で怒ったり怒らなかったりするようであれば、その下につく者は尚更変な考え方を身につけてしまうだろう。

自分で考えて良い、悪いが重要でなく。その相手が怒らないという事が重要となるのだからもはや奴隷状態である。

それなのに、ひとたび社会に出れば自分で考えて行動しろ、と自発的な行動を求められる。色々思う事はあるけれど

頭を使わない努力は簡単に裏切る

自分で考え行動する、これが大切。

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