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②おかんが読む「いっぷう変わったおとむらい」

前回、「お父さんの現状(推理・想像)が、どうあがいても、しょっぱみ。誰かお父さんを救ってください」とお願いしたら、考察してくださった方(bさんとお呼びします)がいらして・・・!もう全文ここに掲載させていただきたいくらいだけど、あくまで「書かれていないお父さんがどうなったかを考えてみる」という視点からスタートした読みなので、本来のbさんの考えとはちょっとずれるかもしれませんから、私の明後日の方向の読みも交えて書き直そうと思います。

bさんとのお話は、ツイッターにて。リンクを貼ってよいかお尋ねしなかったので、リンクは消します。

テキストはこちら 

https://note.mu/p_and_w_books/n/na9f073c42221

bさんは、本来は①ー4 同じ災害で亡くなっている、で読まれたそうですが、あえて別の可能性を、ということで

①-5 遠方に出稼ぎ中に大災害に遭遇し、帰還できない(bさん)

な、なんと・・・!父親は、薄情者でも虚無でもなかった、だと・・・!「おにぎりぐらいもある」石がまだ転がってくる現状(なんでそんな中、遮蔽物もない広場で「おとむらい」やってるのだ、と読者はみんな、雨天どころか落石決行されるこの行事の異常性に震えたはず)、この「村」から出るルート、入るルートは潰されているのではないか。土砂崩れなどで孤立しているのではないか。「わたし」が意識にのぼらせないくらいに存在感が希薄なのは、ふだんから出稼ぎで家にいない(もしかして年1帰宅ペースとかかもしれない)から、そしていま、まだ帰れていないのでは・・・。

お、お父さん!あなた、帰りたくても帰れなかったの!?しょっぱいとか言って本当にすみません、梅干し顔していたおかん、ちょっと目が潤んできて別の意味で塩気ましましになりました。ハンカチはどこ・・・?

①-5-1 帰還できないお父さん、「わたし」が「おとむらい」されたのを知っている場合(bさん)

本来は喪主(祭主なのかな)で「わたし」の父として「おとむらい」を仕切らねばならない。しかし、物理的に家に帰れない。なので「悟叔父/伯父さん(父親の兄弟)」と「兄」に任せた・・・。父親はいまごろ「おとむらい」されている娘のことを思って、山の方を見つめているのかもしれません。・・・ちょっと私、ハンカチじゃ足りないんですが。

①-5-2 帰還できないお父さん、「わたし」が「おとむらい」されたのを知らない場合

帰宅ルートが潰されて、もしかして連絡もろくに取れず、麓(もしくはもっと遠方)で気を揉んでいるかもしれない父親。家族は無事だろうか・・・無事でいてくれ・・・しかし帰宅したら、もう娘は「おとむらい」されていた。嘘だろ・・・。そんな・・・。最後のお別れが知らぬ間に終わったとか、そんな・・・。バスタオルぅううううう!!!

たった一行(しかも思い出)で登場した「父」に様々な可能性が示されました。「いっぷう変わったおとむらい」の話には(おそらく)さほど関係しないので、読者がどう想像してもかまわないキャラクターだと思われます。私は、断然5の生き別れ説を推しますが(残された遺族が再生していくとき、仲が良好である方が救いがあるではないですか)みなさまは、どう思われましたか?

☆ ☆ ☆

「おとむらい」とは何か、とか、小説内に仕掛けられた謎、小説の書かれかた(枠組み)そのもの仕掛けられた謎については、ファイターの方たち、考察を助けてくださった方々を含む読者の方が、深く深く考察されていますので、おかんの曲がった読みを披露するのも・・・。なので、私は原稿用紙6枚でたくさんの登場人物を出演させているのに、どのキャラクターもキャラ立ちしている、蜂本みささん凄い・・・!と感動した、登場人物一覧を作ってみたいと思います。

② 登場人物

②-1「わたし」の家族

1.「わたし」・・・「おとむらい」対象その3。本当にちっちゃい子みたいな発言をしたり、大人びた発言をしたり、死んでいるのか生きているのか、何歳なのか、そもそもこの子は信用できる語り手なのか、と、読者を混乱させる小悪魔。最後、この子は「おとむらい」されたのか?それとも、この子ふくむ3人が「おとむらい」を始めたのか・・・?bさんとお話ししていたのですが、おじいさんとおばさんと一緒に災害を鎮めている人柱(死んでから)なのだとしたら、この子のおかげで、村と家族は救われるのかもしれない。「おとむらい」は災害の多い村と、そこに生きる家族が、災害を死を受け入れ、再び立ち上がるための儀式なのかも。

ところで、この子は何歳なのか、をいま、ちょっとぐるぐるしています。たくさん「こう思うよ」っていうお話を伺えてうれしい。

2.「兄」・・・元陸上部所属、その後別居。「おとむらい」の3人の対象が揃うまで貧乏ゆすりしながら妹を抱え続け、舞台に走って運び、注意されるまで見ていた、と、心情を想像するだけで泣けてくる。「わたし」によって過去回想から現在の状態まで、小説のほぼ半分を使って語り尽くされている・・・ようにみえて、実は一度も発話していない(Gさん)人物。無邪気に「おとむらい」を楽しみにしていた妹の「おとむらい」、おそらく通常時とは異なり、あわただしい「おとむらい」を、言葉が通じなくなる前にする最後のおしゃべりで何も言わなかった彼は、如何思ってみていたのだろう。

