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未払い残業代を骨が笑う 脱編
あ、動いた。
そう思ったのはヴイカという骨だった。
落盤がもたらした結末は期待通りだった。
洞窟最深部に居たあらゆる物を生き埋めにし、
別れを惜しむ恋人のように離さない事だろう。
だが洞窟に嫌われた者がいた。
たった一人だけ。
それがヴイカだった。
ヴイカも他の骨同様に落ちてきた岩や土に身体を押し付けられた。
そこまでは同じだ。
どうせこのまま何か月も生き埋めなんだろうな。
そう思ったのも同じだ。他の骨も同じ事を思った。
ちょっとどこか動かしてみようかな。
そう思ったのも同じだ。他の骨も同じ事を思った。
だがヴイカだけが違った。
自らを覆っていた土と岩が動き、
そのまま這いずり出す事が出来た。
「おい、誰か聞こえる?」
ヴイカは勇者に被さろうとした時、
払った剣で吹き飛ばされて入口の方へと移動した。
更に勇者に向かう仲間からどけられるように扱われ、
その体は更に入口へと飛ばされる。
それが功を奏した。
「おい、おい!おーい!」
良く判らないが、身体が自由になったヴイカ。
自分がこうなったんだ、もしや他にもこうなる奴がいるんじゃないか。
ヴイカは思いっきり声を張り上げた。
「おーう」
返事が返って来たが随分とくぐもった声だ。
それもその筈、返事の相手はまだ岩と土の中に埋もれている。
埋もれているんだな、でも返事は出来るんだな。
「おい、誰か!動けるか!」
動ける訳がねぇだろ。
動けたら駄目じゃねぇか、俺達は生き埋めになるまでが仕事だろ。
土の中からそう返って来たが、
声がくぐもっている分、土が喋ってるようだ。
「そ、そうだよな。
どうしよう、俺、なんか生き埋めから出れちゃったんだけど」
ええ?
「いや、ほんと、なんか腕が動くかなとか思ってさ、
そしたらもぞもぞ動けて、ほら見ろ!ジャンプも出来る!ほらほら!」
みえねーよ。
「そ、そうだよな」
そうか、出れちゃったか。
お前ラッキーだな、運がいい。
「はっ」
どうした。
「お、俺、もしかしたら土の中に戻った方が良いのかな」
なんでよ。
「だって勇者と一緒に生き埋めになるのが仕事だし、
これだと生き埋めになってないだろ。
規約違反で給料ナシとかに」
なる筈ねぇだろ。
良いか良く聞け、お前にはこれからやる事がある。
この洞窟から脱出して無事に本拠地まで戻るんだ。
そこで落盤して勇者ごと生き埋めにした経緯を報告しろ。
そうしたら魔王様も軍を動かして人間達を早急に攻める筈だ。
それが完了すれば俺達もその分早くここから救出される。
「な、なるほど!お前頭良いな!」
昔からそう言われてた。
おい、どうして俺達が骨になっても動いてるか判るか?
「どうしてだ!?実はずっと不思議だった!」
俺にも判らん。
「判らんの!?」
だが今お前がどうすれば良いのかは判る。
いいか、判る事からやっていけ。
お前が今やるべき事は本拠地に行って生き埋め作戦の成功を知らせる事。
他の事はそれから考えれば良い。
そう言ってくれた相手は土砂の中。
勢い付けにケツを引っ叩いてくれる訳もない。
闇と静に長く漬け込まれたせいかヴイカは身体が全体的に重い。
もしかしたら身体が闇に三分の一位溶けちゃったんじゃないのか。
「お 」
この洞窟から出るのも久しぶりだ。
何か懐かしいものがヴイカの身体に当たる。
日光だ、今は朝か。出口も近い。
足を動かす度に関節に挟まった土をボトボトと落としつつ、
ヴイカが入り口に辿り着いた。
朝だった。
洞窟の外は朝だった。
天候は晴れ、雲も無し。
風も無く、ただ何の変哲もない朝だった。
ただヴイカにとっては違った。
朝だった。
朝と言うものがどういうものだったか忘れかけていた。
闇と静だけに包まれた長い間、
ついには仲間も喋らなくなり、
土と同化してしまうかと思った程のあの時間。
空が青、
地面は茶色、
草は緑。
落盤完了の報告をせねばならないのに、
ヴイカの足が動かない。
身体に肉がある頃はなんの気にも留めなかった光景に、
ただただヴイカは洞窟の入り口に立ち尽くした。
騒ぐでもない、怒鳴るでもない、
ただ彼には眼球が無かったので、
静かに涙を零す事が出来なかった。
「おい」
ヴイカの声がしたのは洞窟の中。
ヴイカは引き返してきた。
やらなければならない事とは逆なのは承知している。
だが。
「空が青かった、今日の天気は晴れだ」
そうかと土の中から返事が返る。
「鳥が飛んでいた、なんか灰色と青色の鳥だ、動いてたぞ」
飛んでんだからな、動いてなきゃおかしい。
「それにな、それにな」
おいそこまでだ、そこまでだ。
土の中からまるで開いた手がにょきっと出てきそうな声がした。
お前はここから出て行く。
俺達はまだここで生き埋めをずっとやる。
お前は外の世界に戻る。
俺達はまだまだここにずっといる。
この闇と静けさに耐えなきゃいけない。
ようやく何とも思わない位に慣れてきた頃だ。
余計な事を吹き込むな。
至極、御尤もな言葉だ。
ヴイカは返す言葉も無い。
「ごめんな」
そう言って身体を少し動かすと、
そのまままた洞窟の外へと向かった。
再び日差しがヴイカの身体を照らした時、
