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Utada In the Flesh 2010への旅

注)この記事は2010年1月にUtada In the Flesh 2010ツアーの初回、ハワイ開催に参加した私が帰国後すぐにまとめた備忘録を編集したものです。10年以上も前だなんて!というわけで、お名前はハンドルネームも含めて伏せてあります。

はじまり。

2009年9月ごろ。
いつも読んでいた宇多田ヒカルファンのブログ主がチャットを開いた。覗いてみると、数名の参加者。おそるおそる書き込みをしてみたことが全ての始まり。あっという間にみなさんとチャット仲間になった。11月初旬には初オフ参加。ネットで知り合った人と実際に会うなんて、過去の私には信じられない出来事。

そして、オフ参加の翌週。
UTADAがアメリカとイギリスでライブハウスツアーをするという情報が出た。当初、チケットは日本からは買えそうになかった。でも、どうしても行きたくて、アメリカにいる高校時代の友人に連絡。チケットを代わりに買ってもらった。チャットメンバーの分も一緒に。

どうだろう。この急激な展開。
ここ数年の人生大激動の一環かしら。チケット購入以降は、途中心身ともに不調になったりしつつも、みなさんと出国準備の連絡をとったり、友人にお礼の小包を送ったり、みなさんからお礼をいただいたり、密に密に連絡をとって、年は暮れ、新年が明けた。 

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仕事を終えて関空へ。

1月15日。17時早退の予定で、黙々と仕事をした。
午後早い時間に上司が、分析機器の調子が悪いのは私の使い方が悪いからだと文句をつけてきたけれど、前回使ったのはその上司であることがすぐに判明して収束。完全な言いがかりだった。 よかった、大事にならなくて。そのことがあって上司がおとなしくなったので、17時にすんなり退社。神戸空港に向かった。

このときの開放感といったら、もう忘れられない。
まだ明るい空には雲が多くて、夕日が見えたり見えなかったり。オレンジ色に染まった雲はまぶしくて、光が海に映ってきらきらしてた。遠くに神戸空港が見えてきて、止まっている飛行機を見つけたとき、あぁ、今日これから飛行機に乗ってハワイへ行くんだ、と実感した。

関西空港へ行くために、高速船乗り場へ行くバスに乗った。
個性的な眼鏡をかけた白人の若い男性が1人乗車していた。日本を旅して、これから母国へ帰るのだろうか。それともまた旅に出るのだろうか。なんて、考えていたら、高速船のチケット売り場で英語で説明しようとする職員に流暢な日本語で返事をしていた。きっと留学生なのだろう。

簡素な椅子が並ぶ高速船の待合室。
その椅子に座って、海のにおいを感じながら、天井近くに設置されたテレビで相撲を見ていたら、その雰囲気が、とにかく懐かしくて懐かしくて動揺した。 高速船に乗り込んだら、もう泣きそうだった。 そうだ、私は海の近くで暮らしていたことがあったんだ。たった数年のことが、こんなに体に染み付いていたなんて、この時まで気づかなかった。船の揺れも、潮でべたっとしたシートも、きりっとしたクルーも、窓にかかるしぶきも、みんな懐かしかった。

夜の海を見ながら、こんなおまけがついてるなんて、
この旅には何か意味があるのかもしれないな、と思った。

ハワイへ飛ぶ


関空には待ち合わせの約束の時間より30分ほど早めに到着した。 
久しぶりの関空国際線ロビー。天井が高く、広々として、閑散とした風景の中に、旅行前の楽しげな雰囲気の人たちがぱらぱらといる独特の雰囲気。まず、銀行へ行って両替をした。2万円を支払って200ドルを越える。円高に驚きつつ、トイレに行って着替え。仕事用のきちんとした服を脱いでゆったりした服装になると、支度は万全。いつでも出発できるという気持ちになる。

待ち合わせ場所の団体受付カウンター前のソファーに腰掛けてメールを送った。
「カウンター前に座っています」送信ボタンを押すと同時にメール着信を知らせるマークがついた。開いてみると「北団体カウンター前に座っています」。さっき送ったメールを間違えて開いてしまったのかと思うほど同じ内容。慌てて周りを見ると、少し離れて背中合わせに座っている人が同じように慌てていた。その人だった。

古くからの宇多田ヒカルファンの間では知らない人はいないであろうAさん。
私もNHWでの書き込みをもう何年も見ていた。チャットで交流ができて感激したその人と「初めまして」の挨拶をする。不思議な気持ち。カウンターでチケットを引き換え、喫茶店で軽い夕食をとった。私はカレーを、Aさんはサンドイッチを注文した。少し緊張しつつも、なるべく気取らないように、無理しないように、話した。一緒に旅をするのだから、変に遠慮や気遣いをしていると疲れてしまう。そう思って、そう振る舞っていて、それが許される雰囲気だった。

