天国の娘からのラブレター 後編①
もし、
あなたの愛する家族が病にかかり、
有名な医者ですら残酷に、
「もう手の施しようがありません、
あとは延命治療しか……」
とあなたに告げたなら、
きっとこう思うのではないでしょうか。
一生のお別れになるなんて嫌だ、
どんな事があってもまだまだ一緒に居たい、と。
けれどそれはあくまで、
『愛する家族が死にそうだから』
という状況のせいかも知れませんよ。
It's me mom.
私よママ。
ママ私よ。
そう書かれた紙を一つ手に、
ジェリーの後ろで玄関のドアが閉まりました。
紙を手にしたまま、
ジェリーの想像力が唸りをあげます。
まずジェリーが考えたのは、
この手紙を残したのがアリーだという可能性。
ちょっと私を脅かそうとして、
わざと文字も子供っぽく書いたのだろうか。
でも本当にそうかしら。
昨日キッチンで話した時、アリーの目は真剣だったし、
その声の調子に嘘の匂いは混じって無かった。
アリーはきっと本気で思ってるわ、
全てのラブレターがリンダからのものだって。
それをこんな台無しにするような事をするかしら。
いいえ、あの子はそもそもそういうジョークが嫌いよ。
だとしたらリチャードが?
アリーが昨日の何処かでこっそりと、
キッチンでのやり取りを言ったのかしら。
でも、だとしたらリチャードが私に何か言う筈じゃない?
なんて事だジェリー、アリーの仕業だと思ってたのかい?
長らく誤解させてごめんね、実は僕なんだよ、とか。
下手をしたらリチャードとアリーの仲が険悪になって、
さっきみたいに良い親子の振る舞いは出来なくなるのに。
アリーでもないリチャードでもない。
じゃあ、この手紙を書いたのは、一体だれ?
玄関から見渡せる家の中の光景は静かでした。
猫の一匹も飼ってないので壺は勝手に割れないし、
犬の一匹も飼ってないので網戸も勝手に破けません。
そう、
今この家には私しか居ない筈なのよ。
なのに、なんで心が騒ぐのかしら。
ジェリーは紙をまた畳むと、
色んな物を保管しておく『箱』へと仕舞い込みました。
暫くして娘を送ったリチャードが帰って来て、
「僕はずっと泣かなかったぞ、
褒めてくれ、この勇敢な英雄を」
と言ってジェリーにきついハグをしました。
「えらいわ、イイ子ね。
今ならどこかの魔王も倒しに行ける?」
「それは無理だな、
そうしたらこの家に君を一人残す事になる。」
「……そうね、それはいけないわ」
リンダのラブレターは見つけたら報告し合う。
それがこの家のルールの一つです。
けれどそのルールを始めて破った家族が現れました。
他でもないジェリーです。
彼女はその日初めて、
見つけたラブレターの事を誰にも言いませんでした。
次の日の朝、
目を覚ましたもののまどろみ続けていたジェリー。
その両手はゴソゴソとシーツの上や枕を下を泳いでましたが、
枕の下のひんやりとした冷たさを楽しんでいた時、
その指先が何か堅い物に当たりました。
虫ではない何かの人工物だと指先が判断した為、
なぁに?コレは、と枕の下から引き抜いてみると、
それは一枚の折りたたまれた紙でした。
「えぇ……?」
ため息交じりに小声が漏れて、
まだクシャクシャの髪に一旦指を入れ、
もう片方の手の指で紙を開いてみると、
そこには過去何度も見た大きなハートマークがありました。
ジェリーの意識は一気に冴えていきながら、
もう一度枕の下を手で探りました。
何も当たらないので今度は枕を持ち上げもしましたが、
やっぱりもう何も見つかりません。
このラブレター、一枚だけが挟まっていたのです。
「あと五分」
枕を持ち上げたジェリーの動きがリチャードに伝わり、
起きるように揺さぶられたと勘違いしてそう呟きますが、
ジェリーの顔付きはそんな悠長さに付き合う気配がありません。
「ちょっと、
ちょっとリチャード!」
今度こそ夫の身体を乱暴に揺さぶると、
まだ目が明けきらない夫の前に紙を突き出しました。
指から伝わる紙の温度が、まだ冷たいです。
「これ!アナタ!?」
「……なにが?」
「よくみて、このラブレター!
