佐藤信夫『レトリック感覚』第3章 換喩 についてのまとめ

これは授業のためのメモである。

換喩の構造

「大雑把に単純化して言うなら、隠喩が類似性に基づく比喩であったのに対して、《換喩》とは、ふたつのものごとの隣接性にもとづく比喩である」P140

例)「白雪」姫は隠喩型、「赤頭巾」ちゃんは換喩型のあだ名

・対象を際立たせたい時にレトリカルな表現を用いることが多い。ただし、あだ名は「名付けの動機が生き生きと感じられる初期の段階にのみ」言葉のあやとなる。→定着すれば名となる。
・日常で気が付かないのは転化表現=カタクレーズとして慣用化されているから。
(・《映像のあや》イメージの隠喩,換喩、存在しないものをあらわすために存在するものの換喩をもちいること)

古典レトリックにおける換喩

例)デュマルセ(仏)『比喩論』(あるいは『転義論』)の八分法

隣接性による表現の流動

・隣接性とは?
アンリ・モリエの『詩学とレトリックの辞典』にある考え方
→「換喩とは、「あるひとつの現実Xをあらわす語のかわりに、別の現実Yをあらわす語で代用することばのあやでり、その代用法は、事実上または思考内でYとXを結びつけている近隣性、共存性、相互依存性のきずなに基づくものである。」」P144

・古典レトリックにおいては分類がなされたが、全てを表しきれることは無かった。そのため隣接性とは縁故という広い意味で捉える。
例)頭巾,帽子,白いオートバイ→分離独立した接しあってる意味での隣接性
髭,はげ頭→含まれているものの全体と一部での隣接性

・土地名でそこにある存在物を示す換喩→「すべての換喩表現は、くどい完全な表現法をはしょった言い方である」P158
・↑この省略によってはじめて、ものの見え方が正確に表現される場合もある。(人垣やそこにある家々を含めて村という表現)

・換喩の意味の流動とは、私達の画角の流動性(挟から広へ、広から挟への視点移動)と相まって意識そのものが換喩的であることに所以する。(井伏鱒二『多甚古村』より「隣村」と「駐在」に着目して)

換喩の多様なすがた

・「換喩は、発言者の存在自体にかかわるとき、いつも奇妙な雰囲気を生み出す」P167
・隣接関係を明示できないまたは通常の理解とは異なるとき、レトリック(特に換喩的表現)を用いることは、「あえて意識の真相を忠実に表現しよう」P170とする工夫の表れである。

・「すべての換喩が認識論的もつれを反映しているわけではない」P170たいていは単純であるギミックである。

・人間とことばづかいの隣接関係とは?人間、ことば、どちらが所有者で被所有者なのか。

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