いろいろな話をしていたら、不思議なつながりがでてきた。
昔家庭教師をしていた子のお父さんが、Aさんの配偶者と同じ職場だという。たくさん家庭教師をしたけれど、あの子はどうしてるかしら、といまだに思うのはその子だけだったから本当に不思議。ここ数年、人とのつながり方が大きく動いてて、でも、離れる方向ばかりだった。それが、今度はつながる方向に動き始めたように感じた。この旅はその象徴なのかもしれない。少し前に、よく当たる占い師から旅行に行きなさいって言われていたことを思い出した。

食べ終わってそのまま手荷物検査場へ行った。
私たちが並び始めた直後から、次々と人が来て列が長くなっていった。検査は思っていたよりも簡単ですぐに終わった。モノレールに乗って搭乗口へ。やれやれと搭乗口前のソファーに座っていると、空港職員がやってきてもう一度ボディーチェックをするから戻ってくれと言った。すでにたくさんの人が搭乗口前にいたのに、全員少し手前のソファーのあるところへ移動させられた。しばらくするとボディーチェックが始まった。でもこのボディーチェックもなんということなく終わり搭乗時刻になった。

指定してとった座席は3人がけの窓際と通路側。
予想通り、機内は比較的空いていて真ん中の席には誰も来なかった。離陸前の時間に機内雑誌を読んで眠くなってしまうのがいつものパターンで、この日も雑誌を読んでいたらすぐに眠くなった。先に出発していたBさんが行きの機内でTHIS IS ITを見たと言っていたことをAさんが教えてくれたので、シートモニターの番組メニューを見ると、本当にTHIS IS ITがあった。暮れに映画館まで行ったのに、満席で見ることができなかったMJの最後の映像。でもこれを見てしまうと7時間もない飛行時間なのに睡眠時間をけずることになる。どうしようと迷ったのは一瞬。帰りの便でもやっていることを祈ってすぐに眠った。

着陸の1時間半程前に目覚めて食事を持ってきてもらい、豪華な朝食にした。
ピラフの上にチーズが乗ったような御飯と野菜サラダ。デザートには堂島ロールがついていたので、コーヒーをもらってロールケーキのクリームを入れて飲んだ。朝食代わりに出たのはあんパンとミルクパン。ミルクパンだけ食べて、あんパンはしまっておいた。

外は明るくよく晴れて、火山性らしい造形のハワイの島々が見えていた。
初めてのアメリカ。初めてのハワイ。長い長い1日が始まった。

ハワイ上陸

現地時間9時過ぎにホノルル空港到着。
すぐに入国審査場へ、長い長い通路を歩いて移動した。日差しが強く、素敵な色の青空が広がり、空港職員はアロハシャツを着ていて、空調は寒い。まるで沖縄と同じ雰囲気だった。南の島は基本的に同じなんだなと妙に納得した。入国審査はそれなりに混んでいて30分ほど並んだ。順番が来て案内されたカウンターには中年の男性職員がいた。眼鏡をかけたその職員は日本語で対応してくれた。簡単な質問に答えて指紋をとられて入国。Aさんの担当者は英語だけだったとのこと。Aさんが預けていた荷物を一緒に取りに行くとすでに全部出ていて通路に並べられていた。なんとか見つけて外へ。間違って団体出口に出てしまい、いろいろな旅行代理店の人がカードを持って立っている中、Aさんにまずは携帯メールをチェックしてもらう。すでにライブ会場のカフェで並んでくれていたCさんから、ゆっくりで大丈夫ですよというメールが来ていた。

チケットを頼んだ旅行代理店のプラカードを持った日本人らしき女性がいたのでタクシー乗り場はどこかと訪ねると、チケットを頼んでいるなら送迎バスを利用できるかもしれないからカウンターへ行って聞いてみたら良いと言われた。カウンターへ行くと、やはり流暢な日本語を話すスタッフがいて相談に乗ってくれて、送迎バスを二人で利用するとタクシーの方が安いかもしれないよ、と教えてくれた。親切なアドバイスにお礼を言ってタクシー乗り場へ行った。流暢な日本語を話す人がたくさんいたけれど、日本人なのか日系人なのか、当たり前のことだけれど区別がつかなかった。タクシー乗り場には案内の女性がいて行き先を聞いて車を用意してくれた。アラモアナホテルまでは思っていたよりも近く10分か15分ほどで到着した。Aさんが払ってくれると言うので、そのご好意はありがたく受けることにした。支払いは30ドルほどだった。

11時ごろにはホテルに到着。
チェックインのカウンターは空いていてすぐに対応してもらえた。Bさんからの情報では日本語を少々話すスタッフがいるとのことだったけれど、このとき対応してくれた女性は完全に英語のみ。チェックイン時には身元保証のためかクレジットカードの提示を求められ、情報を宿泊者カードに記録された。旅行代理店の人からチェックイン時に部屋の場所を決めることが多いと聞いていたが、この日は満室とのことであらかじめ部屋を決められていた。私の部屋は752号室。すでに空いていてチェックインできた。Aさんの部屋は754号室。まだメイクアップが終わっていないのでチェックインできないと言う。チェックアウト時刻が11時なので早くても12時ごろだと言われ、とりあえず二人で私の部屋へ向かった。

