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吐き出せばいいわけじゃない。

自分のことばっかり考えてしまって嫌な奴だな、と自分を見てしまうけれど、反省とは『自分のために行ったことが他人のためにも繋がる』という行為なのかもしれません。

言葉にして発信しておかないと『反省しているつもり』で終わってしまい、自分にも他人にも迷惑をかけてしまうことに繋がると思うので、反省を言葉として発信しようと思います。

反省を発信することによって、悩む誰かの役に立てたら幸いです。

私の幼少期は、興味をもったことに対しては納得がいくまで追求して何らかの形にしないと気が済まないタイプでした。

あまりお金が無く、新聞紙を粉々になるまで千切って網でこしてボールを成型したり、とにかく絵を描いたり、貰ったブロックで人を組み立てたり、自分で勝手に物語を創ったり、廃材で浮き輪を造ったり、そんなようなことを無我夢中でやっていました。

楽しいからやっていたというよりも、やらなければ気が済まなかったからやっていたという感じです。

幼少期からの教育で一番染みついている教えは『他人に迷惑をかけてはいけない。』という教えです。

しかし、ここ最近で他人に大きな迷惑をかけてしまいました。

頭ではダメだと理解していても、心では理解できていなかったのかもしれません。

自己管理ができていなかったのでしょう。

圧倒的に未熟です。

反省しようと思った時、まず浮かんだことは『反脆弱性と礼節って似てるな』という考えです。

“似てる”と一瞬でも思ってしまったということは、自分は礼節について理解していないということなのでしょう。

反脆弱性とは、「なんらかのストレスや圧力により、かえってパフォーマンスが向上する性質」のことを意味します。

礼節とは、礼儀と節度のことを言います。

今でも自分はわがままを脱皮できていないのでしょう。

もっと自分の立場をわきまえなければなりません。

自分の立場をわきまえなければ、人に迷惑をかけてしまうことに繋がってしまいます。

そもそも論として、在る時点でなんらかの迷惑をかけてしまっているのですが、だからと言って何でもやっていいわけではありません。

できることはやらねばなりません。

この考え方は固いのかもしれません。

そもそも答えは妥協点にあるのかもしれません。

考えても分からないことを考えても仕方がありません。

では行動しましょう。

ガムシャラに猪突猛進すれば良いという単純な話ではありません。

臨機応変に、丁寧に、続けたいです。

相手を傷付けてしまったのなら『ごめんなさい』と言い、ありがたいと感じたら感謝を伝えていくことしか、今も昔もできていない。



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