個室と相部屋

諸般の事情で三週間ほど、病院の個室で過ごした。一人だとどうしても、考えても答えの出ない将来への漠然とした不安ばかりを考えてしまうので、みたくもないテレビをつけ、気を紛らわすしかなかった。

テレビは、モリカケや日大の問題を繰り返しワイドショーが心を煽り、自分とは少し距離のある問題ではあり、距離をおいて聞いてはいたが、ストレスは日に日に高まっていった。こ自宅を出られない、御年配の方にもそうしたところはないだろうか。

次にインターネット、主にフェイスクブック、ツイッターに逃げてみた。フェイスブックで流れてくるフィードは、自分には眩しすぎるので、フォローをどんどんはずし、人との距離や関わりをさけていった。ツイッターは、偏りのある情報で、まるで、自分もそう考えるべきではないか?といったような錯覚に陥ってしまう。

そんな、個室でマスメディアやソーシャルメディア経由で人と接していると、なぜだか孤立感を感じてしまう。そして、僕の精神は本当に破綻をきたしていった。

そんな状況を察してか、四人の相部屋を勧められ、自分もそれを望んだ。

部屋には、70〜80の男性が三人。それぞれ会話はしないけど、看護婦との会話や独り言がとにかくおもしろい。おならの音もよく聞こえる。

そんな、本当に自分に全く関係のないアカの他人の生活音がとても僕には心地よい。目の前にいた、スズキチ(勝手にニックネームをつけた)は、看護婦のいうこと聞かないけど、どこか愛嬌があって、可愛らしい。深夜、ごそごそと動くので、ぐっすりねれないけど、それもまたなぜだか許せてしまう。

他の2名も奥様や、お嬢さんが毎日お見舞いこられ、家族愛みたいなものをドラマ以上に感じる。顔はみたことがない。ちなみに、かれらの娘さんは30−40になるそうで、独身らしく、ご本人のご病気のこともあって、娘さんのことを心配する父の苦悩というか、まだ4才だけど同じ娘を持つ自分にはとても身近に感じた。

ここは、病院だけど、社会でも同じことが言えるんじゃないかと思う。若い子はインターネットにはまり、自分に都合の良い情報にだけ飛び込み、リアリティにかける。そんな時、ふらっと行ける場所が、もっと日本にはあった方がいい。

人のたくさん集まる公園、それはスタバがあるとか、そんなんじゃなくて、ベンチがあって、遊具があって、何気ない地域の日常や会話がある。会話はなくてもいい。あの、爺さん今日も元気だな。それだけで、情報は十分だ。

用事がなくても足を運びたくなる公園が重要だって理解してもらいたいな。そう、それが言いたいだけ。