エレベーターは部屋のカードキーがないと動かないという話をBさん情報で聞いていて、確かにカードキーを差す場所があったので差し込んだり抜いたりしてみたけれど、これがなかなかうまくいかず動かない。試行錯誤しているとイスラム教の装束を身にまとった男性が乗って来て、さっとやってくれた。海外旅行では、ささいなことを、見知らぬ人にさりげなく助けてもらうことがよくある。とても小さなことでなんでもないことだけれど、旅行中の心細い不安な気持ちを支えてくれる大事な出来事のような気がする。

部屋は清潔でセミダブルサイズのベッドが1つ。
ヨーロッパのホテルはどんなに安くても壁紙やベッドカバーの柄や色使いが独特で、部屋にいるときにも外国にいるんだなという感じがするものだけれど、アラモアナホテルはさっぱりした内装で日本のビジネスホテルと同じ印象だった。窓を開けるとアラモアナセンターの駐車場やビルの向こうに海が見えた。値段が安いからとmountain viewの部屋を選んでいたがocean viewともmountain viewとも言えない微妙な景色だった。

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荷物を置いて、カバンに入れていた冬の上着や服をハンガーにかけた。AさんはすぐにLANケーブルを見つけてさっそくPCを接続。さすが。私は寝不足でだるかったので遠慮なくベッドで横にならせてもらった。

うつらうつらし始めたときに、Dさん夫婦が来てロビーにいるから行きませんか?とAさんに言われてメールを見せてもらうと、ぜひ会いたいという内容。これは行かねばなるまいということで二人でロビーへ降りた。どこにいるかしらと見回すと、あのカラオケコンテストのビデオで見たままのDさん夫婦がソファーのところにいた。顔も、話しているところも動画を見て知っていて、チャットでもたくさんやりとりした人と「初めまして」の挨拶をする。これもまた不思議な感じ。

Dさんはトラベリングのコスプレを準備する予定があるという話だったので、ライブ会場の前で会いましょうと簡単な約束をして部屋に戻り、またベッドで眠った。Aさんはネットをしっかりチェックしていた。1時過ぎだったと思う。Aさんがチェックインのために降りて自分の部屋へ入り、そろそろ動きませんかと電話をくれた。いったんライブ会場に行ってしまうと帰りは遅くなるので、アラモアナセンターで買い物をしてお昼を食べてから行くことにした。

アラモアナセンターはとにかく広くて、地図を見ながらABCマートを探す。
やっと見つけて、飲み物とカットパインとマカダミアナッツの小さい袋を買った。Aさんは先に並んでいる人たちのために缶コーヒーも買っていた。お昼御飯をどこで食べますか?と相談すると、時間的に食べてると遅くなりすぎるんじゃないか、とAさんが焦っている様子。このとき14時。14時半にはライブ会場に行きたいということだったので、お店に入るのはやめて白木屋でお弁当を買って部屋で食べることにした。私はジャージャー麺を買ってAさんは焼きそばを買っていた。味は普通。さっと食べてタクシーでライブ会場に移動した。

ライブ会場の前で

タクシーの運転手はライブ会場のPipeline Cafeを知っていた。
気持ちの良い海沿いの道をしばらく行って、右に入るとすぐにPipeline Cafeに着いた。 店の前にはCさんとEさんが見えて、もう一人、Aさんと同じTシャツを着た色白のさわやかな若者がいた。Bさんだった。簡単に挨拶をして、CさんとEさんはチェックインのためホテルへ移動。残りのメンバーで列の先頭にいた。

私たちの次にいたグループはハワイの若者が多かったけれど、中心に日本人と思われる中年女性がいた。赤いふちの眼鏡をかけた若い女性は美人で流暢な英語を話すバイリンガルだった。UTADAが特集されている小さな新聞のようなものを持っていた。他にいかにもオタクっぽい男の子もいれば普通の若者もいた。私たちが到着したときには10人弱だったこの2番目のグループは、最後は20人を越えていたと思う。

朝から並んでいたメンバーはステージが作られ照明テストをしている横でお昼御飯を食べたとのこと。Pipeline Cafeは開店し営業していた。入ってみると体育館よりずっと狭いスペース。ステージはもう出来上がっていた。見たときの感想は、狭い、近い、どうしよう。こんなに近くで見れるなんてことがあるのだろうか、という気持ち。丸いレンズの眼鏡をかけて金髪のくるくるの髪が肩まである特徴的な風貌の男性がライブの関係者と思われたので、撮影してよいかたずねるとダメだと断られた。でもしっかり目に焼き付けて外へ出た。中では普通に御飯を食べている人たちがいた。到着後早い時間なら、私たちも中で食べさせてもらえたのかもしれない。

待っている間どんな話をしていたのかもう忘れてしまった。途中で現地の人にしか見えない風貌のFさんが合流。Fさんのお店にHikkiが来たときのツーショット写真を見せてもらった。その後、Dさん夫も来た。Pipeline Cafeに行く前は開場を待っている間に周辺を探索しようと思っていたのに、実際に並んでしまったらもう離れたくないという気持ちになっていた。飲み物の買い出しも他のメンバーにお願いして並んだままずっと話していた。

当日受け取りのWILL CALLの窓口はカフェの正面ではなく向かって右方向へ入った側面にあるという話だったけれど、私たちが到着した14時半ごろから正面の入り口横に移動してきていた。プラスチック製の机を組み立てWILL CALLと大きく書かれた幕を垂らしていた。机には白い布をかけDVDデッキのようなものと液晶モニターが置かれていた。PCを操作する若いスタッフの手元には当日受け取りの青いチケットがあった。そのうち立て看板も置かれ、そこにはVIP会員の案内もあった。液晶モニターにはHikkiの写真が次々と移り変わるスクリーンセーバーのような映像が映し出された。

リハーサル!

