琴ノ葉みかん (Mikan Kotonoha)
かつて母親に虐待されて育った私が、大人になった今だからこそ伝えたい想いを綴った記事をまとめています。
子どもの頃、世界の偉人の伝記を読むのが大好きでした。 辛いことがあっても諦めず、何かを成し遂げる人たちの話にたくさんの勇気をもらったのです。 私もいつか伝記として書かれるような人間になりたい!…と思ったけれど、何か特別なことを成し遂げたわけでもないし、その予定もありません。 それでも私は、 「辛くて消えてしまいたいと何度も思ってきたけれど、今この世界に生きている。」 ということに誇りを持っています。 私が生きてこられたのは、周りの人の励ましの声、本、好きな曲の歌詞…沢山
母を入院させるまでの数日間 これまでもお話してきましたが、私の母は統合失調症です。 母は、自分が病気だという認識、病識というものがありませんでした。 これは統合失調症の患者さんではよくあることです。 妄想や幻覚の症状が出ているときの母の言葉は支離滅裂で理解するのが難しく、聞いている私が混乱することが多くありました。 …母からしてみれば「なぜ誰も私の話に耳を傾けてくれないのだろう」と周囲への不信感が募っていくわけです。 そういう事情もあり、母は病院を全く信用出来ず、通院する
被虐待児を否定する言葉 「親は子どもを愛するもの。だからきっとあなたも愛されていたはず。」 …こういった言葉は、一見美しく聞こえるかもしれませんが、機能不全家族で育った多くの子どもたちや、かつて子どもだった私のような人間にとってはとても残酷で心を苦しめる呪いの言葉です。 私も、何度もこのような言葉をかけられ、その度に心が凍って無になる感覚を経験しました。悪気なんてなく励まそうとして言ってくれてるんだろうなと思うし、その場で何か反論する心の余裕もないので、「そうですね。うん
中学3年生の頃、私、そして精神を病んだ母はいろんな方の力で助けられますが、それまでのことを少し遡ってお話します。 ↑こちらの記事の続きです。 福祉と医療 中学生になると、学校指定の鞄が買えずに私だけ普通のリュックで通学したり、食料が買えずお米しか食べるものがなかったり、とにかく親戚から無心して得たお金だけでは生活できず、「命を狙われるから国や自治体には頼りたくない」と言っていた母も、生活保護の申請のために仕方なく私を連れて福祉事務所を訪れました。 福祉事務所の方が「働
母の変化、日常の崩壊。 30年ほど前のことです。 父、母、兄2人、そして末っ子である私の5人で暮らしていました。 私が4歳くらいの頃だっでしょうか。 新居を建て、家族で移り住み、これから楽しい生活が始まるとワクワクしていたのも束の間、母はなぜか怒りっぽくなり、家事もしなくなりました。 そんな母に父は腹を立て、毎晩のように大声で喧嘩をするようになり、私より10歳以上離れた兄たちも父に加勢。「ちゃんとしろ!」と母を責めました。 私は大声で喧嘩する家族たちが怖くて怖くて、耳を
※11月は児童虐待への理解を深め未然に防ぐための児童虐待防止推進キャンペーンが全国で行われています。私のnoteでは、自分の経験談から今伝えたいことをいくつか書いていこうと思います。 子どもの頃、親やおじいちゃんおばあちゃんにギュッと抱きしめてもらった記憶はあるでしょうか。 私には残念ながらそんな記憶はほとんどありません。 むしろ一番記憶に残っているのが、ハグをしようとしたら「やめろ!気持ち悪いんだよ。」とビンタをくらったことです。 小学校に入学してすぐの頃、通学バスの
noteを始めるにあたり新しく名乗り始めた「琴ノ葉」という名前。 言の葉(言葉)を琴ノ葉と表記を変えたものですが、そもそもなぜ「言の葉」を思いついたのか。 それは私の大好きな宇多田ヒカルが大いに関係しています。 宇多田ヒカルが「Automattic」でデビューした頃、私は「うた」が好きだから「うただ」という芸名にしたものだとばっかり思っていました。 でも、調べてみると本名だということが分かり、なんだか感動したのです。名字という自分では決められないものに最初から「うた」が入っ