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集団の輪っか×個人の0ポイント×環境

優先順位って、だいじよね。
なんか、そんなふうに感じるのよ。
立ち位置、と言い換えてもいい。

こんにちは。
「選択する」「決定する」「好き嫌いに正直になる」みたいな、一般的にいうところの「能動的」な態度が不得意です。

保育園でも学校でも仕事場でも、「能動的」な態度って大事、なふうに思われがちよね、わたしの経験では。

特に仕事場では、自分で判断して、自分で作業を進めて、自分から報告して、自分から連絡して、自分から相談してみたいなこと、やれてこそ、な雰囲気あるよね。

こういった強力な「集団の輪っか」ができあがっている現場って、めちゃしんどかった。
いったんその輪っかがはまると、次の職場に行っても簡単には外れないし。
困っちゃっうよ。

そうしたくなくても、自分以外の人に同じ輪っかを投げかけたりして。
「できてないよ」的な視線を送ったりしちゃうもん。
ああ、やだやだ。

わたしは自分が苦しかったけど、わたしの態度は人を苦しめた。
集団の輪っかは、連鎖、する。


あるとき、そうじゃない場が現れた。
高校生の時。
入りたかった運動部(イケてる人になりたかった)に、試し入部の時点で脱落。ああ、高校生活もイケてないのか、と思ったが、近所の年上の幼馴染みが同じ高校でたまたま誘ってくれて、演劇部に入った。

あれは、なんだったんだろう。

あれほど努力しても工夫しても得られなかったもの、「その場に居られる」、が発生した。

よく笑った。
よく泣いた。
よく怒った。
喫茶店に行った。
円になってバレーボールをつないだ。
部室にずっと居た。
練習した。
稽古した。
話した。
一緒にいた。

あれは、なんだったんだろう。


集団の輪っか×個人の0ポイント×環境

この関係。

・環境との有機的自律運動によって個人の落ち着く範囲「0ポイント」が現れる
・個人の0ポイントが集まる
・そこに集団の輪っかが自然とできる。

(環境×個体)→個体の0ポイントが現れる
(個体の0ポイント×数)→集団の輪っかが現れる

だとするなら

(環境×個体)があの場は優先されていたような気がする。
集団の輪っかはもちろんあった。
だけど、ゆるかった。絶えず揺らいでいた。
誰かが中心だったり、誰かが外れたり、一瞬先はだれにもみえない。
誰も、主導権を持っていなかった。
部長がめちゃめちゃ弱かった。演技が下手だった。演出もイマイチだった。ダサかった。カッコ悪かった。
なのに、だから、みんなから慕われ、心の拠り所だった。
安心して一緒にいられる、不思議な人だった。
(彼は、後に、若くして白血病で亡くなった)
その下で、みんなが、わがままだったり、ツンケンしたり、ケンカしたり、悩んだり、家でいろいろあったり、悲しかったり、ムカついたり、サボったり、来なくなったり、でもまた来たり、喋らなかったり、踊ったり、歌ったり、
その合間に練習したり、稽古したり、喫茶店行ったり、バレーボールしたり、海に行ったり、合宿したり、上演したり、していた。
最も大事に見えた「演劇を成功させる」は、本気だったけど、日々のこれらあれこれの上に、ほんのチョコっと乗っかってくるオマケみたいなものだったのかもしれない。
ご飯の上の明太子みたいに、最後にチョロっと乗っかってくるのは、なんでもない白い米粒がキラキラしてるからチョコンと最後に乗れるのかもしれない。

ひとりひとりが、依るべなかった。

ひとりひとりがそれぞれあって、その他のことは、その後だった。

ひとりひとりが時々に変化していて、
わちゃわちゃしていて、おさまらなくて、気持ちとか態度とか言葉とか行動とか、はみ出していて
泣いたり
笑ったり
怒ったり
喧嘩したり
怠けたり
本気出したり
うまくいかなかったり

あんな、純粋なことって、あるだろうか

あのときは、わたしは、集団の中に居られた。
青春という言葉ではおさまらない、はみ出てたなにか。
あんなにはみ出てて平気だったことはなかった。

集団の輪っか×個人の0ポイント×環境

(環境×個体)→個体の0ポイントが現れる
(個体の0ポイント×数)→集団の輪っかが現れる
ことこ・ざわり

現実はいくらでもどのようにでも、わたしたちの前に現れる可能性がある。

(環境×個体)が優先されなければ、個人の0ポイントは現れない。
集団の輪っかを優先すれば、そのとき個人の0ポイントは無視される。

集団の輪っか→個人の0ポイント→環境
な優先順位では、知らずに個人の0ポイントは見過ごされる。

(環境×個体)が先ず優先されるなら、
集団の輪っかが立ち上がったとしても、個体の有機的自律運動は断ち切られることはないんじゃないか。
有機的自律運動のままに、集団の輪っかも、変化しながら立ち現れるんじゃないか。

集団の輪っかが優先される場では現れてこない現実が、そのとき立ち現れる気がする。


※ここまでに出てきた言葉をまとめています。
ひとりよがりな、主観の言葉です。

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