リチャードが隠したんでしょ!?」
「……ちょっと待って、まだ頭が働かないよ」
「さっき私の枕の下から出てきたのよ!」
「……いやー、僕じゃないけど……。
アリーが最後に隠していったんじゃないの?」
アリーが最後に隠していったんじゃないの。
アリーが最後に隠していったんじゃないの?
その言葉がジェリーの鼓膜を突き抜けて、
脳味噌の何処かも判らない場所を引っ叩きます。
もう眠気は頭の中から強制退去です。
「リチャード、もう良いのよ、悪い冗談は止して。
昨日はっきりとアリーはラブレターを隠してないって言ったの。
危うく喧嘩になりそうな雰囲気だったのよ?
もう、新しく隠したのはリチャードなんでしょ?」
「……?
いや……?」
リチャードの両手が開かれて、
信頼を請うようにジェリーの目の前に出されます。
「新しいラブレターを隠してたのはアリーじゃ……え?」
「……断っておくけどここは夢の中じゃないわ。
本気で言ってるリチャード?
神に誓って?」
「神に誓って。
僕がラブレターを隠した事は一度も……。」
この世の朝はよく出来ています。
光は優しくゆっくりと空に広がるし、
木が近くに生えてたら鳥の囀りも聞こえます。
ニワトリはそんな雰囲気を少し壊すかもしれないけど。
けれどこの世の朝という物は天気が晴れなら、
概ね気持ちの良いものの筈です。
にも拘わらずジェリーとリチャードは険しい表情です。
『箱』から昨日のラブレターをジェリーが持ってきた時、
更にリチャードの表情が強張り、
眉の間にシワがぐっと寄りました。
「僕じゃないよ、書いてない」
「アリーもきっとそうよ」
「電話で聞いてみたら?」
「リンダが書いた物だって言うわ、あの子。
下手したらあの時言ったでしょって、
今度こそ喧嘩になりかねない。
それに今朝のこのラブレターは?
素敵なお知らせだけど、
アナタがアリーを送ってる間に枕カバーを交換したの。
どういう事か判る?」
アリーがもうこの家に確実に戻ってない、
アリーがラブレターを仕込む事が不可能だという状況で、
枕の下にラブレターが隠されたと言う事です。
「リチャード、今なら笑って済ますわ。
これ、アナタが隠したんじゃないの?」
「君にも素敵なお知らせだけど、
僕は一度もラブレターを隠した事は無いよ。
ちなみに、生涯で送った相手も君しかいない。」
「……二つも素敵なお知らせありがとう……。」
その日からもラブレターは見つかり続けました。
タンスの中、
本と本の間、
洗濯洗剤の箱の下。
どこも例外なく一度はラブレターを見つけた場所です。
そこから二度、三度と見つかるのです。
アリーが家に居た時は喜んだ声で報告し合ってましたが、
今は随分と落ち着いた声になってしまいました。
「ねぇ、これ」
「どこから?」
「僕の机の引き出しの中に」
「そう……」
ある日、ジェリーは自分の携帯の電話帳を開きました。
日曜日に家族で通う教会の牧師の番号を出し、
通話ボタンへ1インチの場所まで指を伸ばしましたが、
タッチダウンせずに画面を変えてしまいました。
宙に迷った指をしまって、
ジェリーが次にしたのは音声検索です。
『――がこの近くにいるか調べて。』
この数日後、
ジェリーはある家を尋ねに車を動かしました。
通った事の無い道をドライブし、
押した事の無いインターホンを押し込むと、
中からスキンヘッドの女性が迎えてくれました。
「いらっしゃい、
一応聞くけど、ピザを頼みに来た訳じゃないわよね?」
「大丈夫、冷やかしじゃないわ」
「いいわ、入って」
「ピザを頼んだ人が今までいたの?」
「今までに二人にね」
家の中に通されるとふかふかの椅子が二つ。
そのそれぞれにジェリーと女性が座ると、
では、といった様子で一つ女性が息をつきます。