16時頃、音が聞こえて来た。
ドアが閉まっていると、リズムがかろうじて聞こえるくらいの小さい音。
誰かがドアをあけると、ドアが閉まるまでのほんの数秒間、演奏が聞こえる。

リハーサルだ!

何の曲だろう。一生懸命聴くと、最初はMe Mueroだった。
次にYou Make Me Want To Be A Man、そして、なんとFirst Love。
「曲がわかちゃっていいのか!?」
「えぇ!日本語曲もやるの!」
一緒に並ぶメンバーと大興奮でいろいろ言いながらも耳を澄ませて聴いた。
もうすぐライブが始まるという実感が沸いてきた。次の曲はなんだろう。まるでもうライブが始まったみたいな気持ちで聴いていたら、This One が流れてきた。おぉー!っと感動していたら声が聞こえてきた。誰かが歌っていた。

慌てて店のドアのところへ行き窓越しに中を見た。
私たちの後ろに並んでいたグループの中年女性も来て同じように見ていた。
まだ暗いステージの上で歌う小柄な女性のシルエットが見えた。眼鏡をかけて、肩ぐらいまでのストレートの髪を前髪が落ちてこないように後ろでとめていた。遠くて、ドアは閉まっていて、声がよく聴こえない。Hikkiだ!と思う瞬間と、やっぱり違う、と思う瞬間があった。特に高音部を歌っているとHikkiの声じゃないみたいだった。一緒に覗いていた女性は「Utadaじゃないわ」と言い、Aさんもこの声は違うと言った。歌ってるのはどうやらHikkiじゃないみたいだ、という雰囲気になった時に、This Oneの後半が聴こえてきた。間違いなくHikkiの歌だった。全員がはっとして、聴き入った。

リハーサルはOn And On、Merry Christmas Mr. Lawrence - FYI、と続いた。曲が変わるたびに、気持ちを抑えられず、ドアのところへ覗きに行った。歌ってるHikkiを見て感動した。でも、このあたりでカフェの人から覗きに行かないようにと注意を受けてしまった。彼女は今ライブ前でナーバスになっているから、と言っていたように思う。そしてドアのところに近づけないように手前にポールを置かれてテープを張られてしまった。申し訳ない気持ちと残念な気持ち。でも音は聞こえる。リハーサルは続いた。Poppin'、SAKURAドロップス、STAY GOLD、Apple And Cinnamon。歌声はここまでだった。最後にOn And On のイントロが少し流れて約1時間続いたリハーサルは終わった。

気がつけば17時を回っていた。並んでいる人は増え、日差しが少し弱くなり、影が濃くなって夕方の雰囲気。開場まで2時間を切った。

助けてくれた人

このあたりから、記憶があいまいで、時間がよくわからないけれど、
とりあえず、覚えていることを書いてみようと思う。

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リハーサルの前だったか後だったか。
ハワイ在住の日本人と思われる女性が来て話しかけて来た。年齢はおそらく40代。よく日焼けしてカールした髪が肩くらいまであった。活動的な雰囲気のきれいな人だった。最初は、この人そんなに有名なの?とか、そんな会話だったと思う。宇多田ヒカルをまったく知らない人だった。ライブで忙しいから手伝いに来たと言っていた。カフェのオーナーとも親しい様子だった。

私たちが日本から駆けつけたことやHikkiが3万人のスタジアムライブをやったことを聞いてとても驚いていた。そんなに有名な人だとは思っていなかったこともあってか、宇多田ヒカルがライブにあたってカフェにうるさい注文をつけるのだ、と愚痴を言っていた。ビールは瓶のまま出さないでくれという要望があったらしい。その愚痴を聞いていたAさんがみるみる不愉快になっていくのがちょっとはらはらしつつもおもしろかった。以前から、AさんのHikkiへの接し方って、まるで母親みたいだなと思っていたけれど、まさにそういう様子だった。どういう立場でも、どういう状況でも、彼女のことを悪く言うのは絶対に許さない、という感じ。そしてこの様子を見ていて、私はHikkiとは距離のあるファンだな、と思った。

日本人の感覚からすれば、瓶を落として割れたら危ないとか、カップで出してもいいじゃないか、とか思うのはそれほど違和感はない。逆に、アメリカのカフェバーでビールを瓶で出すなっていうのがとても特殊な注文だというのもわかる気がした。この女性、手伝いに来たと言いつつ全然手伝う様子はなく、ずっとお店の前にいて次々に来るスタッフや関係者と挨拶を交わしていた。とても顔の広い人だということは確かだった。

