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0ポイントと出会う旅【仕事編⓪】

ここ数日、ぐっと気温が下がって天候も悪く、ヘロヘロな今朝です。起きられません。起きてますが、起きられません。
みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

集団の輪っかに沿うことが給料をもらうこととイコールな時。
企業で勤めるというのはそういうことだと思うのですが、その会社で働けなくなる、会社に行けなくなる、という時

じゃ次は、自分がしんどかった部分を省いた働く場所を探そう、と思うのは理に適ってますよね。
同じようなしんどさがあるところは選ばない。だって結果が出ているから。

例えば、わたしは身につける衣服が化学繊維の場合、0ポイントに至れなくて体がバタバタして落ち着けなくてしんどい。有機的自律運動がいつまで経っても落ち着けない活性化状態が続くからしんどいんですね。

なので、制服がある職場は最初から選びません。
制服はほとんどが化学繊維が入っています。洗濯して乾きやすいんですね。あと材料費が安い。だから合理的。

合理的なのはわかるんだけど、わたしの身体は化学繊維と接しているうちは0ポイントが現れない。

この時、わたしと同様な現象(化学繊維に接していると体がバタバタする、落ち着けない)の人が他にいない場合、
わたしは、このバタバタするいつまでも落ち着けない、しんどい現象に対してどのように振る舞えるか。

我慢する。
自分自身にも気づいていないかのようなフリをする。
というようなことが起きます。

周りに気づかれないということは、個体の中に現象が閉じ込められる

そういう可能性をはらむと思います。

化学薬品の混じっている洗剤も同様です。
それでもそういうことがわかるまでは、レストランの皿洗いとかやってました。
手袋しても大量の食器を洗ううちにどんどん洗剤と水は入ってくる。手袋も破れる。気にしてたら仕事にはならないですから。ジャンジャン食器が投げ込まれてくるんです。洗剤と水の溜まったプールのようなシンクに。
食洗機はある程度油と汚れを取り除いた後です。

そのうち手袋とかしてられなくなる。
その頃はわたしの手は洗剤アレルギーで水ぶくれと、水ぶくれがつぶれて皮膚の内側が出るくらいに荒れていました。
洗剤アレルギーだということも、後になってわかってくることでした。

そんな仕事しなきゃいいじゃないか、と思うんですけど、その時わたしに選べるのはそこしかなかったから、働いたんですよね。

でも、当然、長続きしません。

こんな具合に、ひとつずつ、できないこと、無理なこと、を省いていきました。

学歴や経歴や性格や、当たり前に評価されるだろう手前に、
他の人からは些細なこと、意識にも上らないようなことを、わたしは気にせざるを得なかったし、解決しなければならなかったし、

解決できなければ「努力して修正していく」とか「気にしないように自分を変える」とか「職場を選ぶときできないことのある職場は選ばない」とかが常につきまとった。

それら、自分の努力が仮にできたとしても、学歴や特別な経歴がないわたしには、そこまでやったとしても更なる評価が待っている。
いくつもいくつも見えないハードルがあって、とても、働いていけるような気がしていませんでした。

そして、続けられない自分を、ダメだと感じ続けます。
続けられない原因が自分にある、以外に、考えられないんですね。


せっかく30回も転職しているから、「辞める」に至る現象について書ければいいなと思っている。
書こうという気になるかはわからないけど、そう考えている。

自分の0ポイントに素直になると、選べる職場がなくなる。
職場を選ぶ幅を広げるには自分を変えていくしかない。
そういうハザマでわたしに起きていたことが、見えてくるような気もしている。
どうか、記述できますように。
写真を撮る時のように、そこにあるはずのものをまだ知らないけれど、
写りますようにと祈るような。


❇︎ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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