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知らずや己を 後編

けんいちろうです。
前編からかなり時間が空いてしまいましたので、
→こちら←から前編を読んだ後に後編を読まれる事をお勧めします。
後編で完結です。

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学校の部屋は色々ある。
教室、職員室、音楽室に体育館。
それぞれに違う匂いがある。
まるでそこで行われる物事がマーキングをしているようで、
特に音楽室の匂いは苦手な部類に入る。
取り分け楽器保管庫は勘弁願いたい。
あそこはまるで死体安置所のような荘厳さがある。

「なんか、
 一つの事を秘密にすると、
 それをずっと黙る事になりません?なりますよね。
 悪い事なら仕方ないと思います。
 でも狐の血を引いてても悪い事はしてません。」

伊庭先生はそうだね、と相槌をうった。
ここは保健室、僕は体操服。
着ていた制服は干されてる。
かけられた水がしたたるばかり。

「悪い事してないのに黙る必要あります?」
「どう思う?」
「無いと思ったから喋りました」
「で、水をかけられちゃったね」
「僕が悪いんですか?」
「悪くはないかな。」
「ですよね!?
 だから喋ったんです、
 悪くも無い事を秘密にするなんて、
 そんなの負け犬の発想じゃないですか、
 僕は正しくしたかった、それだけですよっ、
 だから喋ったんです。」

保健室だけが学校と言うカテゴリから独立していて、
他は何かを学ぶ名目が謳われているというのに、
保健室だけが『他から守る』という大義を持っている。
それに誘われてしまうのも仕方ないでしょう。

自分が正しいと思う事を人に話すのは割と怖い。
それ、実は間違ってるよと指摘され論破を喰らえば、
それまで正しいと思っていた時間はどうなるの。
僕はそれに耐えられるほど大人にはなってない。

でもここならいいかなって。
この保健室なら。
伊庭先生は保健の先生だから。

「この学校には四人。
 四人だけだよ、どう思う?」

唐突に伊庭先生の言葉が僕の意識を尋ねてくる。
コンコン、突然すいません、入ってますか?
それにこちらは慌てる。
いや、すいません散らかってるんでちょっと待ってもらえますか。

「どうって?」
「少ないと思わない?」

狐がこの日本に渡ったのは遥か昔。
百の桁を年月に数える訳だが、
その間に世代は幾つ重ねられるか、
子孫はどれだけ産めた事か。

「夫婦で七人も八人も子供を産む事があるのが昔なのよね。
 いやー、こんなワケ無いと思うのよ。
 この学校にたった四人だけなんてある訳ないって。」
「……もっといるって考えですか?」
「当然」

当然。
その言葉がぐいと身体を押してくる。
椅子に向かって上からぐいっと。
『当然』が立ち上がる事を許さない。

「誰もが君みたいな正々堂々とした心意気を持ってる訳じゃない。
 できればこのままコッソリひそひそ生きていこうとか思って、
 その思いを胸に墓場へ行った人も多くいるわ、きっと。
 恋した相手に秘密、
 結婚した相手にも秘密、
 自分の子供にも秘密、
 孫の代まで秘密、
 そのまま死んじゃって、
 そしたら子孫は知らぬままに秘密を抱えるスキームになるわ。」

絶対にある。
こういうケースが山となるほど埋もれてる、絶対。

そう僕に話す先生は終わりかけの音楽を聴いていた。掃除の音楽だ。
もうそろそろ掃除の時間が終わってしまう。
サボリを完遂する一歩手前。
僕は今初めてのサボリを保健室でしている。

「うつ病って知ってる?」
「え?」
「うつ病よ、うつ病。」
「知ってます」
「昔はうつ病なんて言葉が無かったけど、
 今はそれが病気だと名前を付けれる時代でしょ。
 狐はそれと逆の事をしてると思うの。
 狐の血筋って名前付けを、逆に消してるの。
 黙ってりゃわかりゃしないのよ、
 雨降らせるだけって認識だし。
 親に教えられなければ「お前は狐だ!」って他人に言われても、
 はぁ?そんな筈ないでしょ?って本人でも思うわ。」

うつ病の逆と仰る伊庭先生は判っているのだろうか。
このままでは掃除時間が終わる。僕はサボリになる。
びしょぬれの制服は僕を守ってくれるだろうか。
さもなければ僕は掃除をサボった罪で更に肩身が狭くなる。

「人間なんて不思議なもんでね、
 自覚が無ければ人を殺したって平気で公道歩くもんよ。
 絶対沢山いると思うよ、
 自分が狐の血を引いてると知らずに生きてる人間。」