彼の右手の二本の指が緑色を照らした。
花を摘んでいたのだ、
聞いてくれ、花も咲いていたんだ。
ピンクの色でな、実は今持ってるんだ。
匂いだけは伝わるかと思ってここまで持ってきたんだよ。
なんて事を言おうかな。
全てヴイカが思い巡らせていた台詞の数々だが、
その微塵も言わずに洞窟から出てきてしまった。
言えるものか、これからずっと生き埋めになる同僚達に。
自分だけがこれから外の世界で自由になるんだ。
骨だけど。
あいつらはまだずっと闇と静に浸らなきゃならない。
それを花を持ってきただなんて。
俺だけ自由になった事を、
これ見よがしに自慢するようなもんだろ。
まだ骨だけど。
ヴイカにとって心を雑巾の如く絞られた心地だった。
右手に持っていた花を闇の中そっと地面に置いて、
そのまま何も言わずに洞窟を出てきたのだ。
同僚達への手向けでもある。
彼らはまだ生き埋め続けなければならない。
悪い。
俺だけ先に行くな。
魔族の街に向かって骨が歩いているのを見た。
骨は骨格がきちんとしており、肉は無いが足を動かす。
形状から見て魔族の骨だが、詳細がわからないので気味が悪い。
その情報がすぐさま魔族本拠地に届いた。
何分、魔族の中でも骨だけで動くなんて奴は今までいない。
異常事態に各所に伝達が飛ぶ。
「弟様」
「どうした?」
「なにやら骨が動いて本拠地に向かっているという情報が」
「骨」
「ええ、骨です」
「なんの骨だ?」
「魔族のもののようですが」
「一体だけか?」
「そのようで」
「兄上には伝えたのか」
「魔王様にも伝令は飛ばしております」
魔王の弟が居を構えるのは本拠地のまだ浅い位置。
魔王の耳に届くよりも早く彼の耳に骨の情報が入った。
「現在の場所は?」
「恐らくアルカワの森をまだ横断している頃かと」
「第三班を向かわせて接触しろ。
質問による受け答えの後、会話が出来るなら戦闘するな。
その骨が魔族だと主張したなら保護してここに連れてくるんだ」
「御意」
朝も早い事だった。
骨が魔王の弟の所に連れて来られたのも昼前の事。
カチャカチャと関節が鳴る骨を前に弟は冷静だった。
「お前は魔族か」
「そうで御座います弟様」
「骨だけだが身体はどうした。」
「実は」
実は勇者生き埋め作戦は極秘の事だった。
骨だけで蘇る蘇生法も魔王が新たに開発したもので非公開、
作戦の全貌を知る者も魔王の周囲の者達だけで、
骨達が洞窟に向かったのも闇に紛れての事だった。
どこから情報が洩れるかも判らない、
勇者を罠にハメる為にはまず魔族から。
そう通達された骨達は隠密に洞窟に配備されていた。
「と言う訳で御座います、弟様。」
「そういう事か……で、
今勇者はその洞窟の中でお前の仲間達と生き埋めに?」
「はい、御覧の通り、私だけ運よく浅い所に居ましたので、
こうして作戦成功のご報告に来た次第であります。」
「確認して良いか」
「どうぞ」
「それは本当に勇者だったのか?」
なるほど、この質問に無理もない。
ヴイカも弟君の言いたい事が判る。
洞窟の中で視界は暗い筈。
しかもヴイカは骨だ、眼球も無い。
眼球も無く何故『見れる』のかもヴイカ自身判らない。
己に判らぬ事に他者が疑問に思う、無理からぬこととヴイカも悟り、
うん、と一つ頷くと指を二本立てて見せた。
「私は二度、勇者に殺されました。
二度目の蘇生でこの様に骨になってしまったのですが、
弟様、死んだ事はおありですか。
誰かに殺された事はおありですか?」
自分を殺した相手というのは忘れないものです。
二度も殺されるのは一度仕込んだ料理を更に煮込むようなもの。
煮詰まれて奴の顔はこの魂にこびり付いたようで、
この通り、骨になっても忘れてはおりませんな。
「信じるに十分な説明だった。
ところで君、名前は何というんだ」
「ヴイカです」
「ヴイカ、任務ご苦労だった。
今何か用意できるもので欲しいものはあるか?」
「それでは、水を一杯頂いても宜しいですか。」
「水か?」
「水を」
言うからには用意しよう。
だが水をどうするんだ。お前は骨だろ。
潤す喉も無い。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
コップに水が約七割。
「失礼」
まさにコップに入った水を飲む仕草だった。
傾けたコップから水があふれだし、
薄く開けた骸骨の口の間を目掛けて飛び込んだ。
頬は無い。
喉も無い。
舌も無論。
水を受け止める肉が無い。
水が弾けた。
背骨に伝わった水がそのまま骨を伝って床まで落ちる。
胃も無ければ膀胱も無い。
全て水は骨を伝って何も潤さなかった。
弟君の目の前でビシャビシャと音を立てて床を汚しただけ。
「失礼しました。
滑稽でしたか?
けれど私は生きているのです。」
哀しみを哀しみだと判り、
喜びを喜びだと思う。
同じように洞窟から出てこの魔族の土地についた今、
ようやく安堵する事が出来ました。
一息つくために水を一杯。
生きている者なら誰もがする行為でしょう。
喉を潤す為では無いのです。
この所作が私に今生きている事を自覚させる。
その為です。
床は後で自分で拭きます。
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