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甘さと苦さは恋の色

お母さんが教えてくれた。
それは神様が僕にくれたスペシャルな力だと。
だから、他の人に喋っちゃ駄目だよと、
お母さんと僕だけの秘密だよと。
そう、約束をしたんだ。

『焦げる匂い』は大体鼻について不快なものだけど、
僕が嗅げる「焦げる匂い」は、ほのかに甘いんだ。

そう、僕の鼻は特別な鼻で、
「焦げる匂い」が嗅げるんだ。

勿論朝のパンが焼けすぎて焦げる匂いでも、
下手して焼きすぎたパンケーキの匂いでもない。
僕が嗅げるのは、人が恋に焦がれて『胸が焦げる』匂い。
僕の鼻はそれが嗅ぎ分けられるのさ。

だから誰が誰を好きなのか。
本人達の横を通り過ぎて匂いを嗅ぐだけですぐに判った。

一番判りやすい場合が、
例えばだ、町岡の場合。

僕と一緒に二人きりでも何にも匂いがしなかったのに、
目の前を三組の倉重さんが通り過ぎただけで濃い匂いがした。
凄く苦くて、それでいて甘い匂いだった。
町岡は倉重に恋をしてるんだな?
僕はその事を隣から香る焦げ臭さで知れた。

そういう事もあって僕は恋愛情報の中心だった。

学校の中をぐるりと回ればあちらこちらから恋の匂いがプンプンする。
あっちで焦げ付きこっちで焦げ付き。
友達があの子は誰が好きなのかなぁとぼやいてる時、
あの子は誰それが好きだよ、と簡単に言ってやる。
すると相手は、えっ、なんで知ってるんだよ、と驚いて、
そんな事を三回、四回やると僕は恋愛相談の大手に急上昇。
今まで話した事の無い離れたクラスの子までやってくるようになって、
僕は学校の中で随分顔が広くなった。

その頃になると、
焦げ付く匂いの発生源も正確に判るようになっていた。
鼻を掠めた『コゲ』の匂いが誰からするのか正しく判った。
もうそれなりに時間も過ごしてきたし、
多くの匂いを嗅いできたし。

それでも、
例外が一回だけあった。

やってた部活はテニスで、
ある日、いつもより帰りが遅くなった時があった。
その帰りの下駄箱で、靴を履き替えていた時に。

「あれ、藤倉君。帰り遅いね?」

西先輩に会ったんだ。
西先輩は僕より一つ年上で同じテニス部だった。

西先輩は優しくて、
それでいて活発な、女子テニス部のエースだった。

「ちょっとボケッとしていたら、ええ。」
「家はどこだっけ?」
「大谷の方です。」
「そっか、アタシ金城方面だから逆だね。残念。」

西先輩の、
耳より下に伸びる髪がふわりと浮き、
一旦先輩の顔が靴箱の死角に入って見えなくなった。
でもすぐに、

「じゃ、」

という声と共に先輩の顔が靴箱の向こうからひょっこり戻ってきて、

「またね。」

とニッカリ笑ったので、
僕の眼は大きな西先輩の黒目に掴まり、
靴箱の向こうから伸びてきたパーに開いた先輩の右手がひらひらと揺れた。

その西先輩を見た時だった。
ああ、確かにその時だった。
いきなり焦げ臭い匂いがしたのは。

僕は周りを見渡して、他に人間がいるのかと探したが、
どこにも誰にもおらず、
これはもしや西先輩の匂いか、と思い巡った。

この場にいたのは僕と西先輩だけで、コゲの匂いがして、
ああ、もしかして西先輩は僕の事が好きなのか?
そんな思惑に身悶えながら僕は家路に着いた。

しかし、
家路について学校を離れてもその甘く苦い焦げ臭さはなかなか消えず、
ずっと鼻と身体にまとわりついた。

少し冷静になった僕は、
もしかして先輩の匂いがまだ残ってるのかと思い肩の服の匂いを嗅いでみた。
スンスン、まだ確かにコゲの匂いがするけど。
でも先輩と離れて結構時間が――

そこで、ハッとなった。
腕を嗅いでみた。
胸も嗅いでみた。
足の近くも、掌も。

西先輩を見た時に嗅いだ焦げ臭さは、
西先輩のものではなくて、
僕の体から出た匂いだと、僕は気付いた。
そしてもう一つのことにも気付いた。

ああ、
僕は、
西先輩に恋をしたのだな、
と。

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