リハーサル中にお店を覗くと普通にカフェのお客さんが食事をしていた。
そんなことが許されるのか!という気持ちと、ファンだから遠慮した方がいいのだろうなという気持ちとあってトイレを借りるのも躊躇していた。でも、夕方になっていよいよお腹が空いて来たので、この女性を通じて中で食事をすることはできるか聞いてもらった。彼女はすぐにカフェオーナーに聞いてくれた。オーナーはダメだと言い、17時半になったらお寿司が出るからそれを食べてくれと言った。このころ入り口付近に大きなゴミ箱が設置され、店内には飲み物も持ち込み禁止だと言われてせっかく買って来てもらった水を捨てた。

カフェの中からパーカッションのTaku HiranoとたぶんDavid Cookが出て来て外の様子を撮影していた。バンドメンバーがすぐそばを通って行ったことに緊張してじーっと見ていたら、FさんがAさんに、何か言わないんですか、と言って、Aさんが「Takuさん、がんばって!」と声をかけていた。でも二人とも並んでいる人の方は全然見ていなかった。Dさん夫は、Dさんが準備に手間取っているようだからとホテルへ戻って行った。

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18時頃だったと思う。
巻物のお寿司とミネラルウォーターのペットボトルを持った若い男女がカフェから出て来た。配ってくれるのかと思っていたら、売り物だと言う。値段を聞くと、はっきり決まっていなかった。3ドル?5ドル?と、売り子が値段をどうしようかと言っていた。カッパ巻きや鉄火巻きがあった。結局ものによって3ドルと5ドルにわけて値段がつけられ順番に売り歩いていた。鉄火巻きを買って食べると普通においしかった。

暗くなってきて、カフェの入り口の明かりがともされ、ガードマンと思われる体格の大きい男性がたくさんやってきた。みんなビヤ樽みたいな体型でアロハを着ていた。そのうち大きな男性の1人が黄色いテープを持って来てIDを見せろと言ってきた。年齢を確認すると言う。その瞬間に頭をよぎったのは、このカフェが普段は年齢制限があって未成年のBさんが入れないということだった。でも、ライブは年齢制限がないはずだった。ここまで来て、朝から並んでたBさんが入れないなんてことは、絶対にあってはならないと思った。完全にはやとちりだったのに、ちょっと怒ったような感じで「Why?」と聞いていたと思う。

聞いてみれば、なんということはない。
お酒を飲める年齢かどうか確かめて、飲める年齢の人の手首に黄色いテープを巻くのだという。ハワイは若年者の飲酒にとても厳しいとガイドブックに書いてあったことを思い出した。ほっとした。Bさんは最初から降参ポーズで飲めない年齢だと言い、他のメンバーはみなテープを巻いてもらった。結局、飲み物を飲む余裕なんてなかったけれど。

開場が近づいたころ、カメラなど撮影できるものは一切持ち込み禁止だ、と言われた。そして、カフェのVIP会員の先行入場が始まると、バッグをチェックして、カメラを取り上げていた。青ざめた。もうホテルへ置きに帰る時間はない。預けてちゃんと戻ってくるのか、心配だった。すると、あの人が、カフェオーナーに彼らは今からホテルにも戻れないのにカメラをどうするのか、と掛け合ってくれていた。そして、それを心配そうに見ていた私に、ちゃんと預かってもらえるようにするから、と言ってくれた。心強かった。VIP会員のバッグチェックを見ていたら、カメラの電池を抜いて預けている人がいた。取り上げられてしまうくらいなら、電池だけ渡そう、と思った。ちょうど、カメラには古い方の電池が入っていた。

VIP会員が入場しているとき、あの人が私たちの方を気の毒そうに見ながら、カフェオーナーに何か一生懸命交渉してくれているのが目に入った。なにか、問題があるようだった。ざわついている中、一生懸命聞くと、どうやら、並んでいる一般客については列の途中からも同時に入場させるとオーナーは言っていて、それに対してあの人が、彼らは日本から来て朝から並んでいたのにかわいそうだ、先に入れてあげてほしい、と交渉してくれていた。

彼女のそのニュートラルな姿勢に感動した。
うまく表現できないけれど、宇多田ヒカルを知らないと言い、うるさいアーティストだと愚痴をこぼし、日本から来たの!と驚いていた人が、一生懸命私たちのことを思って交渉してくれていた。私たちとはまったく無関係に。

いよいよ入場が始まった。
その瞬間、ホテルから戻ってきたメンバーが見えた。完璧なトラベリングコスの Dさんも!いつの間に到着していたのか、少し離れたところからこちらを見ていた。あとから来たのに、いちばんで一緒に入るのを躊躇しているように見えた。でも、それは違う。だって、朝から並んでいたのはCさんとEさんだ。大きな声で呼んだ。だって入場が始まったのだ。一緒にいちばんに入らなければ意味がない、と思った。「早く!早く!」と呼んで、一緒に入場した。

