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久保帯人よりも詩人になれ

初めて読んだ詩集は金子みすずだった。
言葉の優しさや伸びやかさが音になって聞こえてきて、白黒印刷された文字の中、あたたかいという温度さえ感じる。それが楽しくて、私は「詩」というものを好きになった。

しかし、どういうわけか思春期において「詩」というものは嘲笑の対象だった。
ポエマーというのは今で言うところのチクチク言葉で、詩集を読んでるということがバレたらクラス中からバカにされると中学生の私は理解していた。

本当は毎日、寝る前に日記を書いたり、感じたことを言葉にして楽しんでいて、1人コツコツマメに更新していたけれど、そんなことは誰にも言えなかった。

この時代、インターネットは存在していたけど、今ほど全然普及していなかった。
普及していたら、とんでもない量の日記とポエムが世界にばら撒かれていた訳だから、結果的に恥ずかしい思いをしなくて済んだワケだけど、
大人になった私はなぜかいまだに日記を書き続けており、しかもこうしてインターネットにばら撒いて暮らしている。


自ら恥を見せに行く訳だから、やってることは露出狂と変わらないような気もする。恥ずかしければ恥ずかしいほど人になんか言いたくないのに、なぜか毎回書かずにはいられない。1人で抱えていると辛くなる。誰かに読んでもらって笑ってもらえたら成仏するし、誰かに読まれることで、しんどさややり切れなさを、一緒に背負ってもらったような気持ちになる。
勝手に皆さんに十字架を背負わせてしまってすみません、そしていつもありがとう。

「小説家になれる人は、小説を書かずにはいられない人だけ」みたいな話を聞くが、その理論で言うと私は「日記家」であり「ポエマー」になる。
思ったことを文字にせずにはいられないのだから、これを職業として成立できたら最高なんだけどな、残念ながら今の私はただの会社員。ただの名もなき、夜な夜な文字を綴る人である。

今は大人になってしまったので、「あんたポエマーだね」と笑われても全く気にならない。そんなことはどうでも良くて、大切なのは「自分の好きなものを楽しむこと」だと、理解しているからだ。



先日、Xに書いたポエムがバズった。

これは、
「Good girls go to heaven, bad girls go everywhere」(良い子は天国に行けるが、悪い子はどこへでも行ける)というメイ・ウエストの言葉に倣って、言いたいことを並べた。

別に、悪い子じゃなくてもどこにでも行ける世界であって欲しい。天国に行けますよなんて、不確かでずいぶん先の契約を結んだところで、生きてる間地獄なら全然楽しくないじゃん、と思ったから。

特に意味はなくても、響きのいい言葉を拾っては集めて、積んでみたり、並び替えたりして1人で遊んでいるけど、沢山いいねをもらえたことにより、なんか改めてポエムって楽しいなと思った。
「詩人」になって、あの日読んだ金子みすずの詩みたいに、優しさや伸びやかさを、彩りや温度を、誰かに共有できたら素敵だなと思う。

約6千人のフォロワーに、ポエムを聞かせることができるツール、万能過ぎる……怖いよ、すご過ぎて。


それと同時に、一番好きな詩ってなんだろうと考えたら、作品も歌詞も好きなフレーズも沢山あるけど、
やはり「剣を握らなければ おまえを守れない。剣を握ったままでは おまえを抱き締められない」が1番カッコよくて好きだな。と思った。

金子みすずを語っといた後にマンガの話をぶち込むな!と言われそうだけど。言葉は自由なのが楽しいところ。

小説でも漫画でも、映画でもTwitterでも、歌詞でもそう。言葉は言葉。

素敵な言葉は、
触れた分だけ自分の心が、豊かになる。
そのフレーズを、たとえ明日忘れちゃったとしても、何かのきっかけで必要になれば、ふと思い出して、自分を助けてくれたりもする。

いろんなことを感じて、言葉にして、
素敵な言葉を拾って、集めて、
いつか久保帯人より、痺れるポエム書けたら最高だよね。

見せ場の見開きページの前に、ぽそっとそれ読んでドヤりたい。

このお金で一緒に焼肉行こ〜