間違えに行くこと。

私の足場は、いつもぐらぐらしている。
「私が」「今」こう考えている、はある。
一秒後に、意見を変えるかもしれない。

自分のなかに、軸はある。
そんなには、変わらない。
だけど、違う意見に出会って、変わることもある。

「私は全部わかっていて、それはこれからも変わりありませんよ」
とは思えない。

間違ったらいいと思う。
間違えに行けばいいと思う。
私は、自分にも、他人にも、そういう期待しかできない。

だから、間違うかもしれないけれど、話していいと思うし、わからないって言っていいと思うし、尋ねあえばいいと思うし、わからなさをかかえて生き続けていいと思うし、選挙に行っていいと思う。

何度も何度も間違えながら、ちょっとずつ進むしかないんだなと思うし、それでもいいと思う。
間違って、また考えて、行動して、また間違って、間違いつづけるかのように。

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