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僕の林檎は空の色

「ネリ。今日は林檎は何色に見える?」

私の身長がまだ月桂樹の苗程の高さしかなかった頃、
父は毎日この言葉を私に言った。

「赤だよお父さん。」
「空と同じ色かい?」
「そうだよ、お父さん。」

私がそう答えるといつも父は苦い顔をした。
隠しているつもりなのだろうが子供の目は鋭い。
残念ながら私もその例外からは見事に漏れなかったようだ。

父が何度も私に言った言葉だ。
『口を酸っぱくして』という表現になるのだろうか。

「いいかい。林檎の色は『赤い』んだよ。空の色と一緒さ。」
「じゃあ空も『赤』?」
「そうだよ。血の色と一緒だよ。」
「当たり前だよ。だって空と一緒の色なんだもの。」
「こら、親に向かって当たり前だよ何て言っちゃあいけないよ。」
「判りました。」

そんな幼少時代が一番居心地が良かった。
時間が止まったら良いのにと、人は時に望む。
私も、今ならば思う。
幼少時代で、時が止まっていてくれたなら。

あの頃父は毎日私に色の話をした。
それも決まって林檎の色の話をしてくれて、
私は何個の林檎の色を確認させられただろう。
林檎は赤、その林檎も赤、昨日のも赤だったし、
きっと明日の林檎も赤。
空の色と一緒だよね。
毎日同じやり取りを挨拶のように行う父を見て、
私は飽きという感情を覚えなかった。
人間は挨拶を飽きるだろうか。
そう、『色』の話は最早父と私の挨拶の域に達していた。

しかし、そんな挨拶に激変が起こる。

「ネリ。本当はね、林檎の色は空の色と違うんだよ。」

十年に一度の祭り、
『エットランド祭り』が行われるの前だった。
突然に父がそう私に教えたのでそれは吃驚した。

「何言ってるのお父さん。林檎は空と同じ色だよ」
「違うんだ。林檎の色は空の色じゃないんだよ。」
「!?お父さん、でもだって」

と私は庭の林檎の木を指差した。

「ほら!林檎と空は一緒の色じゃないか!」
「しーっ!しーっ、
 ネリ、静かに喋るんだ、とても大切な事をお父さんは今話してる」

私は『赤い』林檎を指差した。
空と同じ色の林檎を指差した。

父は人差し指をすぼめた口の前に立てた。
目は大きく見開いて、滅多に見ない真剣さだった。

「…ネリ、それは本当は『青』っていう色なんだよ。」
「…あお?」
「そう。本当は空は青いんだ。
 林檎は赤いけど、空は青いんだ。」
「…何を言ってるのか判らないよお父さん。
 同じ色なのに呼び方が違うの?」
「……嗚呼、ネリ。」