この狐尾町に。

「民間調査で公言されている人数に対して天気雨が降り過ぎなのよ。
 多い月は一週間に一回は降ってるでしょ。
 馬鹿みたいに惚れっぽい奴がいるなら話は別だけど」
「っあは」
「毎週誰かを好きになる奴。知ってる?」
「はっは、僕は知らないです」
「アタシも知らないー。
 てことはよ、
 一週間に一回の天気雨が賄えるほどの人口がいるって事。
 その予測からすると」
「あー……自覚のない狐の末裔が」
「そう、たんと山ほどいる筈よ。
 それにね、同族同士は無意識に集まりやすいんですって。
 猿の惑星って知ってる?」
「映画の話ですか?」
「そうそう。
 キャストが集められたばかりの時はね、
 黒人と白人で別れて集まって話してたらしいんだけど、
 劇中で猿っぽいのとゴリラっぽい二種類の猿人がいるの。
 そのメイクを施した後だと、
 中の白人黒人関係なく猿とゴリラで自然と集まったんですって。」
「へぇえ」
「だからきっと狐もいっしょ……。
 結局はね、あちこちでイチャイチャやってんのよ。
 若い時はまだ色んな感情がごちゃまぜだから
 それでたまに普通の人間にも恋してさ。
 じわじわ血を広げてんの。」

ついに掃除の時間の息の根が止まった。
掃除終了のチャイムの五分後、午後の授業が始まる。
僕は既に掃除のサボリだ。
このままずるずると授業のサボリにまでなりかねない。

「若い頃に狐の血筋をいじめるのは……なにかしら、
 防衛本能みたいなものかもね。
 昔に大陸を追われた狐の性(さが)か、
 自分の身代わりを立てて注意そらして……。」
「そんな事まで習性で残るものですか?」
「違うかも知れないわね。
 アタシの考えすぎだわきっと」

先生の言葉があっけらかんとし過ぎていたか、
思わず僕の鼻から息が漏れた、音が鳴る程に。

「でもね、こんな言葉を知ってる?
 天才と言う人種は自分が天才だと知っているタイプが一番強い。」
「なんですかそれ?」
「折角天才なのにね自分が天才じゃないと思い込んでね、
 何もやらなかったら天才も意味がないじゃない」
「そうですね」
「自分に備わった才を自覚して、
 それを思う存分に発揮する天才が一番効率いいね、
 という話。」

午後の授業のチャイムが罪の重なりを知らせる。

「先生、あの授業が」
「いいじゃない、少し遅れるくらい」
「僕、掃除もしてないし」
「水ぶっかけられて掃除する気だったの?
 どんだけ良い子なのよアンタ。
 アタシだったら精神が落ち着きません!
 って言って帰って家でゴロゴロするけどね」
「えぇ……」
「……ふふ」

保健室の外で走る足音が聞こえる。
掃除をサボって外で遊んでいた誰かが慌てているんだ、きっと。

「話の続きだけど、
 狐の血筋もきっとそうだと思うわ。」

頻度が七日に一度の天気雨。
そこまで広めおおせた狐の血筋。
きっと人間に取り入る術も長けていて、

「なにより人は外見をよく見るからね。
 戸田君、狐尾町の外に出た事はある?」
「いえ、ないですけど……」
「そっかぁ……出たらこの狐尾町の特徴が判るわ」
「出なくちゃ判りませんか?」
「出ないと判ら無いわね。
 でも出たらきっと判る。
 君が……自分が狐の血筋だと自覚し続けて、そうね、
 あと八年ぐらいしたら」
「八年?」
「きっとイイ男になるわ。
 きっとね。
 そうしたら、
 私にまた会いに来て。」

タン
タンタン

と聞こえたのは保健室の窓の向こうからだった。

伊庭先生の顔は笑っていた。
目を細め、口を吊り上げ、
縫い付けられているかのような視線は僕を見据えたまま。

一瞬だけ盗み見るように伊庭先生越しに窓の外を見た。
雨だった。
タン、タンタンタンタンと勢いを増し始めた。

「降って来たわね」

天気予報は覚えている。
今日は晴れ。洗濯日和になるでしょう。
窓の外は陰りも見えない。
太陽が地面に日光を全方位射撃する中で、
援護射撃のように雨が天から下っているんだ。

「―――誰のかしらね」

恋をしては雨が降る、
雨が降るとからかわれる。
この狐尾町、狐の血を引く末裔が住む町。

狐は人をたぶらかし、
狐同士でもたぶらかす。
たぶらかし上手は己の良さを良く知るもので。

窓の外から視線の先生の顔に戻すと、
変わらない表情で伊庭先生は僕を見ていた。
外の雨は激しさを増している。
干している制服はまだ乾く筈も無い。
水をぶっかけられた嫌な気持ちもまだ残っている。

でも先生。

先生とぼくが、

「そういえばあの日は雨が降ったね」と笑い合える日は

来ますか。

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