見出し画像

和を広げる

本来、わたしは

自分から繋がりたい人と
繋がるのが好きで

人と一緒になにかするということも
好きで

そこで
どうやったら楽しくなるかとか考えて
動くことも好きだった。

離婚前、
子どもが生まれてからも

地元ということもあって
自分のコミュニティーを
作っていた

ママ友も同じ地区の
氣の合いそうなママさんを見つけて

一緒に遊ぶ機会を作ったり

自宅を開放して

お茶会をしたりしていた。

当然それは
子どもがある程度大きくなるまで
続くと思っていた。

うまくやっていた

わたしは
友達をつくるのは
うまいと思っていた。

話しかけたり仲良くするのは
アパレル販売員もやっていたし

コミュニケーションは好きだったから
友達の距離感としては

うまくできる。

だけど、家族や
友達よりひとつ狭いなかでは

その能力で
うまくやることはできなかった。

いつしか、
抑圧やモラハラ、制限
威圧のエネルギー下では

自分がどんどん消耗していくのは
わかっていた

切り替えても、結局、
わたしの住む場所はそこで

一時的に
人やイベントを通して

楽しいことをしても

ベースが我慢の環境だと

その差が、

そのギャップが

日に日に自分を苦しくさせていくのだ。

体験してきたから。

自分の心を大切に生きていくと

その差を
見過ごしせなくなり

わたしは心を壊した。

旦那さんがいて、

マイホームもあって

働かなくてよくて

好きなことも、家の中でなら
やってよくて

外から見れば、目に見えるものは
恵まれている

でも、内側は?

制限と抑圧のエネルギーに耐えていた

正当化される言葉や
わがままな振る舞い

心無い言動に傷ついていた

話し合いもしようとしたが
拒絶された

怒りのエネルギーを撒き散らされ
なにより大切にしたい子どもたちにも
そのエネルギーが降りかかった

わたしの内側は
そうなっていたから

現実と心のバランスが取れなくなった

そのあとも
さらに、人を変えて

どんどん苦しい環境に追い込まれていった

自分がどうしたいのか?

ここに気づいて、行動することは
とても勇気のいることだ。

でも、
本当に望むなら
助けが入った。

泣きながらお願いした。

わからないことはわからないといった。

その時は
ほんとうに参っていた。

泣けなかった。

自分のことよりも
子どもたちを巻き込んでいたことが
つらかった。

ママ友づくりや友達づくりも
制限されていて

わたしは
人と繋がることも
怖くなっていた。

またあの時みたいな
コミュニティーがわたしが作れるか
わからなかった。

もう出来上がっている中に入って
また作ること、、、

それは

わたしはあまり
やったことがなかった。

ゼロから作るならば
わたしが作れるから

ある場所に入る時
わたしは調和できるのだろうか?

ここにも怖さがあった

だけど
娘が中学のタイミングだから
ある意味ゼロになるから

わたしは、またここから
コミュニティーづくりを
始めてみようと思っている。

今さら、遅いかなとも思うけど
子どもたちにとっても
そういう姿を見せている方がいいと
思っている。

心で生きる姿勢を見せたい。

お母さんは
いつだってチャレンジしていた。

諦めたいでがんばって生きていた。

そう、なにかに
心に残ったらいいなと思い、

わたしは生きていこう。

和、輪を
広げていこう。

今日が一番、若くて

一日、一日、

死に近づいているのだから

今、できる限り

生きていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?