お金について考えてみた
どうやっても逃げることができない物である。
それはお金とのつながり。
お金は生活に必要で常に生きるために必要なもの。
常にお金のことを考えながら生きている自分に嫌気がさすこともある。
だけど、必要なものを欲しいという願望は拭い去れないし、きれいごとでは
生きていけないことも知っている。
ある朝起きると仕事に行きたくない欲求にかられた。
サラリーマンであることはこんな時都合がいい。
嘘をついて休んでしまうことができるからだ。
少しだけ休むことは自分に必要だと言い聞かせながら休みを取った。
だけど思ったよりも楽しめない自分にも気づく。
明日も同じように休むのかと自問自答する。
もし、サラリーマンをやめたら自分は生きていけるのだろうかと不安が襲った。
サラリーマンを辞めてフリーランスとして働く道を選んだ人は毎日どんな気持ちで生活しているだろうかとふと思った。
一日空いたし自分を見つめなおす意味も含めて、経営者になった気持ちで今日をどうやって過ごすかという時間に使うことにした。
だけども、想像もつかない。
仕事があればするだろうし、仕事がなければ仕事をさがすのかな?
仕事を探すといっても時給で働くことを考えたら考え直す意味はないと思える。
やったことがないから大変な気持ちで色々考えたがふと何かが降ってきたように思考が変わった。
働き方を考える時間にしようと考え直した。
まずは現状を把握することから始める。
自分に預金がいくらあるのか?
預金で何が出来るのか?
預金がなくなったら生活できないのでないか?
もっと底辺から考えるのか?
生活保護で生活するまで頑張るのか?
結局サラリーマンだろうが経営者、生活保護を受けている人であろうが
お金の呪縛からは逃げ切ることがないという考えに達した。
ある一人の人間が幸せに生きるために必要なことは
お金を重視する人が多い理由は呪縛から逃げ切れないことからの安易な目の前の判断だと思った。
きれいごとを言ってお金がないことが美しいという生き方もおかしいとも感じた。
ある国の原住民が安易にお金を稼ぎ、お金が稼げなくなった時に失望して自殺するニュースを聞いたことを思い出した。
その原住民の長老はお金を恨んでいた。
この記事を書いていて思うことがある。
お金とかかわった以上お金から逃げることはできないし、生活を一変させて自給自足の生活が出来る知識もない。
なにごとも経験から自分に自信がつくということ。
サラリーマンとして生活すること。
経営者として生活すること。
お金から逃げ切った生活をすること。
どの道を取っても人とかかわり人との共存が避けられないことが、一番の理屈だと感じた。
本当に一人で生きれる人は一番強いのかもしれない。
しかし、人間が生きている環境で生活する以上、全く他人と関りを持たない生活は原住民の人たちでも難しいのだから、文明と離れた生活が一番の究極かもしれない。
文明から離れるなんていうありえないことは、
考えることをやめようという結論に至った。
だって逃げ切れないことから逃げるのは難しいのだから。
すこし諦めた人生を送る。
それは自分を許すことと、自分をほめてあげることにつながる。
お金とはうまく付き合っていこう。
いやことがあればお金のせいにして自分は悪くないと逃げてしまおう。
だって誰も悪くないのだから。
誰かのせいにするのではなく、原住民の長老のようにお金を悪者にしよう。
逃げ切れないことを知ったあなたは一番お金についても、他人にも、自分にもやさしく出来るようになれるよ。
お金について明確な回答を持っている人がいれば真剣に話をしてみたいな。
きっとお互いの考えを擦り付ける水掛け論になりそうだけど。
色々考え方を聞くことでお金について考えたいという発言で締めます。
最後にこの記事はどこかで消すかもしれませんのでご了承を。
以上
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