あの人は入り口のカウンターでもぎりをしていた。
そこで、カメラを預けるように言われた。私は電池だけを預けたが、たくさんのカメラが手渡され、自分のものがちゃんと帰ってくるかどうか、怪しい状況だった。なにか、番号札のようなものはないんですか?と彼女に聞くと、すかさず、作ろう!と言って、白い紙を取り出し、ちぎって番号を書き始めた。「何番?」「じゃぁ、1番で!」そんな短い会話をかわして、#1と書かれた紙を受け取った。そして、私のカメラの電池の上に、同じ番号の紙を置いてくれた。本当に、心強い対応だった。

このカメラのやりとりをしている間に、一緒に並んでいたメンバーを見失い、暗い会場をうろうろしていたら、ステージのすぐ前に、Dさんのコスプレが見えた。おぉ、あんなところに!と慌てて向かう途中に、並んでいる人の列の途中にある入り口があった。あの人が交渉してくれたおかげで、まだ入場を制限されていた。

みんなのところに行くと、本当に、ステージのすぐ前だった。
3列目?5列目?とにかく、ステージの上の人を見上げる位置だった。近い。そしてステージは狭い。ここにHikkiが来たら、どこに立ってもとても近い。

 それでも、実際にHikkiが出てくるまでは、あれほど近いとは思ってなかった。

並んでいる間の出来事

並んでいる間に、他にもなんかあったな、と思い出したこと。

●日本からの費用はいくらだったのか?と聞いて来た男性。 
何時から並んでいるの? どこから来たの? えーっ、日本から来たの?飛行機代はいったいいくら? という感じだった。総額でどのくらいのコストをかけているのか、が知りたかった様子。Bさんが高校生だ、と言ってあげたら、もっと驚いただろうなぁ、と後から思ったり。

●2番目のグループの後ろに並んでいた日本人女性が、友達と一緒に私たちの後ろに入れてくれ、と言ってきたこと。
突然、私のこと覚えてますよねー、と話しかけてきた。その最初のひとことから、なんだか攻撃的で、感じの悪い人だった。朝から並んでいたメンバーはBさん以外、ホテルへチェックインに行っていたので、私たちは彼女のことを知らない、と言うしかなかった。それでも彼女は、覚えてますよね?と詰め寄ってきて、私が到着する前に並んでいたメンバーとなにか言葉を交わしたときのことを話し始めた。それを聞いてBさんが思い出し、覚えています、と返事をすると、私たちの後ろに割り込ませてくれ、と言い出した。

彼女の言い分は、2番目のグループが最初は数人だったのに、どんどんあとから人が増えてこんな大人数になってて、これはずるい。自分たちは、この後から来た人たちより前から並んでいるのだから、ここへ入れてもらってもいいはずだ、というような内容。いや、私たちもグループで、入れ替わりながら並んでいるし、それは別に普通のことでずるくはないんじゃないか、と思った。そして、このときには言えなかったのだけれど、2番目のグループに対する意見なので、前にいる私たちに言うべきことじゃない。2番目のグループの前に入りたいなら、2番目のグループと交渉すべきところだろう。

でも、言われたときは、そこまで考え至らず、ま、二人くらいならいいんじゃない、ということで、私たちは別に構いませんよ、関係ないし、という感じで返事をし、彼女らは私たちの後ろに入った。でも、結局、2番目のグループの人たちとの間で話がこじれた様子で、彼女の友人の方が、もういいよ、という感じで引いて、彼女を連れて元の位置に戻って行った。

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長い長いDJタイム

7時すぎに入場。
薄暗い会場。リノリウムみたいな床。ステージ手前には胸くらいの高さのフェンスが設置されていた。ステージに向かって右側の位置にみんなで固まっていた。私たちの前のフェンスとステージの間には、音を調整する人たちのブースがあった。ステージに向かって細長い形の会場、前3分の1くらいのところから、二階席に上がる階段があった。2階はテーブルと椅子があり、ステージを見下ろせる。私たちが会場に入ったときには、2階席にはほとんど人がいなかった。

そして、狭いステージ。
ステージにはぎっしりと楽器やらキーボードやらが並んでいた。両サイドにキーボードスペース。奥にドラムとパーカッション。バックの壁の中心にはUtadaのロゴがあり、左右には大きなモニターが配置されていた。液晶テレビのような小さなモニターは店内のバーカウンターのところや二階席のところにもあった。そこにはステージが映し出されていた。


会場は満員。ぎゅうぎゅうだった。
日本人がもっといるかと思っていたけれど、案外少なかった。地元なのかどうなのか、さっぱりわからないけれど、外国人の方が圧倒的に多かった。私の左ななめ前にBさん、右ななめ前にDさん。私の前はちょうど半人前くらいのスペースが空いていた。そこへ入ってしまってもよかったけれど、前を空けておく方が見やすいので、そのままつめずにいた。Dさんは相変わらず調子が悪そうに見えた。もし本当に調子が悪くなって立っているのが辛くなったら、あの2階席に行って座らせてもらったらいいよね、などと考えていた。

