肉体の強さとは

一言、肉団子だ。肉団子になった感覚を味わってほしい。

例えば、朝日を浴びて朗らかな気持ちになるように、或いは、ひなたぼっこで得られる全身の緊張の緩和、又は、柔軟運動の気持ちよさが重要なのではないか。

強い肉体とは、存在しているだけで快楽をもたらすのではないか。

先日、そう思い失敗した。

そもそもの発端は、寝る前に思いついたことだった。上述したような気持ちよさを味わえるような姿勢をとり、それらの効能を持続させようと思ったのだ。

失敗といっても、大したものではなかった。朝起きた時、体が少しおかしいと感じる程度だった。そう感じる程度のほんのわずかな痛みもあったが。

例えると、その時の痛みは、ずっと手足を伸ばし続けた状態から曲げるような痛みだった。

失敗の原因は、持続させようとしたことにある。

持続には、それから解放されたときの痛みがあったのだ。

持続は、たとえそれが快楽だったとしても、痛みを伴うことを私は学んだ。


私は、持続ではなく、回数を増やすことにした。

膝を抱え込んでみたり、前に倒れこんでみたり、様々な姿勢を一回ずつとり、幾度となく快楽を得ようとしたのだ。もちろん、肉体を強力にするためだ。

そうこうしていると、ふいに、私は、手足を喪失した気分になったのだ。

まるで自分が肉団子になったみたいだった。

この試みは、私の精神に変容をもたらしたが、今のところ成功しているし、成功といっていいだろう。

是非、読者の皆さま方にも自分が肉団子になった感覚を味わっていただきたい。

私が思ったのは、今の自分の手足は、別に自分の望んだものではないということだ。

手足如き、自分の望み通りに変えるべきなのだ。