「じゃあ最初に断っておくけど、
エルビス・プレスリーとは話せないわ。
彼は確かに熱心なクリスチャンだったけど、
ちゃんと天国にいるから応じないわ。」
「OK、事前説明どうもありがとう。
でも死んだ人と話したくて来たんじゃないの。」
「あら、じゃあどういった御用件かしら」
「ちょっと相談で……」
この家に住む彼女は霊媒師。
死んだ人と話したかったり、
身の回りに奇妙な事が起こる人が客として訪れます。
「その前に聞いてもいいかしら。
その……頭をツルツルにしてるのは霊媒の関係?」
「これは私の趣味よ。クールでしょ」
「ええ、似合ってるわ。
周りであまり見ない髪型だからちょっとびっくりしたけど」
「女性でスキンヘッドはなかなかいないものね」
「その髪型にするのは勇気がいった?」
「必要なのはバリカンとシェーバーを買う費用だけよ。
それで?私に話してくれる相談はなんでしょう」
「……実は、最初教会の牧師に相談しようと思ったの」
「でもしなかったのね。なんで?」
「あー……悪い事と捉えられるかも知れないと思って」
「誰に?」
「牧師に。
実は、死んだ娘が家の中に居るかも知れないの」
「どうして牧師には言わなかったの?」
「あまりに非日常的な話だし、
それに聖書の中に出てくる地上の霊は諸々悪いモノでしょ。
もしかしたら娘もそう言われるんじゃないかって……」
「私もそう言うかも知れないとは思わなかった?」
「霊媒師の人と会った事は無かったけど……。
なんていうか、慎重に判断してくれると思った」
会話のキャッチボールを続ける代わりに、
霊媒師は二回頷きました。
「ジェリー、電話で話したけど改めて自己紹介するわ。
サラ・ワトソンよ」
「今日はよろしくサラ。」
「それで、どうして死んだ娘さんが家の中に居ると思うの?」
「娘からラブレターが来るの」
「あら、それを聞くだけなら随分と素敵な話ね。」
「娘が死んだのは随分と昔、まだ彼女が幼い頃よ。
病気が酷くなって病院で息を天に召されたんだけど、
それから家の中でこういう紙が見つかるようになったの」
ジェリーはカバンから紙を一枚取り出しました。
それを渡されたサラが紙を開くと、
いつものように大きなハートが書かれています。
「あらかわいい」
「もう十年以上出てくるの。
タンスの隅とか、ソファーの下、キッチンの隙間。」
「いたずらっ子ね」
「捨てずに全部保管してて、バインダーが幾つも」
「良いお母さんじゃない」
「ありがと……。」
「死んだ娘からラブレターを貰い続けて、
そんな幸せな家庭に何か問題が?」
「悩んでるの。私、悪い母親なのかしら、って」
「その話を打ち明けるのに私を選んでくれたのね。
光栄な事だわ、あなたのペースで良い、聞かせて。」
「……死んだ娘が家の中に居ると思うと、
背筋が寒くなる時があるの。
私達には死んだ娘の他にその妹もいるんだけど、
私も夫も長年ラブレターを隠してるのはその子だと思ってたの」
「どうして?」
「一度見つけたり、
そこには何も無いって確認した場所から、
新たにラブレターが見つかる事が何度もあったの。
確かに、最初の何枚かはリンダが、
死んだ子供が隠してくれたのかも知れない。
でも他のは下の娘が私達を喜ばせようとしてると思って、
ついこの前までその子がしてると勘違いしてたの」
「ラブレターを見つけたら貴方達が喜ぶからと?」
「そう……でもついこの前大学入学で引っ越したの。
その時に話して明らかになったわ。
それにあの子、リンダが隠してるのを見た事あるって、
そんな事も言ったの。幼い時は見えてたって」
「それを嘘だと思ったのね」
「最初は……そうだった。
でも下の子が引っ越した後も見つかったの、何枚も。