ステージの端やフェンスとステージの間にはたくさんのセキュリティーの大男がいた。携帯やカメラで撮影しようとしている人がいると、フェンスに足をかけて聴衆より高い位置にぬっと出て来て、撮影をやめるようにと注意をしていた。首を切る仕草をしたり、指差して怒鳴ったり、かなり脅しをかけていた。大男が出てくると、ステージが遮られて見えなくなった。

DJがいつ登場してプレイを始めたのか、実は全然覚えていない。
もしかしたら最初からいたのかもしれない。ステージの真ん中にDJテーブルがあった。記憶にあるのは、陽気な笑顔で次々と曲をかけるDJ。その胸にブルーのスタッフパス。とても人の良さそうなDJだった。どんな曲がかかっていたのか、まったく覚えていないけれど、時々、観客がフルコーラスで歌う曲があった。ヒット曲なのかな、と思いながら、ただただHikkiの登場を待った。

DJタイムのときに、最前列でフェンスに寄りかかっている女性が瓶のビールを持っているのを見かけた。だめだって言われてたのに。VIP会員だからだろうか。さらに、混雑の中、Bさんの前にいた女性グループの1人が、出て行って、戻って来たときにはグラスに入った飲み物を二つ持っていた。そのグラスはどうするんだろう、この状況で、と思ったが、結局どうなったか見ていない。

チケットには8時開演とあった。20分前、5分前、と時計を見ながら、Bさんと「あとちょっとだね!」と言いながら待った。

いよいよ8時を過ぎたのに、DJタイムが終わりそうにない。
2階席を見上げると、まだあまり人がいなかった。いつだったか、スタッフらしき人がフェンスとステージの間のところから、DJに向かって、伸ばすように、というような仕草をしていた。DJはHikkiの登場を待ちわびる観客を、iPhoneで撮影してみせたり、手拍子を促したり、なんだか一生懸命だった。ふと2階席を見上げると、バンドメンバーのTaku HiranoがiPhoneで会場を撮影していた。2階席は少し人が増えていたものの、まだ空席が多かった。バンドメンバーがあんなところにいるんじゃぁ、まだまだ始まらないな、と思った。2階席は招待客の席と思われ、2階席が埋まるまで始まらないのかもしれない、と思った。

8時半を過ぎて、DJタイムはまだ終わりそうになかった。
このころに、突然頭の上からドライアイスの煙が噴射された。ちょうどBさんの真上の位置で、細かなドライアイスも一緒に降って来た。いよいよ登場の準備なのかな、と思いつつ待った。

もう9時前だったと思う。DJタイムがやっと終わった。
もう足がしびれて感覚がなくなり、いつになったら始まるのかとうんざりし始めたころに、DJが去ってDJブースが片付けられた。観客から何度かのUtadaコールがあり、追い出されるように去ったDJはちょっとかわいそうだった。そして、いよいよ始まりそうな雰囲気になった。2階席を見ると、全部うまっていた。そして、階段の途中にはスタッフパスを首からかけている人たちが5人くらい立っていた。一番前に立っていた女性は、一眼レフと思われる大きめのカメラを持っていた。でもレンズは小さくて1台しか持っておらず、プロのカメラマンには見えなかった。

ステージにマイクスタンドが立てられた。
ちょうど、左斜め上を軽く見上げる位置。すごく近かった。 あそこにHikkiが立つのか。そして歌うのか。近い、近いよ!とBさんと感激しながら待った。

暗転し、暗闇の中、ステージの後ろの幕の隙間からバンドメンバーが出て来た。それぞれの位置に陣取り、いよいよHikkiを待つだけになった。

Utadaコール、そして大歓声の中、音が聴こえて来た。
Opening。UU06の始まりと同じだった。

夜明けのイメージ。
まだ薄暗い空とガスがかかったような空気の感じ。
そして、空が白んでくる。

いよいよ始まった。

Utada In the Flesh 2010

セットリスト
0. Opening
1. On And On
2. Merry Christmas Mr. Lawrence - FYI
3. Poppin'
4. This One (Crying Like A Child)
5. Passion - Sanctuary
6. SAKURAドロップス
7. Stay Gold
8. Devil Inside
9. Kremlin Dusk
10. You Make Me Want To Be A Man
11. The Bitter End (Placebo cover)
12. Apple And Cinnamon
13. ぼくはくま(MCのときにアカペラでちょっとだけ)
14. Come Back To Me
15. First Love
16. Can You Keep A Secret?
17. Automatic
18. Dirty Desire
(アンコール)
19. Simple And Clean
20. Me Muero

ステージに出てきたHikkiは、ピンクのスパンコールがぴかぴか光るスパッツに大きなTシャツを着ていた。Tシャツの正面には大きなピンクのハートが描かれていて、左胸には青いスパンコールで小さなハートが重ねて描かれていた。髪はストレートで肩まで。長い前髪をおろしていて、左目は隠れていた。髪の間から見える目は、緊張からか、うるんでいるようで、いつになく艶っぽく、大人の女性になったHikkiを感じた。

