「お母さんのこと、嫌いでもいいんだよ。」
「私、自分のお母さんのこと嫌いだよ。」
当時の同僚からその言葉を聞いた時、目から鱗が落ちた。
父の病気がわかる半年ほど前の話だ。
私が「母と合わない」というようなことを話した時の、彼女の言葉がそれだった。
「んー、わかるな。星野さんの気持ち。」
と前置きしてから彼女はさらりと言ったのだった。
聞いた瞬間、お母さんのことをそんなふうに言ってもいいの?と驚いた。
それから「私もそうなのかも」と思ったのだ。
「お母さんのこと、嫌いでもいいんだよ。」
なんて事ない、というように同僚が続けたので、私は目を見開いた。
いいの?
お母さんを嫌ってもいいの?
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
聞いてはいけないことを聞いてしまったような、それでいて何かから解放されるような、そんな気持ちだった。
昼休憩の時の、わずかな時間に交わされたこの会話は、未知の世界への扉を開いたようだった。
本当はずっと前からあることを知っていたけれど、開けてはいけないような気がしていた扉。
見て見ぬふりをしていた扉。
だから、その時の景色も同僚の言葉と一緒に鮮明に目に焼きついている。
彼女の背後にはすっきりと晴れた初秋の空が広がっていて、収穫が終わり風にたなびく稲が黄金色に輝いていた。少し冷たくなってきた外気は一面に貼られたはめ殺しのガラスに遮られていて、室内にはただ暖かい日差しだけが差し込んでいた。
強烈なインパクトのある言葉とは正反対に、同僚は穏やかな表情を浮かべていた。
私の憑き物を落としてくれた、私を救ってくれた彼女の言葉を、私は生涯忘れない。
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