何故お前は林檎と空が同じ色に見えてしまうんだい

確かにあの時、父は私にそう呟いた。
私の耳にははっきりと聞えた。
聞えるように父が言ったのかどうかは、定かではない。

「ネリ・ペリ君を迎えに来ました。」

エットランド祭りの日、
青いローブを身にまとった祭りの役員が家にやってきた。

「ネリ、あの人が着ているローブは何色に見える?」

父が耳元で囁いた。

「赤。」
「違う、あの色は青だ。」
「…もう、何が何だか判らない。」
「いいかネリ、大切な事だ。」

父は私の両の肩をがっしと掴んだ。

「林檎の色は、赤なんだ。
 空の色は青なんだ。あのローブの色は青。
 いいか、この世で赤い色は、林檎の色なんだよ。」
「えー?」
「判ったか?」

父の目が怖かった。

「判った。」

判ったと言わざるを得なかった。

家の外に出るのはその時が久しぶりだった。
父に手を引かれて祭りの町に繰り出した。
街中を歩くも久しぶりだ。ずっと家の中に居たから。

「林檎の木がいっぱいだね。」

街のそこら中にある林檎の木を見て言った。
父はただ「そうだね」と答えるだけだった。

父とある広場の前まで連れて来られた。

「ネリ・ペリ君、五歳だね?」
「はい、そうです。ほら、ネリ行っておいで。
 忘れるんじゃないよ。」

忘れるんじゃないよ。
父の言葉の意味が判った。
林檎と空とローブの話だ。

「判ってるよ。」

と私は父に告げて広場の中に行った。
広場の中には大勢の子供達が一列に並んでいた。
私もその一団に加えられ、前に進んでいった。

そして、私の番が来た。

「ぼうや、名前は?」

そう私に言ったのは、
頭に白髭が混じり始めた男の人だった。
周りの人と同様、『赤い』ローブを着ていた。

「ネリ・ペリ。」
「おお、ペリ家の箱入り息子君か。」
「はこいり?」
「失礼失礼、じゃあネリ君。これは何色に見える?」

と林檎が差し出された。

林檎の色は 赤なんだ
空の色は 青なんだ
あのローブの色は 青

父の言葉が思い出された。

「赤。」
「じゃあこの私が着ているローブの色は?」
「…青。」
「うん、キミの人生に幸あれ。祭りを楽しんでおいで」

とそこまで白髭の男が言った時だ。

「待ちなさい。」

周りに立っていたローブを着ている一人が近寄ってきた。

理由があった訳じゃなかった。
でも何か言いようのない不安を覚えた私は父のほうを振り向いた。
父は何かあったのかと頭を左右に揺らしながら私を見ていた。

「ネリ君。」

彼はローブの下から何かを取り出した。

「この野菜は」

それはトマトだった。
御存知、林檎と同じ色をしている。

「どうかな、私の着ているローブと同じ色かな」

静かな声だった。
祭りの日は人が賑やかになる。
周りの声に押し負けそうな程静かで、
けれど重かった。

「うん」

と私は返事を短く返した。

「これと、同じ色かい?」

とその男は自分のローブをひっぱった。

「うん。」
「そうか。」

その男は被っていたローブを頭から外した。
『赤い』眼だった。

「死神様がこの世に来られた。」

と男が言うと周りの大人達は動きを止めた。

「死神様がこの世に来られたぞ!」

二回目は叫び声だった。
周りの大人は皆、地に膝を付いた。一人残らずだった。
周りを見渡すと子供以外は誰もがそうしていた。
私の父以外の大人は、皆、そうしていた。

かつてこのエットランドに悪党がはびこる過去があった。
その時代に神が死神を遣わしたという。
死神は悪党どもを根こそぎ掴まえ、
その鎌で首を落とす痛みは何物にも代えがたく、
悪党達は皆大声を上げて苦しみ、
首だけになっても苦悶の表情を絶やさないまま死んだという。

死神に首を刈られる恐怖が伝え広まり、
エットランドには平和がやってきたが、
その死神は美しかった為に数人の人間と交わり子を成した。
血が脈々と受け継がれる今も、
ごくたまに死神の力を濃く映し出す子供が生まれ、
その子供達は『死神の末裔』と祀り上げられ、
悪人を処刑する任に就かされるのだ。
拒否権は、無い。

金が動く。
政府は犯罪の抑止として死神の末裔を手に入れる為、
末裔だと判った子供の家庭に『降誕金』という報奨金を与える。
政府からしたらはした金だが、
民衆にしては莫大な額を用意する。
それが目当てに子供に嘘を仕込む。

逸話によると初代死神は先天的に『赤』も『青』に見えたらしい。

いいかい、あれは赤色なんだよ、
そうやって子供に色々吹き込むも、
政府側の入念な試験によって結局はバレてしまう。
エットランド祭で集められる子供は五歳以下と決まっている。
その年齢で巧妙に嘘を吐きとおすのは無理がある。

逆に末裔だという事を隠し通す親もいる。
子供の頃から処刑をさせる、人を殺させる忍びなさ、
我が子にそんな残忍な真似をさせてたまるか。
この子は、他の子供の様に育てる、
変哲の無い人生で良い、
ただ普通に育ってくれれば、
それだけが親の望みなのに。

「…まず」

皆がひれ伏しているなか、
トマトを私に見せた眼の『赤い』男が私に言った。

「まず、私を殺しに来なさい。」
「……え?」
「私の目は何色に見える?」
「…空の色と同じです。」
「…私を最初に殺しに来なさい。」
「…おじさん。」

私は目の『赤い』その人に囁いた。

「おじさんも林檎が空の」

また、人差し指だった。
大人の人差し指は大きいのがいけない。

『赤い』人が口の前に人差し指を立て、
その目は鋭く私を見つめていた。

恐かった。
祭の前にお父さんが私にした仕草を思い出したのだ。
あの時のお父さんの顔は見た事も無い位に怖くて、
その記憶が彼のものと混在して、
私はそれ以上何も言えなかった。

私がその人を殺したのは、
それから20年後の事だった。

彼の死ぬ間際、
鏡で見たら二人とも眼が『赤』かった。
空の色と、林檎の色と、
同じ色だった。

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