3.「母」・・・まだ兄が家にいたころ、貧乏ゆすりの癖を注意していた。(回想)谷本の奥さんの到着が遅れ、「先にできへんの、太陽がもう」と発話。「わたし」の「おとむらい」の衣装が他の2人と異なり、いままでの生き方を象徴する思い出の品ではなく、新しく作られたものだったのは、あまりにも若く死を想像することすらしていなかったため死を受け入れられず入れていないのか、災害ですべてを失くしてしまったからなのか。どちらにせよ、「おとむらい」のために、「わたし」のお気に入りの品を一つも入れることもできず、ワンピースを作成していたこのお母さんの気持ちを想像するだけで泣けてくる。辛い。

4.「父」・・・たった一行でてきたために、散々考察されつくされてしまった人物。すまない。実際は過去「おとむらい」を見たら子どもは魂ぬかれるぞ、と「わたし」を抱いた描写があるだけで、現在は生死こみで謎のまま。

②-2.「わたし」の親族

「おとむらい」の進行役に選ばれているということは、もしかして村の中で地位が高いか、祭主的位置にいるのか。それでは「わたし」の家族の立ち位置は?もしかして「わたし」が無邪気に「おとむらい」を信じ、肯定し、疑いを持たないのは、取り仕切る立場もしくは近い位置にいるからなのでは・・・?

1.悟叔父/伯父さん・・・父の兄弟なのか、母の兄弟なのか。「おとむらい」の進行役で、なかなか到着しない谷本の奥さん待ちのとき、融通きかせず「わたし」の「おとむらい」順番を厳守。融通きかせてやれよ、と思いましたが、儀式では仕方がないのか・・・年齢順なの?しかし、自分の甥が姪をずっと抱えているのに配慮しないとは、できない立場に苦しんでいたのか、そんなことより「おとむらい」手順厳守だったのか、判断によって180度評価が変わりそうなキャラクターですな。

②-3.村の人々

落石の中、村民広場に、けが人病人のぞいて喪服で集合。儀式のためとはいえ、さらなるけが人がでないことを祈るばかり。子どもの描写がなかったのは、「こどもは魂ぬかれるぞ」な、一定年齢以下の子は出席できないからか、もしかして限界集落で、子どもは殆どいないのか。「わたし」のお友だちも登場しないし、谷本の奥さんが「わたし」の兄の大学祝いをしてくれたのも、仲良しだから、同じ村だから、というより、数少ない子どもを村をあげて可愛がっていたのかも?それとももう避難済で残った大人だけで出席しているのか?喪服から防虫剤のにおいってことは、最近は「おとむらい」はやっていなかった模様。

1.おばあさん

石に驚いて悲鳴をあげて、なだめられた方。いや、悲鳴あげるやろう・・・。怖いよ。なんでこんな雨天決行!みたいな感じで落石決行してるんですか、「おとむらい」。災害を鎮めるために、例え桶追加する案件になろうとも決行されねばならない「おとむらい」は単なる葬式じゃないですよね、間違いなく。

②-4.大楠家

1.大楠のじいさま・・・「おとむらい」対象その1。4人の介添え人と共に登場。衣装は彼の獲物から作られた模様。結構アクの強い人物だった模様で、熊殺しみたいな武勇伝をのぞけば、それは悪口ではないですかね、みたいな声掛けの方が多かった。最後のおしゃべりだよ?みんな、じいさまに優しくしよう?あと「うちの犬かえせ」が気になるんですが、持って行っちゃったの?撃っちゃったの?

②-5.兄が入部していた陸上部の先生

過去に「おとむらい」された。兄いわく、彼のためだけにあつらえられた衣装をつけ、(ということは、思い出の品はいれないで、作るのがスタンダードなのか・・・?)最後のおしゃべりをして、送り出したとのこと。兄の説明が妹のために優しい言葉を選んでなされ、実際はいまと同じく殺伐としていたのか、それとも「わたし」の「おとむらい」は特殊ケースなのか・・・?ここで「おとむらい」が土葬で、衣装が「どんなひとなの示すため」ということがわかる。・・・ということは、母がなぜランドセル/制服をいれなかったのかがやはり引っかかる。小学生中学生あたり、学校にいっている時間も比重も大きいし、その子を示すものとしては最適だと思うのだけど。このとき「わたし」が描いた「おとむらい」想像図が、今回のワンピースの柄になった。・・・お兄ちゃん、笑い転げていたけど、大事に持ってたんだ・・・。妹との思い出に持ってたんだ・・・。当然、もう死亡の上「おとむらい」済なので、出演はしない。

②-5.谷本家

まだ「ふさがっている西側」に住んでいる(た?)ご一家。

1.谷本の奥さん・・・「おとむらい」対象その2。介添え人は2人で、両方ともけが人。ケガしたまま奥さんを連れて(持って)まだ「ふさがっている西側」からやってきたのは、とてもとても大変だったと思われます。お祝い事に料理やお菓子を持ってきてくれるすてきな方だったようで、衣装は生前彼女が贈り物を包むのに使っていた絹の風呂敷。・・・絹?結構お金持ちなのか・・・?衣装が作成された感がないのは、西側がそれどころじゃない被害を受けているからなのだろうか。

名前(もしくははっきりした「わたし」との関係)があるだけで7人いるのですが、どのキャラクターもぼんやりしたところがなく描き分けられているのに、6枚が窮屈じゃない。

「遠吠え教室」のときも評価が高かったけれど、蜂本みささんの筆力、神がかってやしませんか・・・!

本当にすごいなあ。すごいしか言えなくて申し訳ないけど、すごい小説だと思います。