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辻という友達

 辻という友人がいる。彼と知り合ったのはちょうど私の意識がはっきりしてきたころだったので、彼とは生涯を通して友人である気がする。(或いは彼が私に意識を与えたのか。)

 

 原付に乗りながら彼のことを思い出す。通い慣れた道を運転しているとき、大事なことや些末なことが次々に頭の中に浮かんでは消える。ちょうど夢を見ているときに似ている。あとには「なんとなく大きな出来事が存在していた」という入れ物だけが残る。

 

 彼の視点には、雑味のない都会の感じがある。冷たい風が吹く都会の感じがある。よくある「都会の喧騒に映る自分を見つめる」ような見下ろし方が、彼には備わっているように思う。ふいに夜に散歩したくなるあの日、私は彼に会いたくなる。

 

 原付のタイヤが回る。ぐるぐる、とは程遠い回転。ドトドトドト、という、強と弱が続くような回転。回転の質感にもいろいろあるなぁ。ドドド、トトト、ドドド。原付のタイヤが回る。

 

 辻という男の、横顔を思い出す。彼に顔の正面なんかあっただろうか?彼は何か常に急いでいた気がする。彼と話すと、自分が知っていて彼が知らないことなんか(知識の点ではなく、思想の点で、)一つもないように思える。私がAと思った、と言うと、彼はそれはCかDの可能性もある、と言う。

 

 原付のタイヤがイヤな方へ滑る。自分が傾いてくる。世界に対して傾いているのは自分だったと今更気が付いた。

 

 辻という男を思い出す。彼は今でも学ランに白いパーカーを着ているだろうか。

 

 バーン。

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