次は夫を疑ったけど、夫も違って、当然私でもなくて、
それで、これ……」
次にジェリーが差し出したのはあの紙でした。
ハートの中に『It's me mom』と書かれた、あの紙。
「これが下の子の引っ越しの日に見つかったの。
前日にちょっと言い合った。
実はあなたが隠してたんでしょって」
「リンダがアナタに教えたかったのね。
本当に私がやってるのよって。」
「……喜ぶべきなんだと思うの、自分でも。
娘が死ぬ前に何度も思ったわ、
出来る事なら変わってあげたい、
私が病気で死にたいって。
それに出来るならこの子とずっと一緒に居たいとも。
でも、家の中にまだリンダが居ると判って、
今じゃああの時の気持ちが嘘みたいに、
少し気味が悪いと思うの……。
私が悪い母親になってしまったのか、どうなのか、
よかったら教えて欲しいの。」
「正直珍しい種類の相談だわ」
「サービス外かしら」
「幸運な事にサービス内よ。
ジェリー、今から言う話を良く聞いて。
確かに私達女性の多くは出産の時にお腹を痛め、
生まれたばかりの我が子を見て感動するわ。
その子が病気で熱を出したらあたふたするし、
重傷で死にそうと言われたら必死に祈るわ。
神様助けて下さい、ずっとこの子と一緒に居させて!と。
でもねジェリー、人の心って移ろい易いものなの。
私が好きな聖書の話は借金を許された部下の話よ。
一万タラントという到底払えない借金を許されても、
友人に貸してた百デナリを許さなかったあの話。
あれは自分の罪を許されたから他の人の罪も許せって、
そういう教訓譚な訳だけど、
でも実際人の心なんてそんなもんよ。
産んだ時に底抜けの愛情を感じていたって、
育児ノイローゼになったり虐待してしまう親はいるわ。
そうなるにはそれぞれに要因があるのよ。
ジェリー、あなたが今抱いてる感情、
私は幾らか推察する事が出来るわ。
あなたは長年家の中にリンダが居ないと思っていたのよね。
ラブレターは下の子が書いてくれてるんだって。
でも本当にリンダからラブレターが届いてるって、
彼女の死後すぐに分かったら?
何度も見た場所にあるラブレターに不審感を抱かなかったら?
多分今の様な心境にはなってないわ。
居ないと思ってた存在が突然居ると判ったから、
気持ちの整理が追いつかずそう思ってしまってるのよ。
それにイマジネーション。
これまでずっとリンダは天国に居ると思っていた先入観。
あるべき場所にいるべき者が居なかったという意識の相違。
下の娘さんが引っ越したのも大きいのかもね。
あなたの中の『こうあるべき』が崩れたから、
あなたは気持ちに不具合を感じてるだけだわ。
それに安心して。
この世に娘や息子に一度も不満を感じない親は居ない。
神様ですら旧約聖書で大洪水を起こしてるのよ。」
「……そうね」
「親子でも喧嘩はするでしょう?
でも顔を突き合わせてるから仲直り出来る。
もうリンダは簡単に話せる相手じゃないからそれは難しいし、
それが出来る相手だとアナタ自身も思ってない」
「そうね……」
「でも、出来るの。
ラブレターだって届いてるの。
この紙、家族への感情の余韻があるわ。温かい。」
「……」
「ジェリー。対話するのが良いわ。
もうアナタは天国に行って大丈夫よって、
そうリンダに話してあげなさい。
下の子を大学に送り出したのといっしょ。
天国に送り出してあげるだけ。
子はいつか親の元から巣立つものよ。
ちょっと判りにくかったら遅くなっただけ。
あなたが悪い母親とか、
そういう話では全くないわ。
だから自分を責める事は無いの。
OK?ジェリー。」
「……OK、サラ。」
(後編②へ続く)
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