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『あん時は、痛かってん!』バラの独り言より。

これは、私の妄想に近い菜園日記。
以前、人間も動物も
かわいがっていると意識が進化して
成長するのだという話を読んだことがある。
飼い猫がしゃべるという話はよく聞くが、
植物たちだって実は饒舌に話しているのだと思う出事があった。

私的な妄想・・・・・にしてはあまりに笑えるので記しておこう。



けなげな玄関の白バラの不機嫌

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今年も我が家の庭の隅っこにある白いバラが
シーズン中に良く咲いてくれた。
来年用にと、咲き終わった花のジクを切り落とし、
枝を剪定をして周りの雑草を抜き、
少し庭もきれいになったと思った翌日のよるのことだ。

ちょうど息子が泊まりに出かけて一人の夜だった。
友人宅でのんびりしゃべっていい気分で帰宅。
家に入る前に、玄関を歩きながら
ふと目に入ったバラの木に、少し弾んだ気分で
『ただいま~!元気だった?』ってな気分で心の中で話しかけた。

するとどうだろう。
『・・・・・・・・"(-""-)"。
 ただ今やないねん。あん時は、痛かってん!』

『・・・・・・・ん??何この不機嫌。』
何これ?

『ただいま~!元気だった?』と心の中で、もう一度つぶやいてみる。
『だから、痛かったのよ。あの時。』

もう一度不機嫌なテンションが伝わってくる。

この日、別段アルコールが入っていたわけではないのだが、
まるで外で気分よく読んで、ほろ酔い気分でかえってきたら
家にいた奥さんが不機嫌で酔いが醒めた!ってそんな感じ。

『もしや!日中、チョッキンチョッキン、切ったの、
 あれってイヤだったのかな?』と聞いてみる。
『そう。だから痛かったって言ってるの・・・・・』と、
 ツンとした固いテンションが伝わってくる。



『ぎゃぎゃぎゃ~!
 またやってしまった。ゴメン。ゴメン。ゴメ~~ン。
 本当にごめん。痛かったのね。
 勝手に切ってごめんなさい。
 本当にごめん。許して~』
 
月夜に照らされた玄関のバラを相手に、
 平謝りに誤る私。
 今度はこちらの気分が妙にしゅんとする。




最初の声は小さく遠慮がちに

最初に家のバラがしゃべった?と思ったのは去年のこと。
引っ越してきたばかりのこの家で
敷地の隅っこにひっそりと見向きされずにポツンといた
バラの咲き終わった花のジクを
切り落としたときのことだった。
意識の中の端っこに
『イタっ!』と瞬間の疼きのような小さな感覚が走った。

『ん?』
折しもロックダウンで
人にも会えず、引っ越したばかりで対してすることもない。
日がな一日、空とわずかな庭の木を眺めて暮らす日々のことだった。

『あ、ごめん。でも今、バラしゃべった?』と思って手を止めた。

庭の隅っこに、あまり関心も持たれずに
放置された状態のバラだった。
極度に暑い夏だった去年。
オークランドの日照りと乾燥に何とか耐え
かろうじて立っているという姿だった。
もう、とうに今年のシーズンのエネルギーは使い果たし
もう限界!っといった様子で立っている。

『ごめん。種をつけたいのに、切られたらそりゃ痛いよね。』
そう思って、その日は、作業を辞めてそのままにした。

『でもな、やっぱり来年はもう少しきれいな花を見たいな。
 そのためには、今、カラッカラの木のエネルギーを
 実に付けてしまうのではなく、
来年のエネルギーに回してほしいな~。』


そう思って、今度は、覚悟してバラの前に立ち、
意識の中で、話しかけた。


『ごめんよ。やっぱり、私、来年バラの花がたくさん見たいの。
 ここに来たばかりで、庭には大した花もないし。
 玄関で、バラが咲いてくれたら嬉しいじゃない。
 だからさ。ごめんよ。咲き終わった花は切らせてもらうよ。
 痛いだろうけど、ごめん。切らせてもらう!』と。

もうその時は、バラは痛いということもなく
黙って切られるがまま。何も言うこともなく、黙っていた。
去年の同じ時期のことである。

日本と反対の気候のオークランドは、
これから一気に冬に向かう季節だ。
夏時間が終わり、ジリジリと照り付けた太陽は短くなる。
もちろん、バラの季節はとうに終わりのはずだった。

ところが、どうだろう。
『イタッ!』と一言つぶやいた、玄関の白バラは、
植物の意地というか矜持を見せてくれた。
『ゴメン』と謝って花の咲き終わりを切ったそのあとに
花のつぼみを再度、付け始めてなんと2か月近くも
真冬の真冬まで、咲き続けたのだ。

対して栄養もなさそうな土に咲く
バラの栄養状態を心配になるほど、
咲き続けたのだ。

去年こんなことがあったのに、
人間都合がいいもので、すっかり忘れて同じことをした。
そして今回、むくれられたのだ。
『あの時は、痛かった。』と。
まるで、もうわかってもらえたと思ったのに
おなじ過ちをしてしまったことに
腹を立てる家族のようななんとも不思議な堅いテンション。


ところで、
こんなことを書こうと思ったのは、
ここオークランドのマオリの文化には
植物たちは意識を持ち、コミュニケーションをしあっているという
認識がある。
だから、薬草になる葉や枝をいただくときにも
まず木に「断り」を伝えて、感謝とともに
その一部をいただくという文化があるのだ。
そんな話を頭ではわかっていながら、
ついつい日頃の暮らしになると
勝手にハサミを入れて、あとで怒られるようなことを
まだ繰り返している。

実は、このことには
余談もあって、この文章を書こうと思って
今朝バラの写真を撮った時に聞いてみた。
『あなたの、あの話、書こうと思うんだけど』
すると帰ってきた言葉は
『バラにも人権があってプライバシーがあるねん。
 断ってからにしてな。』

もうこうなると、笑うしかない。
私の意識の翻訳機の性能にもよるので、
本当に彼らがこんな了見の狭いことをいっているのかは
わからないのだけど、
ふと野菜の声が聞こえる料理人・本道佳子さんのことを思い出した。
彼女は、スーパーの野菜でも意識を合わせると
笑える声が帰ってくると話していた。
売れ残りの人参君が、
『買ってくれて、あざーっす!先輩お先っす!』ってなノリで
話しかけてくるのだとか。

だとすれば
毎日かわいいと思うバラの花が、
遠慮がちなつぶやきから、ティーンエイジャーみたいになって
話しかけてきたって、まあいいか!
そう思える、豊かな妄想の世界。
そろそろお後がよろしいようで~。




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