すごくすごく緊張していて、涙ぐんでいるようにさえ見えた。大丈夫だろうか・・・という心配もつかの間、歌いはじめると、その歌声に気持ちをさらわれた。年末にyoutubeにあがっていたMIKAとの「Let It Snow」の歌声のように力強い声だった。とにかく、すべての曲が素晴らしかった。しっかりした声で、うまくて。一曲一曲に何かを書こうとしても、ただ素晴らしいと繰り返すだけになってしまうから、特に印象的だったことだけを書き留める。

Poppin'
この曲をライブで歌ってくれたのがただただうれしかった。

This One (Crying Like A Child)
気持ちが入っていて特に素晴らしかった一曲。

Passion - Sanctuary
始まったとき、「Passionだ!」と、Bさんと顔を見合わせて大喜びした。でも、もっと驚いた。途中から、Sanctuaryになったから。まさかまさかの融合バージョン。

Stay Gold
あの始まりの無機質な、あたたかくも冷たくもないピアノの響きから、厚みのあるコーラスに入るのが印象的だった。

Kremlin Dusk
Hikkiの全部の曲から1曲選べと言われたら、この曲。私にとって特別な魅力のある曲。UU06でも感動したけれど、この日の方が曲をちゃんと聴けた感じがする。はじけてからのパーカッションがすごくて、Taku Hiranoの無駄のないあざやかな動きに見とれた。そして、次の曲につなぐキーボードが最高にCoolでMatt Rohdeに注目。

このあたりから、セキュリティーの大男が出てきてHikkiが見えなくなったときに、ステージの他のメンバーを見るようになった。ライブが、音楽が、ステージメンバーによって作られていることを、このとき初めて実感したような気がする。そして、なんといってもMatt Rohde。バンドマスターというのは聞いていたけれど、それがどういう役割なのか、音楽にうとい私にはよくわからず、ただ、UU06のときから同じメンバーだな、というくらいに思っていた。でも、このステージを見て、Kremlin Duskのキーボードを聴いて、気になり始めた。そして、Hikkiが見えないときに、Mattをずっと見ていたら、なんと何度も目が合う!微笑む!そのHappy Smileがまたとても素敵で、完全に惚れた。いつかMattのかかわる他のライブにも行ってみよう、と決意。

You Make Me Want To Be A Man
最後にHikkiがドラム?を一緒にたたいた。
これが、すばらしいリズム感で、微塵のずれもない動き。

The Bitter End (Placebo cover)
知らない曲。最初はジャックさんと顔を見合わせて、新曲か?と疑ってみたがカバーだった。疾走感あふれるかっこいい曲。そして、音のバランスの問題だったのか、Hikkiのボーカルがサビ以外はほとんど聴こえなかった。

Apple And Cinnamon
ライブの中で、アルバムと最も印象が違った曲。力強さが違った。アルバムでは、美しく悲しいメロディに力強さはあまり感じなくて、むしろ弱さや儚さを感じる曲、遠い記憶をたどるような曲に聴こえた。それが、ライブになると力強い。悲しみも記憶も強くて、まだ気持ちが揺さぶられている時の歌になっていた。

ぼくはくま
MCのときに話すに困ったHikkiが、ほんの少し披露してくれた。急にあたたかい雰囲気になって、ステージメンバーもみんなが笑顔になったのが印象的。

Come Back To Me
観客が、フルコーラス。今考えれば、当たり前かもしれないと思う。だってライブに来るファンだから。でも、感動した。そして、次の曲へのつなぎが、とても素敵だった。

First Love
またしても観客が、フルコーラス。日本人は3割いたかな、というくらいなのに、日本語の曲なのに、みんながフルコーラスで歌っていた。感動。

Me Muero
Mattが演奏しなくていい時間が多くて、のりのりで踊っていて素敵だった。

ライブ中の記憶が少ない上に、言葉で表現するのがとても難しい。
感動を書こうとすると、言葉の不自由さにつまづく。
あの時間を、あの気持ちを、言葉で表現することができない。

細かい情報は言葉にしておかないと忘れてしまうから書いたけれど
書き終えてみたら、忘れてもいいことかもしれないと思った。

あのときの気持ちの動きが、ただ残る。
どの曲だったのか、何を見ていたのか、そういうことはみんな遠くなって、ただ心が動いたことだけが残る。それもいい、と書き終えて思った。

(えぇー!こんなに長々と書いておいて結論はそれかよーっ!)

そして今。ライブで聴いた曲はどれも、もう元のアルバムの音に戻れない。
「This Is The One」のアルバムで聴いていた曲たちは、特に印象が違った。アルバムで聴くと、とても軽くて心地よいサウンド、それがライブになると、力強さが加わって、軽いのに、気持ちよいのに、力強い、そのバランスが本当に素晴らしかった。

今も斜め上を見るとHikkiが見える。
ライブで聴いた曲を聴くと、ライブの音がよみがえる。

Hikki、ありがとう。

とても励みになります。