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しおり

この話のほとんどは後に
国家転覆をあとわずかのところで成功せしめた
団体の主導者によるもので構成されている。
彼はなんの変哲もない一人の表現者であった。

どうもー XXXです よろしくお願いします

いやー本いいですよね。
特に小説が好きなんですよ。
あのほかの人の人生を体験してる感じ。
あれたまんないですよね。
あとあれね本読むときに
必ず使うものあるでしょ、そう、しおり。 
私なんかお気に入りのしおりが2,3枚あるんですけど、気分によって使い分けちゃったりして。
そんなところまで楽んでいる
自分幸せだなあって毎回思うんですよね。

でも、しおりに関して一つ思うところがあって、
皆さん見たことありますかね。
あの本買うとたまに挟まってるやつ。
表にはここまで読みましたって書いてあって
裏にはここから読みます
って書いてあるんですけど。
あれ見るたびに
馬鹿にされてる気持ちになるんですよね。
だってそうじゃないですか。
この本を買う人はしおりが挟まっていたら、
あれ?私はここまで読んだのか?
それともここから読めばいいのか?
って混乱するような、記憶力の乏しい人が買うだろうなって思われているってことですよね。
思い出しただけでもむかついてきますね。
だから私そのしおりをもらうたびにわざと
ラミネート加工してから燃えないゴミに捨てるようにしてるんですよ。
そうすれば燃えないゴミのやつらに
異端として扱われるでしょ。
自分があらゆる物質の中でも
奇異な存在だったんだってそいつは
そこで初めて気づくんですよ。

でもね、物事を一つの側面からしか
見れない人にはなりたくないわけですよ。
だってそうでしょ、これからは多様性が
求められてくる時代ですからね。
だから仮説を考えてきました。
例えばこのしおりね二重人格者が使うものだと
するとけっこうつじつまが合うんですよ。
人格Aが本を読むとするじゃないですか。
途中まで読んで、ここまで読みましたっていう
しおりが挟んであったらどうですか、
人格Bは「人格Aはここまで読んだのか
じゃあそこまで読んでおこう」って
なりそうじゃないじゃないですか。
友達と3DSを持ち寄って遊ぶとき
バージョンが違って対戦ができないの
いやだなあって思うみたいに。
この時に表裏がない普通のしおりだったら 
あれ、人格Aはここまでよんだのかな?
それとも次はここから読もうとしてるの
かなって?人格Bは迷うと思うんですよ。
これってだいぶ大きな違いですよね。
だって意外とみんな更新してなくて自分だけ
先のバージョンになっててそれはそれで
困るみたいなこともあるじゃないですか。
この1ページの差ってそれくらい
大きい問題なんですよ。
まあ、これは人格同士が対話を楽しみに
してるって前提の話なんですけどね。

他にもこうなんじゃないかなって
思ってることがあって。
ゆっくり時間をかけて読む本に使うって
仮説なんですけど、丹精込めて書いた本だから
すぐに読み終えてほしくないっていう
作家の気持ちが生み出した
しおりなんだと思うんですよ。
誰にでもこの本は大切な本だから
一年かけて読もうって本があるじゃないですか。
それなりの調理器具と調味料さえあれば
完食も不可能じゃないって本が。
久しぶりに開くからここまで読んだんだっけ?
それともここから読もうとしてたんだっけ?ってならないように親切心で作ったんだと思うんですけど、そこまで本が好きって時点でその人なりのしおりのルールが存在していて、ここまで読んだか、ここから読むかくらいは間違えないと思うんですよね 。
つまり真相は誰にもわからないってことですよ。

ここまでしゃべってきてなんですけど、
ここから読もうっていって読んだページの
次のページにしおりを挟む人に
今まで会ったことないんですよ。
もしかしたらそんな人
はじめから存在してなくて、
そのしおりは社会の裏側でもっと
真っ黒な何かに使われている可能性も
捨てきれないですよね。
自分の手に届く範囲のものくらいは
ちゃんと知っておくべきだと思いますよ。

ありがとうございました。

彼は目立った結果こそ出なかったものの
確かな集客力と根強いファンに支えられ
日々、息をしていた。


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